大阪音大ミュージックビジネス専攻と岡本忠好教育主任について
大阪音大特任教授の契約終了の通知を受け、3月末で正式に退任します。不本意な過程については以前書いたので繰り返しません。これ以上、この問題に労力を使うのは避けたいのが正直な気持ちです。ただ、僕がお願いした客員教授や学生、父母の方々に対する不正確な説明や不誠実な態度が僕に伝わってきて、最後にもう一度だけ、事実を書いておく必要があると思いました。自分が関わった責任、公益性という観点でも避けられないと重い気持ちでPCに向かっています。
「恩を仇で返す」のは業界ではご法度、信義に反する行為
今回の出来事の発端は、ミュージックビジネス専攻教育主任の岡本忠好氏です。彼が山口や脇田の契約終了を希望して、経営陣が認めたという流れです。事態が発覚した時に、僕が最初に思ったのは「やっぱり、あの人は業界人じゃなかった」ということでした。芸能界や音楽業界は、外からどう見えているのかはわかりませんが、人と人との信義を最も大切にする世界です。形にならないもので商売を行う分、信頼関係を大切にするというのが大前提です。「村」に喩えられる、濃密で継続的な人間関係がベースですから信用を失った時のダメージは大きい訳です。
大阪音楽大学から依頼でのMB専攻を企画プロデュースすることが決まって、スタッフィングを始める時に、前職の専門学校で出世競争に破れ「学校長になれなかったからもう辞める」と言っていた彼に対して「大阪音大でリベンジしませんか?」と誘ったのは僕です。山口起点で始まったプロジェクトであることや、彼が前職で行き場を失っていたことは傍から見ても明らかですから、こういう形で「恩を仇で返す」ようなことは「業界人」ならやりません。自分のレピュレーションが下がって、仕事がやりづらくなるからです。いわゆる「世間を狭くしてしまう」ということですね。音楽業界で働こうとする学生に伝えようとしている大切なことの一つですが、「反面教師」が身近に登場したことになりました。
ただ、それだけなら、「僕が金輪際、縁を切り、その噂が広まり、事情を知った業界関係者が彼と仕事をするのを躊躇する」ことでOKです。そうやって業界と無縁になった人をたくさん見てきました。あとは、業界内での岡本レピュテーションが、大阪音大の学生にマイナスにならないようにだけ気をつければ良いことで、わざわざここに実名で書く必要はありません。僕は自分のnoteを大切な媒体だと思っているので、できればこんなことを書きたくありませんでした。
事件発覚後の数ヶ月の経緯も酷いもので、不安を訴える学生に対して「大学の決定で、俺も困っているんだよ」という事実と異なる説明をしたという情報も入ってきています。多感な年頃の学生が大学教員から、すぐに事実と異なると分かる説明を受けて、どう感じるのかわからないというのは、教育者の資質として問題があるとも思いますが、本稿では掘り下げません。
ここで書くのは、あくまで公益性の観点からの事実の公開です。私学助成金という形で税金も投入されている社会の公器である大学で起きたこととして、公益性のために情報公開をします。
ちなみに、今回の一件で、設立時にお願いした12人の客員教授はほとんどの方が退任します。僕を通じた連絡だけでは不十分として、直接岡本氏がコミュニケーションを取ったようです。皆さんからご報告をいただいているのですが、「駄目なのは30分話せば分かるし、説明に事実と異なることが含まれているのもわかるよ。でもあの人を大学に紹介したのは山口さんなんだよね?何故なの?」と複数の方から言われました。人の見る目の無さを責められると返す言葉はないのですが、その理由についても書いておこうと思います。
本稿のポイントは2つです。僕が大学から依頼され、0から企画して大学が認めて始まった、ミュージックビジネス専攻が、換骨奪胎され、全く違ったものになってしまったことの説明と、僕が紹介した形になっている、岡本忠好氏と西川典彦両氏の両氏は、大学教授としての適格性に疑義があることの表明です。いずれも公益的な責任が僕にあると思うからです。
