8時55分の貴婦人。
「おはようございます。オオヤマ サネオでございます。」
受話器を取り、こちらが名乗る前に間髪入れずにその相手は名乗られる。
慌てて取った固定電話の向こうの相手は、歳の頃推定70代後半以上だろうか。
丁寧でたおやかな口調の年配女性の声。
その後に言葉はない。
このパターンなら「〇〇さんのお宅でしょうか。」と続くのだろうがそれも無い。
私はハッとして、反射的に時計を見た。
文字盤の8:56の文字を見て"ああ。お久しぶりです。"と、思いながら軽く緊張が走る。
そして、言葉を選びながら
「あの、中村ですが、お間違えに…
と、ここまで言葉を発した瞬間。
ブチッ
ツッー、ツー、ツー、ツー。
…ブチ切りされる。
そして私はそのまま半目になりながら静かに受話器を置いた。
桜が咲き始めた今年の春頃の出来事である。
一体これは何なのかというと、そのまんまなのだが間違え電話である。
ただし、単なる間違い電話ではない。
実はこのオオヤマさんからのお電話は一度や二度ではないのだ。
もう2年程前からだろうか。
不定期で午前8時55分(±3分)に掛かってくる。
3日連続もあれば週一のペースである時期があったり、1ヵ月飛ぶこともあれば、3ヵ月位空くこともある。
そんな不定期便かつ、毎度毎度、理不尽極まりないブチ切り間違い電話。
それでもいつも上品な声で毎回うやうやしく語り掛けるように名を名乗るそのお姿。(姿は見たことないが)
「8時55分の貴婦人」
と私は呼んでいる。
悪戯かと思いきや、悪戯とも考えにくい。
なぜなら我が家はナンバーディスプレイをつけているのだが、毎度きちんと同市内の局番から始まる貴婦人宅の電話番号から表示されているからだ。
だからその気になれば着信履歴から折り返し電話をし、「よくお間違えのご様子ですが、そのお電話番号ちゃんと合っておりまして?マダム?」と、ご忠告差し上げることだって可能なのである。
悪戯ならこんなミステイクはないだろう。
そして貴婦人なのにガチャ切りなんて、はしたないと思ったりしないでもないのだが、私の中で貴婦人はその気高きお生まれにて、己の間違いを素直に認められず恥ずかしさ故の所業だと思っている。
彼女はそんな誇り高き女性なのだ。(と、勝手に信じている。)
話は少し逸れるのだが以前、非通知でオレオレ詐欺の電話が掛かってきたことがある。
刑事の名を語り、特殊詐欺の犯人をしょっ引いた際に、メンバー表が見つかり、その中に夫の名と住所、固定電話番号が書いてあったという内容。
「ナニソレ昭和のクラス連絡簿かよ。」っていうお粗末な設定で、嘘と分かりつつ中途半端に対応してしまったがために、大変面倒臭い思いをしたことがある。
警察にも軽く叱られた。
なので、まず非通知のモノには絶対出ない。
長いコール、二度掛けは怪しむ。
そして、詐欺ではないが迷惑電話対策として覚えの無い市外番号や携帯番号、0120も注意している。
こんなワタシ独自の独断と偏見に満ちたフィルターを通り抜けやってくる迷惑勧誘無言の猛者共。
フィルターを抜け、見事に私の元に辿り着いた場合、著しく有害でない限り嫌々ながらも最大限の敬意を払い、対応している。
ただ、丁寧にお断りしたにも関わらず間を空けず何度だって掛けてくる輩も居る。
お断りした時に「脈なし」とかメモひとつもせぬのか。
そのしつこい神経は全く分からん。無礼者め。
もし、その電話口で売り込む商品が必要な時があったとしても、貴様らから購入するは絶対に無い。
絶対にだ。
自分で自分の首を絞めている事を思い知るがいい。
そんな輩からの電話番号は自分の中で心底迷惑と思うらしい。
物覚えが悪く日常を勘で生きている私。
無意識にもこの番号は"嫌なモノ"だと記憶している様でナンバーを見た瞬間「あっ。コレ、アカンやつや。」と勘付く私がいる。
こうして迷惑勧誘無言の電話は私基準のフィルターに加え、私の無意識に基づくファイアーウォールで阻まれているのだ。
