見出し画像

作品がつくり出す「しかけ」

気づくのは、コンセプチュアルアートの作品はいずれも「できばえがいい」ということだ。

これは、活字のあり方にも似ている。書き文字は書いた人間の行為の痕跡を感じることができるが、活字はそういうことがない。読み手が読み進めるうち、活字による「世界」が出現する。それは、多くは個人的なものである。

コンセプチュアルアートの「ウェルメイド」なできばえは、作り手の存在の気配、体臭を消すことによってそこに、鑑賞者と作品以外誰も、何も入り込めないような「しかけ」をつくり出す。

では、音楽にもそういうしかけ(装置)があるだろうか? ミニマル音楽では「繰り返し」かもしれない。古典的なクラシック音楽では和声・旋律・リズムだ。典型的な現代音楽ではどうだろう? ない?

典型的な演劇・舞踊では「役者の肉体の現前性」だし、映画では「闇とそこに浮かぶスクリーン」だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?