デジタル時代の人材を生み出す仕組みでは無くなってしまった
大阪音大に依頼を受けて、提出し承認された企画書はこちらです。
僕に専攻を依頼した十川常任理事は、組織論に基づくルールで説明されていましたが、ミュージックビジネス専攻に関しては、この企画書が承認されたことが起点になっていて、広報プランも、講師選定も行われてきています。何か問題が起きた時には、ここに戻るのが「筋」だと思うのですが、そういうお考えはないようです。
岡本教育主任が、僕の意見に耳を傾けず、脇田、桑村といった専任教員にも情報を伏せてブラックボックス的運営することと相まって、このままだと当初掲げた「未来の音楽界、エンタメ業界に貢献する人材を育成する」というコンセプトのミュージックビジネス専攻が成立しなくなるという危機感をお伝えした際には、「開講した以上、教育主任が決めることで、特任教授のあなたが口をだすのは出過ぎたこと」というご説明でした。それが大学のルールだということなのですが、マンション管理組合の規約でも説明されたような気分でした。大学がどうあるべきかとか、学生をどう育てるかではなく、組織運営論を優先されるのだなと思いました。契約終了の手紙が届いたときに、すぐに身を引こうと思ったのは、その時の十川理事との議論があったからです。お会いした時に「企画した者として、理事長、学長にお伝えする責任があると思っている」とお伝えしましたが「理事長は、学生募集が上手くいって今の体制に満足している。自分から理事長、学長に伝えて、何かあれば連絡します」というお答えでした。ミュージックビジネス専攻の企画を依頼された方からそう言われれば、お任せするしかありませんでした。
岡本氏と西川氏の両氏に大学教授としての適格性はあるのか?
さて、客員教授の方々から批判を浴びていることへのお答えでもあるのですが、岡本氏を誘った時の動機は、僕が教育機関に本格的に関わるのは初めてだったので、彼が専門学校で培ったアドミニストレーター(職員)としての経験を役立ててもらえるかなと思ったからです。ファカルティ(教員)としての知見が無いことはわかっていました。約20年前に代表でやっていた会社が立ち行かなくなり、音楽業界での仕事が無くなって、以来は専門学校の教員のキャリアしか無い人です。アカデミックなバックグラウンドもないですし、音楽ビジネスの経験値も20年以上前のものです。僕が掲げたコンセプトを理解して、今の音楽業界事情について学んでもらいながら、専攻運営で汗をかいてもらえればよいなと思っていました。
ですから、紹介していきなり大学教授になったのは驚きました。僕の「常識」では、大学で教鞭の実績がなく、論文などの研究成果もない場合は、きちんとした出版社からの書籍の出版が専任教授になる条件だと思っていました。以前、電通のクリエイティブ局長で活躍された方が大学教授に転身する際に協力したことがあります。華々しい実業実績やカンヌ広告祭での受賞歴があっても、教授になるなら書籍出版がマストでした。そんな経験から、岡本氏に対しても「このままで大学教授の肩書は恥ずかしいから、書籍を書きましょう、僕と共著なら受けてくれる出版社はあると思います」といくつかの企画を提案したのですが、興味を示しませんでした。大学からも特にオーダーはなかったようです。大学という教育機関は権威があることが大切だと僕は思っていましたが、どなたがどういう基準で彼らを「教授」にしたのは謎のままです。
ただその時点では、専攻のカリキュラムや教員の選定には僕が関わる前提で、軸になる専任教授には、「デジタルコンテンツ白書」編集委員の実績もあり、デジタル軸の音楽ビジネスの研究実践を行っている脇田敬専任教授がいるので、問題ないと思っていました。「専攻長」というのは通称で、大学の役職としては「教育主任」で、専攻に関する全ての決定権があるというのは、問題が起きて十川常務理事と話して初めて知りました。
