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エイベックス松浦さんがCEO退任で語る「コーライティングによるゲームチェンジ」




 松浦さんのCEO退任について、僕はなにか語る立場ではありませんし、何も情報を持っていません。ただ、コメントの中に、「音楽の制作手法も個人で作る手法から、Co-Writingというチームで作る手法が増え、まさにゲームチェンジの時を迎えている」との発言があって驚きました。
 僕が伊藤涼を誘って2013年1月に「山口ゼミ」を始めた時は、日本でコーライティングについて語る人は皆無でした。欧米との違いを知っていた僕らは、プロの作曲家を育てる際のテーマとして「コンペに勝つ」という現実的な目先の課題と共に、「Co-Writing(のマインドとスキル)を身につける」の二つを掲げました。実績のある作曲家がたくさんいる中、新たに入り込んでいくための「武器」として「Co-Writing」は有用だろうと思ったからです。スキルの高い作曲家ほど、一人でやれてしまいますから、実績のある作曲家はコーライトに目を向けず、むしろ見下しているような印象もありました。そこにつけ込む余地があった訳です。僕らの予測と目論見は見事に当たり、日本もCo-Writingによる曲作りが主流になりつつあります。Co-Writingに関して経験豊富な「山口ゼミ」卒業生による作曲家コミュニティ「Co-Writing Farm」は、活躍の場を広げています。まだスター作曲家は誕生していませんが、日本の音楽界に存在感を持ち始めていることは実感します。僕らが海外の一流作曲家とCo-Writingする機会も作っていて、貴重な経験を積み上げています。
 デジタル化によるDAWの進化で起きているクリエイション、音楽制作の変化によりクリエイターサイドに音楽制作のイニシアティブが移ってきています。以前、noteに「作詞家がコーライティングに入ってくる」流れが起きているという文脈の延長線上で触れました。興味のある方は読んでみてください。



 そして、このクリエイターに音楽創作、制作のパワーシフトは、音楽ビジネスのルール、スキームにも大きな影響を与えることになるでしょう。本稿ではビジネス視点で説明します。大きく二つのポイントがあります。

1)日本独特の出版権の業界慣習が続けられなくなる

 欧米では音楽出版権はソングライターに紐づきますが、日本ではアーティストサイドがコントロールするのが業界慣習です。自作自演系のアーティストでは矛盾は生じませんが、職業作曲家が楽曲提供する場合は、海外と大きな違いが生じます。ジャニーズのアーティストの楽曲の出版権はジャニーズサイドが、AKB48はAKSが、LDH所属アーティストは、、、いずれにしてもアーテイスト側がコントロールして事務所やレコード会社が出版権のルールを決めています。僕は日本の音楽業界で育ち、一番リスクを負い、結果のために努力するのはアーティスト側だと知っているので、このルールに違和感はないのですが、欧米の作曲家は納得しません。どうしても使いたい曲がある場合は、ジャニーズ事務所も外国人作曲家については出版権を渡すことに同意しています。(ちなみにAKB48のコンペに外国人作曲家の参加がNGなのはそれが理由です)海外の音楽出版社は、有望な作曲家と専属契約をして印税アドバンス(前払い)をすることで出版権を確保します。LAの作家たちと話すと、新人段階での彼らの目標は、スマッシュヒットを1曲だして、大手音楽出版社と専属契約を結んで契約金を獲得することです。(その金額が日本円で1千万円以上が相場で、マーケットが大きくて羨ましいですね)ちなみに成功した作曲家は自分で音楽出版社を設立して、自分で出版権を持ちます。 
 現状は、日本人作曲家と外国人作曲家に「逆差別」が起きている訳です。出版権は作家取り分の50%というのが国際的に標準ですから、日本人は外国人の半分しか印税がもらえていないことになります、そして悩ましいのは作家事務所の存在です。本来は音楽出版社が担うべき作曲家の育成が不十分なために、多くの新人作曲家はコンペに参加するために作家事務所に所属することになります。長年アーティストマネージメントをやってきた僕は信じられないのですが作家事務所は40%以上のマネージメント料を取ることが珍しくないのが現状のようです、印税アドバンス(前払い)などのリスクを持たずに、彼らは作家に対してどんな付加価値を付けているのでしょうか?

