友達に久しぶりに会ったことで、自分の輪郭がすこし整った気がする。
お客様に捲し立てられるという嫌な夢を見てしまったので、起き出してnote を書いている。これが初夢じゃなくてよかった!
わたしには友達が3人いる。
これを少ないと見るか多いと見るか。
わたしには「連絡先を知ってたらみんな友達」という考え方ができない。人に心を開くのに時間がかかる性格なのもあって、知り合いと友達は全く違うジャンルだと思っている。
人に話すと笑われちゃうような、ふと浮かんだ野望を熱く語れる相手かどうか。自分の弱点について真剣に相談できる相手かどうか。これが私の友達の基準である。
1人は東京にいて、出身も大学も全く違う友達。学生寮にいた頃に向かいの部屋だったのがきっかけで意気投合した相手である。わたしが大学の単位を落としそうになった時は毎日一緒に寝て朝起こしてもらったりと、いろいろと頭が上がらない。
彼女は結婚もしたけれど、家同士が徒歩5分ぐらいしか離れていないため、今でもちょくちょく会っている。
もう1人は、高校に入る時に大阪に引っ越してしまった同級生。同じクラスになったのが小学校5年生の1回だけなのに、部活も全然違うのに、なぜか今でもずっと交流を続けている。
3年に1度くらいしか会わないのに、久しぶりに会えた時には近況報告もほどほどに、身の回りの出来事を「あぁこういう考え方もあるね」と落ち着いて語り合える存在。
それともう1人、地元にいる友達。小学校から高校まで一緒で、得意科目は違うものの成績は同じくらいで、ずっと切磋琢磨してきた相手。
滅多に会うことはないけれど、彼女とはものの考え方捉え方が似ていて「あの子は多分頑張ってるからわたしも頑張ろう」と踏ん張りたい時の心の拠り所になっている。
今年は「そろそろ会いたいね」と言ってたのを有言実行できた年だった。(1人はしょっちゅう会っているけれど)
家族以外に私のことを知ってくれている人ってものすごく貴重である。
下手をしたら、家族よりも私よりも私のことを知ってくれているんじゃないかとさえ思う。
わたしの友達の素敵なところは、正直に意見をしてくれること。何を言ってもバカにされないって分かっているから、つい安心してやりたい事とか野望を語ってしまう。話していくうちに自分でも意外な願望が口から出てきたりして、びっくりすることもある。
職場の取り壊しが決まって、これからに悩んでいること。
いまの仕事とやりたいことの接点が見出せないこと。
いまの仕事をやりながらでも別のことに挑戦はできること。
何をすべきなのか分からず地団駄を踏んでいること。
悩みを話したからって何も解決はしないけれど、頭の中が整う感覚はある。この考え方をやっててもいいんだって確信が持てる。
私の周りには、会っていて気持ちの良い人しかいない。
その逆はどうだろう。
今日のわたしは、人の話をうまく聞けただろうか。
わたしの笑い声は、あなたの気持ちを明るくできているだろうか。
わたしと過ごす時間は、彼女たちの明日の活力になれているのだろうか。
わたしの文章は、どこかにいる誰かの味方になっているだろうか。
2020年は何かをもたらす存在として、厚い人間になりたいと思う。これは意思表明である。