乙女と胃カメラ。桜吹雪。
少し前のこと。私はとある大学病院のバス停から目の前に広がる桜並木を見ていた。
桜並木と言っても桜はハラハラと散り始めており、もう葉桜になりつつある。
降り注ぐように散る花びら、車やバスが通る度に嵐のように舞い上がる落ちた花びら。
このバス停から儚げな、そして最期の華々しいその光景をみると思い出す事がある。
***
突然ですが皆さんは病院、かかってますか?
このワタクシ半世紀近く生きていて、今まで大丈夫とも大丈夫でないとも言えない病名を言い渡され、しばらく通院を余儀なくされる事が何度か。
今も足掛け5年ほど県内の大学病院に経過観察の検査と薬の為、通院している。
ここの大学病院に通うのは初めてじゃない。
過去2度ほど、ギリ入院しないレベルの症状で毎週採血に通ったり、ナンヤカンヤとお世話になった過去がある。
そんな中、胃カメラを飲む機会があった。
ワタクシ、22歳。花咲く乙女とは言い難いものの、少なくともお花イキイキ可憐な花盛りの頃の話である。
私は中学生頃から、焼ける様な胃痛を起こしていた。ひどい時は立っていられないほど痛む事も多かった。
町医者にかかるも原因が分からず、診断として「神経性胃炎」と言われていた。
ある日の昼休み、廊下で痛みに堪らず少ししゃがみ、休んでいた私に担任が声を掛けてきたことがある。
「…大丈夫です。しばらくすれば治ります。神経性胃炎らしいので。」と、痛みに耐えながら言うと
「大丈夫かい?実は先生も奥さんと僕の母が仲悪くて間に挟まれてねぇ…。最近僕も胃が…。」
と、いきなり弱冠14歳の私にかなりヘヴィーなお悩み相談をぶっ込まれた事がある。
まぁ、そんな思い出はさておき。
とある病気でこの大学病院の通院中にそんな胃痛の症状が強くなり、色んな検査ついでに胃カメラを飲む事になったのだ。
医療は日進月歩。今や胃カメラのケーブルはより細くなり、更に今やカプセル式だの鼻からだの随分楽になったと聞く。
約25年前の胃カメラ。苦しいと評判の検査だった。実際、見た瞬間思わずバッチコイと気合を入れてしまう位のサイズ感だった。
検査前日の夜から絶食し、検査前に喉の麻酔をし、筋肉注射を打った。注射は胃の活動を抑えるとかそんなのだっただろうか。少し待ってから、ベッドへ寝かされた。ベッドの周りのカーテンが閉まる。
高まる緊張。
ふと見るとこれから使用するであろう胃カメラの機械が置いてある。
…これがこれから私の消化器官を蹂躙するのか。
しかし、胃腸を診る(←目的)のにカメラをつけたホース状の物を口から体内に入れる(←解決法)なんて発想、直球すぎてシビレる。
も一つ言うと、そのアイデアを採用して実現化しちゃってる人類にも猛烈にシビレる。
間も無くすると医師がやってきて、準備をしながらこう言った。
「こんにちは。よく見えるように空気を送りながらカメラを入れるので、どうしてもゲップが出そうになると思います。でも、ゲップはしないようにお願いします。」
……矛盾しとりゃせんかね。
でもきっとこの医師は、何百何千の患者さんにこのセリフを言ってきたのだろう。
そして、何百何千の患者さんに心の中で突っ込まれているのだろう。
拒否権があるわけでもなく、大人しく「…頑張ります。」とだけ返事した。
口にキャップを咥え、口からカメラがスルスルと入っていく。喉が苦しい。
私の頭の中で餅すすり名人が餅をスルスルとすすり飲む姿が再生された。
おまけに何故か「アラヨッ!ソラヨッ!」という、合い手が(脳内に)聞こえる。
得体の知れない機械が自分の中に侵入してゆくことが怖くて、しばらく脳内の合いの手以外の感覚をシャットダウンした。
「アイヨッ!ソラヨッ!」の声に集中している内に、ふと、もう無になろうと思った。
そっと目を閉じた。
喉の感覚もゲップも合いの手(脳内のみ)も私の中のものではない……消えてゆく……。
瞑想中のような状態のワタクシ、それはそれは穏やかな顔をしていたと思う。
程なくして先生が「あー。余裕がありましたら、モニター見てみてくださいねェー。」と、無の世界へ旅立っていたワタクシを、この苦しみだらけの世界に引き戻す様なひと言をいった。
え?!見られるの?!!
