京都折人

適応障害持ち介護福祉士 40♂︎ 心の置き場所として始めました 心に浮かぶすぐ吹き飛んでしまいそうな想いを ただ書き留めておきたい

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適応障害持ち介護福祉士 40♂︎ 心の置き場所として始めました 心に浮かぶすぐ吹き飛んでしまいそうな想いを ただ書き留めておきたい

最近の記事

今更や メンタル本を 手に四十

    • 今まで、白衣かジャージしか仕事場で着なかった私 スーツといえば20歳のころの流行りでないダボダボのもの 暑がりだった30代に買った夏用の透け透けのもの 40になっての転職を機に 周りがスーツを買えとうるさい…… この歳でいらんわ、と思いつつ 仕事場だけでなく地域との関わりの中で 着ることもあろうと仕立て屋へ 仕立てが終わっているだろう時間に再訪すると 「あのー……実はですね……」と副店長 「仕立ての際に、スボンに傷を付けてしまい……」 「ほんっとうに……申し訳ございません

      • あの日から……

        あの日から何年 あの日からあと何日 そんな物言いがメディアでこだまする 鉄道が再開し 漁協に笑顔があふれる そんな映像が流れている 本当にそうか メディアの恣意性に満ちている 我が都府県に避難された被災者の方の 少なくない割合の方がPTSDで苦しんでいる 私もメディアも当事者ではない 全ての被災者に笑顔が戻る そんなことは未来永劫ないだろう 未曾有の困難とはそういうものだ がんばろうと言っても がんばれない方がいる その現実を伝えよ 最後にもうひとつメディアに告ぐ

        • 若い頃の半分以下の覚悟と 年齢に合わせた適当さと 大いなる勤勉さと 身の丈にあった少しの希望を抱いて 生きてゆこう 承認欲求なんて 僕にはとうにないさ

          自分を肯定、否定するも自分次第 他人に自分の何がわかるか 自分に他人の何がわかるか ナンバーワンはきな臭く オンリーワンもエゴ臭い 他人が鼻につくけれど 自分にも鼻がつく 置かれた場所で咲けず いつまでも蕾のままだけど 案ずるなかれ 不安を生むのは自分 心を解き放て

          自分を肯定、否定するも自分次第 他人に自分の何がわかるか 自分に他人の何がわかるか ナンバーワンはきな臭く オンリーワンもエゴ臭い 他人が鼻につくけれど 自分にも鼻がつく 置かれた場所で咲けず いつまでも蕾のままだけど 案ずるなかれ 不安を生むのは自分 心を解き放て

          恋人でも友達でもない パートナーなんて俗っぽい アラフォーとアラフィフの男女 何とはなく日帰りではあるが 初めての小さな旅 こんな中 あんな田舎に有名な商業施設があると 前から言っていた田舎に車で出かける まるでスカスカの高速道路を軽快に抜け 何時ものとおり職場の笑い話 都会に憧れた若い頃と違って 住処と同じような景色の連続に 最近は親近感を抱くね なんて 中途半端に老いた台詞を吐きながら 田舎の中に突如現れた 都会のと全く違わぬ商業施設 そこだけが紋切り型に都会と化

          腹が立つ

          腹が立つ 幸せなはずなのに ちょっとしたしぐさに ちょっとした物音に ちょっとした発言に 食べることすら 服を選ぶことすら 寝付くことすら 無くちゃならないものなのに かけがえないものなのに 適応障害だから?いや違うんだ 幸せが当たり前になっちゃって 少しでも違う顔を覗かせるときに なんて逆説 なんてバチあたり どうせ失ってはじめて慟哭するんだ どれが欠けても俺は存在しないのに なんて脆弱さ なんてエゴイズム 当たり前にあることの意義が 当たり前にある前では

          各分野の名だたる天才でも 人生の問題には答えを出せない 人間は 解こうとして諦めるか 永遠に解き続けるか のどちらかであるからだ

          各分野の名だたる天才でも 人生の問題には答えを出せない 人間は 解こうとして諦めるか 永遠に解き続けるか のどちらかであるからだ

          待合室のミュージカル

          病院の待合室 整形外科だから相対的にご年輩が多い 大きい病院にしては通路も狭く 職員さんやら何やらひっきりなしに出入り そんな中、お婆とご子息らしき2人組 特に大きな声ではないだが声が低くて 狭い空間をピンポン玉の様にこだまする 20年前の自分だったらイライラし 『 ちょっとボリュームしぼらんかい、おのれの家か?』 など突っかかってたかもしれない もしくは『ああ可哀想な方々、自分を客視できない、おお神よ 』等と貧乏揺すりをしていただろう 耳を済ませはなんてことは無い