 さて、この状況だと外国人と日本人がCo-Writingして採用された場合、受け取る印税が、日本人が外国人の1/3以下ということがあり得るようなとんでもない「逆差別」が生じています。では例えば、LAや韓国に移住して外国人みたいなペンネームの日本人作曲家が出てきたらどうなるのでしょうか?日本でコンペに出す際にパスポートのコピーはつけませんので、見分けることは不可能で「外国人ルール」の適用が可能でしょう。意図的にペンネームを外人風にして、「海外作家扱い」を求める事例はでてくるでしょう。いや、おおっぴらにならないだけでもう起きているのかもしれません。作曲家たちの国際化が進んでいくと、このように矛盾がどんどん明らかになっていくのです。

 出版権の日本独自慣習についえは、もうひとつ大きな問題があります。地上波テレビ局の子会社の音楽出版社が、番組タイアップが決まると楽曲の出版権を持っていくという慣習です。これはアメリカでは独禁法の特権的な地位の濫用として、明確に違法ですが、日本では業界の常識として長年続いています、テレビタイアップの影響力が落ちている中で、この慣習も続けられなくなるのはそんなに先のことでは無いでしょう。

 ちなみに、日本の音楽業界が(いつものことですが)うかうかしている間に、アジアにも欧米ルールが根付きつつあるようです。国際化では大きく先行している韓国はもちろんのこと、昨年台北で行なった日本人と台湾人作曲家のコーライティングキャンプでも、台湾作家側も同様の主張がありました。大きな刺激と可能性を感じた台北キャンプのレポートはこちらです。


2)原盤権(パフォーミングライツ)の位置付けの変化


 レコーディングの費用を負担したところ(多くの場合はレコード会社、事務所や音楽出版社との共同原盤の形も多い)が原盤権を持って、契約に基づき、売り上げから印税をアーティストに払うというのが従来の音楽ビジネスです。ここのルールや仕組み、そこでの金額や料率に関する「相場観」も変化せざるを得ません。これもデジタル化に伴う環境変化が背景にあります
 レコーディング関する費用が著しく下がったことも理由です。20年位前までは、1日30万円位かかるプロフェッショナルスタジオと1時間1万円位の報酬のレコーディングエンジニアでのレコーディングが一般的でした、メジャーレーベルでの契約の相場観は、アルバム制作予算は1500万円前後。「海外レコーディングして3000万円以上かかちゃったよ(笑)」みたいな会話が許される牧歌的な時代でもありました。今は能力の高い音楽家であれば自宅DAWで全てを完成させることも不可能ではありません。数十万円程度の編曲料、ミックス料を払うことで、原盤権をレーベル側を持つことが合理的と言えるのか、微妙な状況になっています。原盤譲渡や原盤供給という契約形態はこれまでもありましたが、大手レーベルは忌避することが多く、その条件も公正さに欠く場合が少なくありませんでした。

 そもそも、CDが主力商品でマスメディア露出とTVタイアップが効果的な宣伝手法だった時代は、レコード会社が音楽ビジネスのプラットフォームも担っていたので、資金力の問題だけではなく、収入の主な入り口がレコード会社であることに必然性があり、アーティストにとっても作曲家にとってもメリットがありました。ストリーミングサービスとSNSでヒットが生まれる時代になりつつある中、レコード会社が付けられる付加価値の余地はどのくらい残っているのでしょうか?
 原盤権のあり方の変化は、もう一つの変化に繋がります。音楽業界を調べようとして、業界団体がたくさんあってよくわからないなと思ったことがある人はいるかもしれません。各団体は様々な歴史的経緯に基づく存在理由があるのですが、大まかに言うと「権利ごとに団体がある」という側面があります。煩雑になるので詳細は割愛しますが、アーティストとソングライターたちがCo-Writingで作品をつくって、ストリーミングサービスで配信するようになると、そもそも権利の区分をする合理性が揺らぎます。「一箇所にまとめて分配した方が合理的なのでは?」という声は強くなっていくでしょう。コーライトが音楽制作の主流になることは、様々な変化とセットなのです。全体の大きな変化の方向は、音楽家に比重が移っていくパワーシフトです。これは環境の変化に伴う必然なので、止められず、必ず起きます。業界の中で仕事してきた人には(僕も含めて)信じられない変化ですが、5年後に今ままでと同じルールが通用するとは思えないのが厳然たる事実でもあります。

 さて、良い方向に向かっているように思える音楽ビジネスのパワーシフト。音楽家の発言力が強くなっていく際の僕の心配は、日本の音楽家がそれに耐え得るかということです。

ゲームチェンジに日本の音楽家は準備できているのか?

