マシーン日記を観た。(3月17日追記)

マシーン日記。私が見たのは2月26日Bunkamura。
見終わってもわくわくが止まらない舞台だった。
ポップなアングラっていう感じ?
このたまらない充実感は懐かしい感覚だった。
その昔、学生時代に背伸びして行っていたテント芝居で、内容は良くわかっていないのに体に何か満ちてくるような、そのまま忘れずにおきたかったそれだった。
こんな思いをこの歳になってもまだ味わえてる楽しさといったら。
横山さん見たさと演劇に飢えた私にとっては、ありがたい舞台だった。

大倉孝二さん演じるアキトシの得体の知れない無邪気さと不気味さ。
秋山菜津子さん演じるケイコがなんとも勇ましくもかっこよくて、理不尽でも許せそうな気がした。
森川葵さん演じるサチコの痛々しさと哀れさとちょっとのずうずうしさ。
森川さんといえば、Aスタジオで横山さんの名前を本名呼びしたうっかりさんのイメージが強くて(可愛くていまだに録画を見る)、認識を新たにしました。よくぞあの役をやってくださった!

何度も頭の中で振り返るにつれ、やっぱりたどり着くやるせなさがあった。
きりがないので、一回吐き出してしまう。
以下は、あくまでも個人の感想。

今回の芝居はプレハブに閉じ込められている設定だけれど、舞台はセンターステージ。
この四方からの視線にさらされるという状況は、あけっぴろげの様でいて逃げ場がなくて、演者にとってはある意味ちゃんと監禁状態だったのではないかと思った。
それにしても横山さんの色白は、ライトに飛ばされるとか発光してるなどと冗談にされたりするけれど、薄暗くなった舞台や最後の挨拶に出てきた時の横山さんは、まさに発光していた。
もともとは舞台のためではなかった金髪も、少し荒んだミチオっぽくてライトが当たってないときにも、ぼんやりと存在を浮かび上がらせるいい仕事をしていた。

何かにつけ「これだから」と鎖に繋がれていることを示すミチオ。
これって、『だからできない』のではなく、社会へ出ないですむための言い訳だったのではないか。
そう思ったのは、ラストのミチオ。
だめになった就職だったけれど、一時でも社会人として自分が認められた証であり、その象徴としての背広。
それまでなりたくても『鎖があるから』、そして『自分を知る人がいるから』ここでは社会人になれないと言っていたのが、いきなり鎖から解き放たれ、障害物は排除するから社会人になれと突き付けられ、言い訳のもとを絶たれた彼は、暴れまくるケイコや呆然とするアキトシや死んでしまったサチコや、何より失った自分の足のことにすら触れずに、背広を着て「社会人やっていけるのかな云々」とつぶやくのだ。
思いがけない形で鎖(言い訳)から解き放たれ自由を得て(まだケイコに縛られてるけど)、開放感なのか、不安なのか、壊れたのか。
いや、そういうことを考える芝居じゃないはず。

ミチオが「これがあるから」とやってるとき、『できない、無理』っていうための言い訳を探す自分が浮かんできて、ちょっとぞっとした。
アキトシが独りよがりな考えを、お前のため、みんなのためだからと言わんばかりの態度で押し付けてくる感じは、身近なあの人のようだし。
サチコの裏で揶揄しながらも、結局強いものに寄りかかって、自分で考えることを放棄して居場所を作る感じは、物事を投げ出したくて仕方ないあいつのようだし。
ケイコが命令する側から、「命令して、何でもするから。」となったのは、誰かのためにやってる確信が欲しかったのかなと思ったり。結局、「命令して。」と命令してるんだけど。求められてやってるんだと思いたいのは、私も同じだし。

そう、なにしろやっていることはありえないことなのに、なんだか覚えのある痛い感じがひしひしと迫ってきた。そこはそっと蓋をしておく。

ほんとは、早い時期に一回観て、間で脚本読んで、終わりの方でもう一回観るってしたかった。
いろんな角度からも観たかったし、プロジェクションマッピングも音ももっと堪能したかった。
当日があったら、もっと観に行きたかったけど時節柄無理でしたねえ。残念。
以前の舞台も観たいなあ。
内容から想像したセットは、まさにプログラムに載ってた以前の舞台のセットだった。
そういう、小さいところでやるマシーン日記も観たい。
癖になる舞台だった。

追記 2021年3月17日

大根監督のInstagramに舞台セット写真が掲載された。

私の位置から見えなかったあれこれが魅力的だった。

やっぱり、いろんな角度から見たかった。チケットを取る時、舞台の形状も考えてとろう。近いばかりが正解じゃないとつくづく思った。



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