          待合室のミュージカル

          四十路。わるくない。

          四十路になって早1年が経つ 今年は厄年真っ只中 前厄の去年から色々あったし こんなに変わるものかと思った 偶然か必然か知らないけど 周りも自分の気持ちも様変わり それを、わるくない、と 言い聞かせ実際そう思えてる自分に 苦笑と諦めと愛しさを覚えながら まず親が70になり、突如病気に見舞われた 介護士をしている手前、世話など何ら 吝かではないけど、少々狼狽えた そして恥ずかしながら独男である私のお金は 全て家(親)の為のお金になった とは言うものの少しは自分の為にも使うの

          四十路。わるくない。

          みんな一緒に、もぐらたたき

          また始まった、というかもう終わったのか 日本流もぐらたたきが。 蔑視発言をしたものが退いた で、出てきたものがまた退いた もぐらたたきによって 何故ここまでたたくのがお得意なのか 別に発言をしたものを擁護はしない たとえ発言をリフレーミングして 『 女性のほうが活発な議論をする』としても もう彼の真意は後追いはすれど もう発言が突っ走って遥か彼方へ ただ彼でしか出来なかった事があったろう 政治屋の時のようにうっかり口を滑らせ たたきにたたかれたものを トップに据えて 今

          みんな一緒に、もぐらたたき

          二項対立。敵か味方か。

          私は敵という言葉が嫌いである と同時に味方という言葉も厭わしい 世の中はこの二項対立によって 上手く釣り合って天秤が破綻しないよう 不安定と安定のグラデーションを 行き来しているのかもしれない ただ私は二項対立という短絡が嫌いなのだ 冷静になれば大して対立もしていないのに 矮小で瑣末な由から あいつはどーの こいつはどーの すぐに両極を作ろうとする 多数決や多様性などの話しではない 一旦、受容しようではないか 少なくとも私のような一般人のなかには 極悪人などいない

          二項対立。敵か味方か。

          厄年と 神仏と 偶然と 必然

          去年は前厄詣りをした 私は神仏には普段傾倒せず 先祖代々の仏壇を大切にし ことあれば手を合わせる そんなレベルに落ち着いている 前厄での災難は多岐にわたった 前厄だからと言う理屈付けを その時は全く行っていないのであった 父親が後縦靭帯骨化症(難病)に罹った。 続けるように母親が卵巣の摘出を行った。 心配性の権化の様な家族は慌てに慌てた その素振りを見せない様にする事自体 周りを心配させない様にするための 心配性であることに自覚か不自覚の何れかを持って しかしそんな難

          厄年と 神仏と 偶然と 必然

          たった4年の介護歴

          食品メーカーに長年勤め 一念発起、四十を目前に介護業界へ身を投げた とりあえず資格もとった 最初の会社は極小で、入った時にはレベルが知れた 責任者の、トップの、古株の理念も技術も あったもんじゃなかった 凡そ介護はなんたるかを教えてもらった事など 一度もなかった つまり なんたるかの真理ではなく なんたるかの矜恃を一切持ち得ていなかったのである 案の定、利用者は沈み 姥捨山と化していた こんなはずではないと思いつつ 資格も取得のための踏み台にしてやろうと 懸命に”利用

          たった4年の介護歴

          利用者さん、ありがとう

          利用者さんありがとう 未来の我々を体現してくれている利用者さん 貴方がたは勝ちましたか?負けましたか? いえ 生きてるだけで勝ってますよ 援助なんてのは単なるお節介だと 考えさせてくれた利用者さん ありがとう 制度先行 当事者後回し そんな本末転倒ごめんなさい 貴方がたの"ありがとう"には 感謝と諦めが込められていることを 私は知っています 看板だけ立派で中身の無いこの国でごめんなさい 戦後の苦労から終末においても混乱をごめんなさい 貴方がたの築いたものに 胡座をかく者

          利用者さん、ありがとう