SNSもやらず、音楽ビジネスの知見もない「教育主任」
本稿を読んで、気になる学生や父母の方は、説明会などの現場で、岡本教育主任に対して、
「10年前と今と音楽ビジネスは何が一番変わりましたか?」
「3年後の日本の音楽市場はどうなりますか?アジア市場は?」
「NFTってなんの略で、音楽ビジネスにおいてどういう役割を果たすと思いますか?」
と訊いてみてください。今の音楽ビジネスに関する基本的な問いかけに対して、大学教授の知見に見合った返答はできないはずです。大学教授になってからも音楽ビジネスの話をされたことがありません。書籍を読んだという話を聞いたこともありません。「学生と向き合うことで学ぶこともありますよ」「デジタルについて勉強しましょう」という僕は何度もお話したのですが、アクションはありませんでした。
近年の音楽ビジネスにおいて外すことのできないSNSについても一切運用していません。「実際にアカウントを持ってやってみないとわからないものだから、フェイスブックだけでもやりましょう。新しい発見がありますよ」とこれは7〜8回言ったのですが、とうとうやりませんでした。「会社が倒れた時のことでコンタクトされたくない人がいる」みたいな言い訳にもならない理由を言うばかりでした。
西川典彦氏の適格性への疑義も同様
岡本氏のアシスタント的な立場で、専門学校時代からの部下、西川典彦さんについても、同じく大学教授としての適格性には疑念を持っています。前職の専門学校時代に、彼らが拙著『世界を変える80年代生まれの起業家』をベースに、起業をテーマにした学科を立ち上げ、その学科長が西川さんでした。情報や人脈などを提供したのですが、ピントが外れた動きで、学生も集まらず、その学科は数年でなくなりました。「テクノロジーや起業家精神の基本が理解できてない人」というがその時の僕の感想です。
今回もMB専攻が充実するためには、教員自身が専攻を通じた自己実現イメージがあることが大切を僕は考えていたので「この専攻を通じてどういうことをやりたいですか?」という問いかけました。「もう定年近いので、自分に与えられらたゲームのルールでやるだけです」と答えて「この大学は音楽業界に良い人材を送り込むことは望んでいません」と断言されて志の低さに驚きました。僕のメールに返信がなかったことを問いただしたところ、「マーケティングがわかってない人だと思って無視しました」と開き直ったのはもっと驚きました。
ちなみに彼は「マーケティング」という言葉が口癖で、学生向けの広報活動やシラバス作成をマーケティングと呼ぶこと自体、僕には違和感がありました。大まかに言うと「偏差値が低くて、学習意欲低くて親が困っている子供を上手に集めて、なんとか辞めさせずに社会に送り出すのが、親のニーズ」という考え方です。なので少しでもハードルが高いイベントは強硬に嫌がります。僕は、これからの音楽ビジネスにおいて、いわゆる学校英語、受験英語ではない「コミュニケーションのための英語」は非常に重要だと考えています。後述するKAZと客員准教授坪井安奈さんで「コミュニケーションの道具として英語を使っていこう」というテーマの高校生イベントをやろうという企画は、岡本西川両名に強く反対して実現しませんでした。「説明会で英語というと高校生が来なくなる」というのが理由でした。
「関西圏で低い偏差値の保守的な学生がターゲット」という決めつけがあり、「先進的な教育を求めている学生などいない。山口はマーケティングをわかっていない」というのが趣旨でした。学生に対しても失礼な発言だなと呆れました。顧客への尊敬がマーケティングの基本だと教えてあげたかったですが、放っておきました。
