第五章:個へのパワーシフト-1-DIYで何でもできてしまう時代(期間限定公開)〜『音楽業界のカラクリ』サポートページ
第5章 個へのパワーシフト という構造変化
個人で何でもできる(DoItYourself)時代に
デジタル化によって音楽家が個人で録音から製造、マーケティングまで行える時代になりました。これにより、インディーズアーティストの売上が増加するといった市場シェアの変化も起きています。
Do It Yourself、自分ですべて行うという意味の言葉は、音楽だけではなく、ライフスタイルを表す言葉としても用いられることが多くなっています。音楽においては、ビジネス構造の変化を象徴する言葉になっています。
CD時代は、音楽制作には資金と人手が必要で、組織が不可欠でした。デジタル化によって、あらゆる面 で個人でやれないことがなくなっています。法人が関 わるとすれば、何によって音楽家に貢献できるかが問われる時代なのです。これからの音楽業界は、音楽家側からの「何をしてくれるの?」という問いかけに答えられることが必要です。
以下、領域別に見ていきましょう。
録音/原盤制作
以前は、高いクオリティを持った音源を作るためには、プロフェッショナル向けの立派なスタジオとレコーディングエンジニアの存在が必要でした。1日で20~40万円のスタジオ料金や、1時間1万円以上のエンジニア料は、原盤制作費のコストになります。大きなスタジオでは、アシスタントエンジニアとの二人 体制が一般的でした。スタジオミュージシャンといわれる腕利きの演奏家は1時間1万円前後の演奏料を受け取ります。一曲のレコーディングに100~150万円という予算が組まれていました。
PCとDAWソフトや生演奏録音していないことわからないほど高品質のサンプリング音源、周辺機器などの著しい機能向上で、プロの音楽家は、自宅で 遜色のない音源を作成することが可能な時代になっています。初期投資も少額です。筆者は「山口ゼミ」とい うプロ作曲家を育成するプログラムを2013年から行ってますが、卒業生でプロとして活動している作曲家に、これから始める人への初期コストを尋ねたところ、PC購入費を含んで23万円という試算が出てきました。音楽ジャンルやプロデュース方針で一概にはいえませんが、数千万円の建設費で作られたスタジオが必要なケースは減っています。
自宅で完成形が作れるということは、1曲あたりの原盤制作費を最小化します。自分で歌って演奏するのであれば、極端なことをいえば0円で制作できるわけです。
音楽家同士が対等の立場で共同で創作/原盤制作 を行うコーライティングの普及も大きなポイントで す。前述(本文P35参照)の図によると、ビルボー ドTOP 楽曲の作詞作曲者の人数は平均2.4人から4.0人に増加しています。制作現場がスタジオから解放されて、音楽家個人のネットワークの重要性が増したことによって起きています。コーライティングの普及は、個へのパワーシフトの結果でもあると同時に、制作のイニシアティブが音楽家側に移っていき、 個へのパワーシフトを促進するという相乗効果が出てきています。K-POPの躍進の背景にもコーライ ティングの効用が語られています(本文P156の伊藤涼インタビュー参照)。
ここで注目されるのが、原盤権の取り扱いです。
1曲100万円以上のコストがかかるのであれば、 レコード会社による資金が重要です。その音源の権利 を持つ合理的な理由になります。CD時代には、レ コード会社を中心に、ときには事務所や音楽出版社も資金を投資して、原盤制作が行われていました。PCでDAWの時代には、音楽制作の前提が変わっていま す。原盤権は音楽家自身が持つケースが増えていくことでしょう。個へのパワーシフトの象徴の一つです。
製造・流通
レコード会社の役割は、品質の高いCDをプレスして、各地のCD店に確実に届けることでした。発売日 に適切な枚数を、そして売り切れそうになったら適切 な追加枚数をCD店と協力しながら、届ける仕組みが、特に日本では他国以上に洗練されていました。
デジタル配信サービスが音楽消費の中心になるこ とで、構造変化が起きています。
Spotify、Apple Music、Amazon musicといった音楽配信サービスは、ディストリビューターと呼ばれる流通会社を通じて、音源などをアップロードして行う形になっています。以前は、この流通会社もプロユースの会社のみでしたが、デジタル化の普及とともに、多くのディストリビューターは、門戸を開放して、 誰でも配信サービスを使えるようになっています。アメリカの TuneCore は、年間定額の使用料を払えば、 誰でも配信が可能、売上は100%還元するという仕組みで、インディペンデントの音楽家たちに強い支持 を得ました(P112インタビュー掲載の野田 威一郎さんが代表を務めるTuneCore Japanは、アメリカ本社と日本のスタートアップの合弁会社です)。
デジタルサービスの流通においては、レコード会社の役割はデジタルディストリビューターが仕組みを提供することで不要になっています。