眼をかっぴらくワタクシ。
自分の胃袋の中を見れるなんて、滅多にないチャンス!胃袋ってどうなってるのかも興味津々。
言っておくが私は花盛りの22歳の大人ではあるが、頭の中は好奇心丸出しの小学生並みなのだ。
瞑想?知らん知らん。
しかし、モニターを見ようとして、うっかり気を抜いた瞬間、今までしたことのない様なゲップが漏れた。
「どうっふ!!」
キャー!はずかしィ!
今、47歳のワタシなら「こんな状態でゲップしないなんてムリムリ。多少のゲップなんて、お医者さんなんて織り込み済みっしょ!OK!OK!」なんて、半世紀近く生きた貫禄丸出しで居直るのだが、この時は所詮22歳の花も恥じらう乙女頃にして花盛りの小娘。恥ずかしくても仕方がない。
しかしながらこの小娘、更に恥ずかしい状況であることに気づく。
モニターを見ていると、小さな白いカケラと緑のカケラが所々見える。
前日18時以降の食事禁止の為、随分早めに食べた夕食の湯豆腐と白菜少々のカケラだった。
今日初めて会った人間に、絶対見せないような部分(胃袋の中にある食べかす)を見られているのだ。
口腔内の食べかすを見られる事に匹敵する感覚だった。
は…はずかスぃいぃーーー!!
今、47歳のワタシなら「しゃあない!しゃあない!そもそも弱った胃袋だもん。機能低下上等!こんな事もお医者さんだって………以下同文。
実際、モニターを見ている医師は何も見えないかの様に粛々と仕事をしている。
むしろ、恥ずかしがることの方が恥ずかしいのだ。
しかし、胃カメラってこんな意外な辱めを受ける検査だったとは…。
次はどんなにお腹が減ろうとゼリー飲料など、一切の痕跡を残さないものにする事を誓う。
そして、送り込まれる空気という名の軍勢。カメラ将軍はとうに空気達と一緒に胃袋という本丸に到着し、くまなく胃袋を探索している。
「どこじゃあー!敵将(患部)はどこじゃああー!」
私は若干、空想癖というか妄想癖がある。
そんな妄想をしながら、モニターを鑑賞していたらば、いきなり医師がぶっきらぼうに「どうぞ。」と言った瞬間に何故かカーテンがいきなりジャッと開いた。
「??!!?」
思わずその方向に目をやると、白衣を着た私と歳の変わらないような学生っぽい人達が無言で4.5人ズラリと立っていた。
「ドうふぅ!!」
本当は"ギャー!"と叫びたい所なのだが、胃カメラと口のキャップで叫ぶ事はできず、代わりに大きなゲップが出た。
何なの?いったい何なの?
私は一瞬何が何だか分からなかった。
そして、同じ年頃の人たちの前で豪快なゲップを披露してしまったワタクシ。
は…ハズッカシィぃぃいぃーーー!!!
顔真っ赤である。
もうお気付きかと思うが、ここは大学病院。
病院でもあるが、優秀な医者の卵達が勉強をする場所でもあるのだ。
所々、院内に貼ってある「医学生の臨床の立ち合いにご協力お願いします。」の張り紙をふと思い出す。
ナルホドと思いつつも、事前に「この時間、実習が来ます。」とか、せめて学生も「失礼します」なり一声をかけてからカーテンを開けて欲しかった。
ひょっとしたら喋らないようにしているからかも知れないが、人としてのマナーじゃマイカ。
荒くれ者ならば大暴れしているところぞ。
私が極めて小心者であった事に感謝するがいい。
しかしながら、このうら若き女子の"絶対見られたくない姿トップ10"(ワタクシ調べ)に入るこの姿ではあるが、未来の医学の発展に貢献するならば、それはそれで本望である。
湧き上がる使命感。
あい分かった!この乙女の内側、隅々まで見るがよい!!