だが、貴婦人は私の中で別段迷惑と思わないのか、貴婦人宅の電話番号は記憶に全く残らない。
ご年配ということもあり、「未来の自分。行く道かも知れぬ。」と大目に見ているのかもしれない。
まぁ、即ガチャ切りだから何かの勧誘と違い、時間も取られないし実害も然程無しだし。
しかし、こう何度も何度も何度も掛かってくると貴婦人は"電話向こうの知らない人"から"知人"レベルに親密度ランクが上がって来る。
そうなると、ついどんな人かとか余計なお世話レベルで想像しちゃうのである。
"オオヤマ サネオ"さんは旦那さんだろうか。
年配の奥方って、電話や訪問時に名乗る時、旦那さんの名を言われる場合も多い。
そうでなければ、貴婦人は旦那さんの代わりに電話をされているのか。
ひょっとして、旦那さんは病気などで電話に対応出来ない状態なのだろうか。
そもそも貴婦人自身が認知症などでこの謎多き間違い電話が発生しているんじゃないだろうか。
こんなにも間違い電話を起こしているのに、指摘する人とお住まいではないのだろうか。
そうなってくると、旦那オオヤマ サネオさんは存在するかどうかだって怪しくなる。
私は想像する。
…もう居ない夫の名を語り続ける未亡人の貴婦人。
………泣けてくる。もうハンカチ必須。
もしそんな状態ならば、わざわざ電話をかけ直してまで番号の間違いを指摘するのは気が引けた。
貴婦人を傷つけてしまうかもしれない。
由々しき事態である。
もうそんな想像を越え妄想をするワタシ。
そんな誇大妄想をする状態の私の方が由々しき事態ではあるが、そこは思わない事にする。
貴婦人ご自身が私とのそれとない電話の際に"これはいけない"とお思いになり、もう間違えないようにと対処してして戴くのが一番理想的である。
もし、認知症などでそれが難しく、うっかり私が電話に出てしまった時は人生の後輩として潔く貴婦人の戯れにお付き合い致しましょうと思った。
貴婦人には電話料金が掛かるけど。
そんな訳で前回掛かってきた時までは、いつもと変わらない感じで「お間違えですよ。」を伝えたのだが、過去に違えず話半ばでブチ切りされた。
もう吉本新喜劇以上のお約束ごとである。
しかし、分かってはいても貴婦人のブチ切りに地味に傷つく私がいるのも事実である。
前回、軽いショックに半目になり受話器を置いたあと、"どんなお伝え方をすれば貴婦人に「ああ。ワタクシ、いつもこの中村とやらのお宅に掛けてしまうわ。ちゃんとお電話番号を確認しなくちゃ。」と、思わす事ができるのだろうか"と、考えた。
取り敢えず、「中村」と名乗ると直ぐに切られてしまうので、中村というキーワードをなるべく出さず引っ張り、ワタクシのお話を聞いて戴こう。そしてあくまで友好的に。
「よくお電話くださる方ですよね。申し訳ありませんがお電話お間違えの様です。こちらのお電話番号をご確認されますか。ワタクシ、中村と申します。」(ニコッ)
ヨッシャ、コレで行こう!
そんな事を思い数ヶ月。
先日の朝の出来事。家の電話が鳴った。
ナンバーディスプレイをチラリと見る。
ワタシの脳内ファイアーウォールはクリア。
受話器を取る。
「おはようございます。オオヤマ サネオでございます。」
キタ!!!
時計を見た。8時55分。
もう桜の季節から朝顔の季節になっていた。
ワタシは軽く深呼吸をし、数ヶ月前に脳内で考えたあのフレーズを検索する。
姿勢を正し、口角を上げ、明るく、過去接客業のバイトで培ったスキルをフル活用して声を上げた。
「ハイ!オハヨウゴザイマス!!」
貴婦人のご挨拶に釣られ、何故か満面の笑みを以ってご挨拶を返すワタクシ。
モチロン、この最高の笑顔は電話向こうの貴婦人には届かない。この笑顔はプライスレス。
さぁ!貴婦人!いざ尋常に!!
私 「よくお電話くだ…
ブチッ!!!!
ツッー、ツー、ツー。
………最速記録でブチ切りされました。
↓因みにオレオレ詐欺が掛かってきた話はコレです。
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