マーケティング/宣伝
音楽に限らず、デジタル化の大きな変化として語られるのは「メディアの民主化」です。
CD時代は「テレビタイアップ」がヒットの源泉になっていたことは前述のとおりですが、デジタル時代 になったいまは、SNS/UGMから大ヒットが生まれています。
音楽雑誌への広告出稿も、ラジオ局へのCDを持ち 込んだ営業も、必要ありません。アーティスト自らの SNS発信が最も重要です。Spotify のプレイリストが雑誌やラジオの役割を代替するようになっています。プレイリストの選曲をする人に楽曲を送る仕組みをSpotify は無償で提供していますし、サブミッションメディアといわれる安価でインフルエンサーを探して楽曲を送れる仕組みも徐々に広がっています。楽曲の宣伝に必要なのは、デジタルマーケティングになっています。宣伝と販売が一体化するのが、デジタル時代の大きな特徴です。
著作権管理・印税分配
音楽は、著作権、原盤権以外にもアーティスト印税、 プロモーション印税等々、楽曲の収益から一定の料率 で分配される多種多様な「印税」があります。楽曲著 作権以外の分配は、これまでレコード会社の役割でした。これらも、「徴収業務」「計算業務」「分配業務」と機能分解され、安価で請け負う会社が出てきています(音楽出版社の変化については後述します)。 これらの事象を総合すると、CD時代はレコード業界が、いわば音楽ビジネスのプラットフォームの役割 を果たしていましたが、いまは、過去に録音された作
品のデジタルサービスへの窓口機能となっています。 そして新たに録音される楽曲については、音楽家個人でやれないことはなくなり、必ずしも必要ではなくなっているということがおわかりいただけるかと思います。
インディーズのシェアが増加
この変化は市場シェアにも現れています。グローバルで語るときは、メジャーレーベルはユニバーサルミュージック、ソニー・ミュージック、ワーナーミュージックの三社というのは前述したとおりです。
デジタルサービスが広まった際に、世界のインディーズレーベルが、グローバルの配信事業者と条件 交渉をする際に不利にならないようにできたのが、Merlinという団体です。歴史あるインディーズレーベルの多くは、Merlinを通じて配信会社と条件を定めています。
これらを踏まえて、Spotify再生シェアの図を見てください。三大メジャー と Merilin とnon-merlinとartist directと四つのカテゴリーで売上比率が分析されています。non-merin と artist direct の明確な区別はわかりづらいところがありますが、いわゆるDIY的なインディーズアーティストはこのどちらかに含まれま す。2019年でこの比率は合わせて18%、2020年には22%と伸び率も大きいとのデータが出てきています。アーティストが自分で制作して、配信して、収益を受け取るという「個へのパワーシフト」が起きて いることがよく見て取れると思います。
2025年は日本のデジタル市場の1/3をインディーが占める?
デジタル化が遅れている日本でも、驚異的なデータが一つ出ています。TuneCore Japan のデジタル売上における比率と伸び率です。
2020年度の TuneCore Japan のアーティスト還元金額は71億円となっていて、レーベルと比較すると国内3位のシェアになる驚くべき金額です。伸び率も前年比166% と大きく伸ばしています。日本レコード協会加盟社の全体の売上合計が783億円ですから、いわゆるイン ディペンデントアーティストのデジタルにおける売上がすでに一割弱あるということになります。レコード 協会加盟社が前年比111%ですので、単純に算数的な計算をしてみましょう。
このままの成長率が続くと仮定すると、2025年にはレコード協会加盟社(いわゆるレコード会社)の売上は1188億円、 TuneCore Japan還元額は565億円となり、インディーズアーティストが日本のデジタル売上の1/3を占めることになります。単純計算で未来予測はできませんが、デジタル市場においては、求められる役割が変わっていくことは間違いありません。
デジタル時代には、レコード会社の役割の再定義が必要なことを様々なデータが示しています。
このように、従来のレコード会社の役割はデジタル化によって根本的に変わっています。現役アーティス トがこれからリリースする楽曲においては、レコード会社に頼らないとできないことはほぼありません。デジタル売上比率が上がっていくことで、その影響はどんどん広がっていきます。
見逃せないのが、カタログと呼ばれる過去作品の活用という役割です。デジタル化が進んだ米国では、1年半以上前に発表された過去作品の比率が3/4を占めるようになっています。(本文 P33図参照) デジタル時代のレコード会社において、過去カタログ の活用によるマネタイズの重要性は著しく高くなって います。過去作品のユーザー主導によるヒットも出てきています(第8章:デジタル時代を象徴する新現象レポート参照 )。