それでも、専門学校で20年働いた彼らがそこまで言うのだから、一定の根拠はあるだろう、意識の低い学生も入学してくるのかなと半ば覚悟していたのですが、実際に会った一期生は、音楽に夢を持ったやる気溢れる46人でした。これで彼らは考えを改めるかと思ったのですが、相変わらず「難しいテーマの講座をやって学生が中退すると困る」みたいな心配しかしませんでした。月1回の僕や客員教授の講義に対する「Web3とかブロックチェーンとかあまり言わないで欲しい」という発言はもちろん無視しましたが、専門学校教員時代に刷り込まれたトラウマなのか、僕には彼らの感覚が理解できませんでした。
レベルの低い学生が集まるという課題感があるのならということで、『AIに負けない子どもを育てる』著者の新井紀子先生が立ち上げた「教育のための科学研究所」の理事と相談して、リーディングスキルテストの活用も提案しましたが、あっさりスルーされました。ともかく自分たちが知らないことはやりたくないのでしょう。
教授の「粗製乱造」は大学の権威を落とす
当たり前の話ですが、一般的な社会常識上、大学教授に相応しいとされている経歴がない人を教授にすることは、大学の権威を落とします。百余年の歴史の伝統校を宣伝文句に使い、信頼を得ようとしているなら尚更です。岡本西川両氏が主導の大阪音大短大での音響照明コースはどうでしょう?彼らが専任教授にふさわしい人材をハイヤリングできるとは思えないのですがどうするのでしょう?
これは教授会のガバナンスの問題ですね。100余年の伝統を謳う音楽大学が、自らの権威を落とすような大学教授の「粗製乱造」を行わないことを希望します。
20年前の音楽業界をイメージした専門学校的方法論
会社訪問のようなイベントを行って、業界就職の可能性をアピールしているようですが、中学生の社会科見学のようなやり方をしても、産学連携にはなりません。専攻企画当初から、岡本西川両氏は音楽業界へのコネクションは薄いので、僕が各社の役員クラスにお願いして、これから必要な人材イメージを伺って、講義内容に反映させて、求める人材を丁寧に企業に紹介していくという話をしていました。ところが、開講後は、僕に情報が伝わらないようにコントロールしながら、「社会科見学」をやっていたようです。音楽関連の上場企業は数えるほどしかありませんが、僕は多くの会社の経営陣と懇意にさせていただいています。人事担当役員からは、管理職レベルも含めて、人材供給の相談を直接されているような関係性です。学生のことを考えるのであれば、その情報網と関係性を活用するのが普通です。自分たちの学内での立場のアピールに音楽業界の会社訪問を使っているのでしょう。学生不在のやり方が本当に残念です。
日本の音楽界を担う人材を送り出すことに興味なく学生数さえ集まればOKというのが大阪音大経営陣の考え方だという西川氏の意見は、今となっては正しかったのかもしれないとも思ってしまいます。そういう近視眼的な考え方は、悪しき専門学校的な経営マインドです。そういう基準で大阪音大の経営者の方が本当に判断しているとしたら大変残念なことです。
レコ大作曲家KAZ KUWAMURAの「パワハラ」辞任
KAZ KUWAMURAが自ら退職を決意したというのも残念なできごとです。Da-iCE「CITRUS」でレコード大賞2021を受賞した作曲家であり、英語を活用して外国人作曲家とコーライティングしてきた音楽家が、これからの音楽ビジネスに必要なコミュニケーションのための英語を教えるというのは、僕が企画したMB専攻の目玉の一つでした。彼自身後期の最後の授業を終えるタイミングでは学生のためにも残り続けると決意していたが、その決断を覆さざるを得ない程に、1ヶ月の間悩み苦しんだようです。また、KAZは音楽家ですから、ナイーブな一面を持っています。メンタルを病むと作曲に支障が出てしまいますし、苦渋の決断だったでしょう。
彼が学長に直接郵送した退職願には、以下のように綴ったそうです。本人の許可を得てその一部を公開します。
