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「父の背中」 = 引きこもりがちなチャレンジャーの見た夢 =
最近は、障がいのある人を「ハンディキャップ」ではなく「チャレンジド(challenged)」と表現するそうです。
その言い方をすれば、右腕のなかった父はチャレンジドでしたが、
同時に、誰よりもチャレンジングな人でした。
弱い立場の人の役に立ちたい気持ちで区議会議員を目指し、
その数5回、費やした年月は20年です。
「やめなければ負けじゃない。勝つまでやる!」
そう息巻くくせに、落選すると半年ほど引きこもる父。
選挙はひとりではできません。もちろん、家族だけでもできるものではありません。
たくさんの人にお世話になります。
引きこもる父に代わって母や私がお礼にまわるのが、選挙のあとの常でした。
そして、選挙に必要なものは、人の協力だけではありません。
今より、もっとずっとお金もかかる時代でした。
4年ごとの選挙は家計を圧迫し、落ちれば半年引きこもって仕事をしない。
母は、家業の電気店だけでなく外の仕事にも出ていましたが、
それでも苦しい生活に変わりはありませんでした。
奨学金で短大に進学したのは、バブルと呼ばれる時代。
世間では女子大生ブームと言われ、華やかな女子学生たちがもてはやされているのに、
私の家は、お風呂もないのです。
友達には言えない、我が家の状況…
その頃の私の心を占めていたのは、
「お金を稼ぎたい!!」
卒業後は損害保険会社に就職、数年後で代理店として独立し、
私はお金の自由を手に入れたのです。
しかし数年後、順調だった仕事で壁にぶつかります。
数字は伸び悩み、父の落選どころではない挫折感で落ち込む日々…
そんな私を救ったのは、カウンセリングやセラピーの存在でした。
「人はパンのみにて生くるものにあらず」
という古い言葉もありますが、
心の大切さを実感した私はカウンセラーの勉強をし、青年会議所の仲間と、
不登校の子どもを持つ保護者の皆さんを支援するワークショップをおこなうなど、活動をはじめました。
ちょうどその頃、父は6度目の挑戦を迎えようとしていました。
しかし、もう自民党からは公認が出ないという知らせ…
無所属でも出馬するという父を支える覚悟をした私達家族ですが、
そこで私に区議選への打診があったのです
不登校の子どもたちを支援するなかで感じていたのは、親御さんたちが相談に来てくれる子どもたちにはまだ希望があるということ。
それぞれの事情の中で、助けが欲しくとも声を上げられないご家庭もあります。
もしかしたら、「助けて」と言えることすら気づいていないのかもしれない。
そのような家庭にアプローチできるのは、行政です。
「あなたのことを、行政は支えることができるんだよ」
区議会議員ならそう手を差し伸べることができる。
こうして私は区政へ挑戦する決心をしました。
あれから13年、地域の皆様に支えられ、今はこうして新しいチャレンジの真っ最中です。
父も想像すらしなかったと思います。
でも、父も私も家族も、目指していたのは単に「当選」ではありません。
当選のその先で、地域の悩みや困りごとを解決したり、より良いまちを形にしていくこと。
それが私達家族の夢でした。
いろんな苦労があったから、いろんな痛みが分かると感じています。
「すべての人に寄り添う政治」
今までもこれからも、私の目指すものは変わりません。