【蓮ノ空】作中舞台背景について考える
noteを初めて書く。
というのも、『蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』に出合って以降、Xでつらつらと書くと少し照れてしまうような妄言が頭の中に溢れて仕方がないのである。
幸いこの悶々とした気持ちを晴れやかにする方法を2つ知っている。
ひとつは、話を受け流してくれる親愛なる友人を生贄とし自己中心的にベラベラと喋り倒すこと。これは体験談的に結構嫌われるので避けたい。
ふたつめは、がむしゃらに文章化して書き殴ったのちにインターネットに不法投棄すること。これは何故か鼻につく文体であればあるほど気持ちがいい上に残り続けるからタチが悪い。
一度SNSで扱われる文体についても真剣に考えてみたいが、とにかく私は悶々とした鬱憤を晴らすために、ふたつ目の小恥ずかしい文章を不法投棄しあわよくば読んでほしい、恐縮ながらなんとも浅ましい志でnoteを書くに至った。
いぇい。
ラブライブシリーズと蓮ノ空
はじめに、『蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』(※以下『蓮』)は
新生部活動や同好会から始まっていた他のラブライブシリーズと設定の乖離が節々に垣間見える。
中でも、スクールアイドルの伝統が存在(ラブライブ優勝経験あり)しているバックストーリーは、シリーズを比較しても大きく異なり、また強調されている。
現3年生の沙知が101期生にあたるため、安直に考えて100年近くの歴史があることが物語の前日談である。アイドル活動で廃校と廃部の危機を救うサクセス(?)ストーリーとはかけ離れ、のびのびと活動できていることがわかる。
話は逸れるが、生徒会長キャラが活動を邪魔するテンプレートが撤廃されたのも以上の事由による変化だと思われる。ヘイトが溜まりやすい損な役回りだったためテコ入れが入ったのかもしれない。
当然、リアルタイムで進行する点と、生配信を行うvtuberモチーフの特性上脚本に制限があったことは間違いない。
ゲームプロデューサー佐藤氏のコメントを以下に引用する。
以上のように『蓮』では、根本から他作品と異なる特性を持ち合わせ、
その特性を起点とし、これまでの作品テンプレートをガラッと変える、ポストラブライブ的挑戦が散見される作品である。
次項で他の設定にも着目したい。
舞台設定
『蓮』を舞台設定の観点から、他の同シリーズ作品では見られなかった特色と相違点を比較すると以下が挙げられる。なお、リアルタイム進行+vtuberという特性は除外して考える。
また『ラブライブ!サンシャイン!!』の略称はラッシャイとする。譲れない。
・ユニットでの活動がメイン
・舞台が地方(ラッシャイと類似)
・全寮制の女学院
・周囲が山で囲まれる
羅列して考えられることは無数にあるが、注目したいのは蓮ノ空女学院という学校が閉鎖的空間としての役割を担っていることである。
花帆の想像とは相反した舞台を配置。その舞台で「花咲こうともがく」ことで、アイドルの輝きを一層際立たせるのであるが、それは彼女の知る所ではない。彼女たちの行動が「もがく」と直接的な単語で表されている所が重要である。
また、閉鎖空間と外部をつなぐ役割を果たしているのが「スクコネ」であり女学院で暮らす生徒たちにとって、「スクコネ」は閉鎖空間から抜け出すための唯一の抜け道として機能する。
花帆の行動を振り返ると、彼女は2回女学院からの脱走を試みている。
「スクコネ」を知る前と、ネットが規制された2回であり、花帆がいかに外部との接点を重要視しているかが窺えるだろう。
さらに不気味なのが、花帆以外の生徒は女学院の制度に納得している様子なことである。(唯一学校の下見をしないで入学したので当たり前なのだが、スマホに精通している彼女が事前に地図すら見ないものだろうか。)
「外出には許可が必要」「門限が厳しい」「ネット禁止令」などの規則が当たり前のように受け入れられていることが、閉鎖空間の存在感を大きく助長させている。
加えて、花帆には病弱設定があり幼いころは外に出られなかったと発言しており、高校で花咲きたい(外に出たい)と願っている。
バックボーンも踏まえると花帆は閉鎖空間からの脱却を願うも、夢が叶わず蓮ノ空女学院という新たな閉鎖空間に幽閉されている少女なのである。
※以上の構図は『マリみて』や『革命少女ウテナ』等の百合作品に配置されている学園の中の温室花園と酷似しているのだが長くなるので#2で書きたい
ここまで情報を挙げると、実は花帆の言う「もがく」という意味合いが他のメンバーとの間でズレが生じていることがわかるのだが、こちらも長くなるので別途書きたい。
ラッシャイと蓮ノ空
盛り上がってしまい、思っていたよりも花帆のことについて書いてしまった上記の他シリーズとの相違点から別の見解も出したい。
他作品との差別化はさることながら、特に地方校である浦の星との対比を意識して舞台が形成されていることがわかる。
ユニット活動は勿論、実家同士でのやり取りやグループの家に向かうシーンが印象に残る『ラッシャイ』と全寮制の『蓮』。沼津の海、金沢の山。
海が特徴かつ、誇りとして描かれている『ラッシャイ』とは違い、金沢の自然を閉鎖空間装置として扱っていることからも、舞台の自然に対しては根本のスタンスからして異なる。
一方で、類似する点もある(あんまり見つけられてないけど)。
それがお風呂である。『ラッシャイ』の千歌の実家が温泉旅館ということもあり、頻繁に入浴シーンが挟まれているのだが、『蓮』においても入浴シーンが多いラブライブである。体感各話1回はお風呂に入っている。本当は回数とかお風呂での作品展開を調べて比較する予定だったのだが、別の機会にさせてください。
おそらく何かしらの類似点が見いだせると思います。
力尽きた&調べが圧倒的に足りないので、結論。
『スパスタ』が無印の内容を踏襲していることから、次作品である『蓮』を『ラッシャイ』のオマージュ作品として構成されている可能性が高い。
という…見解に説得力をつけたかったんだけどね…。
上手くいかなかったね…。
おわり
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?