Kazは大阪のプール学院高校でキャリアをスタートし以来、15年以上、様々な大学、高校の教育現場で従事してきています。そんな彼だからこそ、本質において学生に向き合おうとしない身勝手な専攻の決定に対して、不信でメンタルが徐々に深刻に蝕まれていったようです。昨今は「ハラスメント」という言葉はいろんな状況で使われるようになっていますが、教育主任による専攻の運営が、不公正で恣意的だとKazのようなバックボーンが教育者の教員にとってはパワーハラスメントを受けたのと同じ状況になってしまうのですね。
彼自身は静かに身を引くだけで、訴訟などは考えてていないようですが、原因は一種の「パワハラ」だなと思いました。
懸念される音楽業界との険悪な関係
専攻の柱である専任教授であるにも関わらず、理由も不明なまま契約終了をした脇田敬にについては前稿で触れたので繰り返しませんが、結果として大阪音楽大学は、経済産業省「デジタルコンテンツ白書」の編集委員と法的トラブルを起こしていて、レコード大賞受賞作家を「パワハラ」的な対応で作曲ができない精神状態に追い込んで、辞任させてしまったというのが、音楽業界側から見える景色です。
コロナも落ち着いてきた最近は、音楽業界団体の理事役員、大手音楽関係企業の取締役の方と食事する機会が増えてきました。皆さん開口一番「note見たよ。大変だったね」と大阪音大の話題になります。僕にとっては避けたい展開で、もっと大切な業界の話をしたいのですが、振られると説明しないわけにもいきません。音楽業界の中に、大阪音楽大の今回の「事件」がネガティブに広まっていることを実感します。
表現の仕方が難しいのですが、僕がこの投稿をnoteに書いてしまった時点で、音楽業界で一定以上の立場のある方は、大阪音大と関係性を持つことを忌避するはずです。それだけの評価と立場はあると自負しています。「山口がここまで言っている」という事実があると、大阪音大と関わることはリスクが大きすぎます。少なくとも「脇田問題」を解決しないと、音楽業界で現役の方が客員教授をお受けになったり、業界団体が関与した形の講座を行うことは無いでしょう。率直に言って、「ここまでやらなければよかったのに」というのが本音です。僕は黙って静かに離れたかったです。
この状況は、ミュージッククリエーション専攻や、ポピュラー専攻など含めて、音楽業界に入りたい、関係を深めたいと思っている大阪音大の学生にとっては不安なことでしょう。ミュージックビジネス専攻一期生に対しては、「山口ゼミbiZ」を通じてフォローしますが、他の専攻の学生についも、今回のトラブルに関連して心配なことがあれば相談に乗りますので、遠慮なく連絡ください。あなたに罪はありません。個別の問題を解決する処方箋は提供できると思います。若い世代の活躍なくして日本音楽界の未来はありませんから。
「キャリアプランのミスマッチ」が起きないことように
勘違いしないでいただきたいのですが、僕は大阪音大全体が駄目だとか、進学しないほうが良いと言っているわけではありません。100年の歴史がある大学には、素敵な教員も数多くいらっしゃいます。
人生のキャリアプランは多様です。音楽を学ぶ同級生たちに囲まれ、教員資格を取り、地元関西のライブハウスや楽器屋で働きたいというような考えの方には(私大文系よりも割高な授業料が気にならなければ)合っているでしょう。のどかなキャンパスで楽しい学生生活が送れることかと思います。
本稿で伝えたいのは、大阪音大ミュージックビジネス専攻が、僕が最初にブランディングした「デジタルとグローバルな未来の音楽ビジネスを、業界の現場の感覚で学ぶ」場所ではなくなっているということです。4年間通えば、「ソニー・ミュージックやエイベックス、アミューズなどの音楽系だけではなく、サイバーエージェントやLINEといった音楽と関わるIT企業からも求められる人材になれます」と喧伝した僕は、大嘘つきになってしまいました。開講前から2年間、様々な形で語ってしまった大阪音大ミュージックビジネス専攻企画時の情報がこの先も伝わってしまうと不幸な結果を生むとそのことを心配しています。