もし、よからぬものがあったとしても、私は受け入れ医学の為にこの身を捧げよう。
さぁ!俺の屍を越えてゆけ!!
そんな壮大なドラマを妄想し、少しでも観察し易いようにと医大生達の為にもゲップを必死に堪えた。
「あのね。ここ。これ。この辺り。ポリープ。あー。もう絵に描いたような良性やねー。胃は荒れてるけど。」
医師はそんな事を学生に言いながら、幾つかある中から、一番大きなポリープに着色された液をピューとかけ、見易くハッキリした形を浮かべたポリープの映像を指差しながら、めっちゃそりゃもう軽ーく、そして気だるーく説明した。
どれだけの軽さかと言うと、「はぁーい。ここテストに出まぁーす。」位のノリで言った。
そして「一応、細胞は取っておきましょかー。」と、マニュピレーターの様なものでつまみ取った。
「敵将っぽいの見つけて討ち取ったけどさぁ〜。なんか影武者(ハズレ)っぽいわ。ま。一応、確認するから首持って帰るわ〜。」
そんな風に言われた気がした。
学生さん達は時計をチラッと見ると、無言でカーテンを閉めて行った。
私は屍にならずに済んだらしい。
そんな何事もなかった様な空気の中、医師は「念の為、十二指腸も観ておきますねー。」と、手元のガチャガチャとしたコントローラーをもった手をグリッと捻り上げた。
もし、この時の医師にセリフを付けるなら間違いなく「アラヨッ!」である。
お腹で何かが旋回した感覚があり、今まで感じた事ない圧迫感に襲われる。再び「アラヨッ!ソラヨッ!」の世界に突入するワタシ。
十二指腸で落武者狩りをするカメラ将軍はひたすら気持ち悪かった。
人生初の胃カメラ検査が終わり、バス停で帰りのバスを待った。疲労困憊。
やってやったぜ感が半端ない。やってやったのはお医者さんだが。
目の前にはハラハラと散る桜並木。それをぼんやり眺めていた。その時の散り舞い上がる桜の様子は、炎のように燃えあがり、最後まで燃え尽きた自分の様に思えた。
…この日のワタシの中の脳内物質、何かと色々分泌し過ぎである。
***
25年後、現在。47歳になった私がこのバス停であの時と同じ風景を観ている。降り注ぐ桜。舞い上がる花びら。
今年の桜は早い。
去年のいつの頃からだっただろうか、院内には大きな張り紙がしてあり、こう書いてあった。
"コロナウィルスの影響で、学生の生活が成り立たない事例が増え、またコロナウィルスに関しての研究費が必要となっています。寄付をよろしくお願いします。"
「ほうほう。」と、バスの時間まで間があった私は財布からスッとワタシ的大金である500円玉を取り出し募金箱を探した。
ざっと見た限り、それらしき箱は見当たらなかった。
…よく説明書きを読むと、どうも寄付は窓口で受付をせねばならないらしい。
そして"10万円以上の方は芳名板にお名前を掲示いたします。"と書かれている。
流石に500円玉だけを持ってドヤ顔で「寄付です。」と言えるほど、このワタクシ図太くは無い。
何事も無かったような顔をして、私はスッと500円玉を財布に仕舞った。
しかしながら、他にも古書募金というものもあるらしく、不用の本やDVDを業者が買い取りをして、その売上げを寄付できるシステムらしい。
不用な本がまとまったら一度やってみようかなと思う。
売ったとしても幾らにもならないかも知れないが、たくさん集まったらちょっとしたいい額になるかも知れない。
一枚一枚の花びらは小さく儚くとも沢山の花びらが吹き上がるとそれは見事な桜吹雪になるように。
そして、その桜吹雪が少しでも未来の医療に繋がって、コロナどころか色んな病気も克服する世の中になって、おまけにひょっとしたら誰かが更にすんごい胃カメラを開発するかもしれない。
そんな壮大すぎる未来を勝手に妄想し、私は桜吹雪の中、気持ち悪いくらいニヤつきながら帰りのバスを待っていた。
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