 松浦さんの記事を見つけて、Co-Writing Farmのメンバー何人かがいるメッセンジャーのスレッドに、興奮気味に「コーライティングに日が当たるというチャンスだよ」と投げたところ、作家達の反応は「社長が言っても、現場のスタッフに響くんですかね?ディレクターがコーライト作品に興味持ってもらえなけば、僕らにはメリットないです」とのレスで、心底がっかりしました。「どんだけ受託根性がしみついてんねん!もうお前とは話さん!」とキレました。(人間ができてなくてすいません><)
 と言いつつ実は、「山口ゼミ」では「作曲家やアレンジャーは、BtoB (toC)な職業で、まずは楽曲を採用し、リリースするディレクターやアーティストの役に立てるようにに自分のセンスとスキルを提供しなさい、独りよがりになってはダメです。」と指導しています。彼らはその教えを忠実に守り、頑張っているのかもしれません。現在の目先の課題をクリアーしていくことと、ゲームチェンジングに備えることの両立の難しさを実感しました。「山口さんは夢みたいなこと言ってればいいだろうけれど、僕らは来週のコンペで勝ちたいんです」というのが彼らの本音だとしても当然ですね。
 そんな感じでショゲていたら、古い友人でもあるサウンドプロデューサー浅田祐介が元気をくれました。実績のある作曲家、サウンドプロデューサーが集まって、「ORDI」というプロジェクトを立ち上げるのだそうです。受身だけの姿勢をやめて、クリエイター自身がビジネスにコミットしていくムーブメントのようです。藤井丈司、多胡邦夫、島野聡といった才能も経験も豊富な日本人サウンドプロデューサー達が連携して動くのは興味深いです。彼らの活躍に期待します。

 デジタル化の進展は、情報やノウハウの「ブラックボックス」を無くしていきます。民主化と中抜きは避けられず、付加価値がつけられない存在は葬り去られます。僕自身は音楽ビジネスのプロフェッショナルとして、アーテイストに貢献する(付加価値がつけられる)自負があるので、個人としての恐怖感や嫌悪感はありませんが、従来型の芸能界、音楽業界のやり方が通用しなくなることは間違いありません。音楽ビジネスは音楽家の側に戻ります。日本のアーティストやクリエイターはその責任を背負うだけの自負とビジネスに対する知見を持っているのでしょうか?権利と義務はセットです。僕が心配なのは、これまで業界に守られ(視点によってスポイルされ搾取されていたとも言えます)てきた、日本の音楽家たちのビジネスマインドと責任感の欠如です。音楽業界という村社会で、お行儀よくしていれば、誰かが引き上げてくれるという時代は終了しました。コーライティングが生まれてくる背景と、普及していく結果が、松浦さんが指摘された「ゲームチェンジ」を促進していことは間違いありません。

松浦さんは、日本のMAXとしてCo-Writingに参加を!

 最後に、松浦さんは引退する心配はしていません(笑)、新しいことに常に挑戦していく松浦さんは音楽業界に革新をもたらしてきました。これを機会に、コーライティングにディレクタースタンスで参加してワールドヒットを連発しているマックス・マーティンの存在をベンチマークし「日本のマックスマーティンは(伊藤涼ではなく)松浦勝人だ!(通称Maxだしww)」と言って、コーライティングのメンバーになる(コーライトインする)ことを期待します。作曲家たちは正直やりずらいんでしょうが、楽曲の採用率が高くなり、ヒットの確率が上がるメンバーの参加は歓迎のはずです。

そういえば、Co-Writingする人、している人は、電子書籍もあるので、この本はちゃんとチェックしね(^_−) ちゃんとグローバル基準で情報をまとめています。

【追記】
ニューミドルマンコミュニティを一緒にやっている脇田敬が、「業界タブーをしれっと書いてて面白いし、話しましょう」ということで、ZOOMでのトークイベントやることになりました。ご興味ある方はどうぞ!


モチベーションあがります(^_-)