「20年前に音楽業界にいられなくなって以来、専門学校教員のキャリアしかない人が、自分の知っている範囲だけで専攻を運営するために、専門家である僕たちを排除し、それを”学生募集が好調だから”という理由で、MB専攻を立ち上げた常務理事と理事長が認めた」というのが今回の構造です。
そうなると「皆様が良いのなら僕はOKです」としか言うしかありません。ただ、僕が全力で喧伝した「日本の未来のエンタメ業界を担う人材を育成」は、換骨奪胎されてしまいできません。既に入学している学生は、大学外で僕がサポートするので、やる気さえあれば、活躍できる場を提供できます。ただ、これから大阪音大ミュージックビジネス専攻に入ろうとする学生には、以前僕が喧伝した内容は消失していることはお伝えする責任があるというのが、本エントリーの一番の趣旨なのです。
大学は数多くのステークホルダーに支えられた社会の公器であるはず
僕は本稿を大阪音大について語る最後の機会にしたいと思って、本稿を書いています。大学のガバナンス、教授の適格性など、僕が関わってしまった部分については、事実と自分の認識を書きましたが、ご判断は大阪音楽大学にかかわるステークホルダーの皆さんに委ねたいです。
学生とご父母、大阪音大同窓会の卒業生、庄内など地域社会の皆さん、高校の進路指導の教師の方、特に推薦枠をお持ちの高校、そしてもちろん現教職員の皆さんなどが、大学を健全化するためにどうすればよいのかを考えていただいて、声を上げていただきたくことを願っています。
ここまで読まれた方の中には、「山口、そこまで書かなくても」と思われる方もいるかもしれません。僕も本音でいうと、面倒だし不愉快だしもう放っておきたいという気持ちもありました。
ただ、構造として「デジタル化に伴う社会の変化を受け入れず、新たに学ぶことをせず、昭和時代の体験を元に、新しい動きをする人を排除する、そのための権限を確保するために、組織内政治に注力して自らの立場を保身する」というのが、今回の構図です。これは「失われた◯年」と呼ばれる日本衰退の典型的なパターンですから黙っているのは、日本人として不誠実だと思いました。そして、一番の問題は、年寄りの不勉強と保身が若者たちの可能性を狭めているということです。元政府知財本部座長でiU学長の中村伊知哉さんが、自分の役割は「黙れジジイ」と言うことだ、とおっしゃっていたのを思い出しました。僕自身は微力ながら学生たちのためには大学とは関係なく、最大限のサポートを続けるつもりです。急遽、「山口ゼミbiZ」を立ち上げ、大阪音大生には無償で提供することにしました。
勝手を言いますが、忘れさせてください
この4ヶ月の間、正直に言って、僕のメンタルもかなりダメージを受けました、アイデアとノウハウを提供し成功に導いて「恩人」と持ち上げられた組織からゴミのように粗雑に扱われ、20年以上友人と思っていた人から、嘘をつかれ陥れられるという体験は、精神的に辛いものです。本稿を書いたことで、公益的な責任は果たしたことにさせていただいて、大阪音楽大学の関わったこと、岡本忠好という人と関わってしまったことを一日も早く忘れたいです。
大阪音大を愛する皆様の手によって百余年の歴史を持つ伝統校が良い方向に向かうことを陰ながらお祈りしています。今回の「事件」とその公表が、大阪音大が「健全化」に向かう機会にもしなるのならば、人生最大の不愉快な出来事も少しだけ救われます。
日本の未来を担う学生たちに誠実に向き合うことと、脇田敬の「正義の戦い」を友人の1人として応援することは、もちろん続けます。最後まで読んでいただいてありがとうございました。不愉快になられた方は申し訳ありません。
山口ゼミbiZを通じて、日本の音楽界の未来に貢献したいです。
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