博物館を出発して
鈴木さんが作品を出されている「幻の愛知県博物館展」(6/30~8/27)、面白そうですね。
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鳳来寺山自然科学博物館は、1963年(昭和38年)愛知県で最初に建てられた公立の自然科学博物館だという。もともと町民たちの自然科学博物館建設への思いが強く、まず1949年(昭和24年)に「東三河の地質と鉱物の会」が結成。次に田口鉄道(現在は廃線)鳳来寺駅の公舎を改築して「田口鉄道自然科学博物館」を開設した。これが鳳来寺山自然科学博物館の前身となっている。
市街地で生まれ育った私にとっては、自分たちの土地に自然科学博物館を建てたいという意欲をもつことじたいが新鮮で興味深い。しかし鳳来寺山そのものが天然の博物館とさえ呼ばれるこの土地の動植物や岩石、鉱物、化石の存在を知ると、その気持ちもわかる気がする。(当時、博物館設立にかかわった人たちに話をていねいに集めていって、その「意欲」というものの豊かな声や、その時代の知への姿勢を記録してみたいと思ったことを備忘録として記しておく)。逆に言えば、町民が草の根的に行動を起こさなかったら、今この土地に自然科学博物館はない可能性も高かったのかもしれない。
いつ行っても部屋の大きな窓がきれいで、そこから見えるやや仄暗くザワザワとした裏山の岩肌や草木を、そこに棲む虫の気配を、展示物と一緒に眺めるのが私は好きだ。2015年にも鳳来寺山のブッポウソウとコノハズクという鳥のことをリサーチした作品を作ったので、この博物館にはお世話になった。当時、すでに鳳来寺山にはコノハズクは生息していなかったが、怪我をしたコノハズクが一時保護されており、彼(彼女)に見せるように作品を一点展示させてもらった。その時のリサーチで印象的だったのも、いわゆる「名もなき」鳥愛好家たちの情熱だった。
館を訪れた日、貝の展示エリアを整理している人がいた。声をかけてみると、化石と現生を並べた展示を増やしているのだという。化石ばかり並べても今との関係が見えにくいので、(過去に絶滅していたとしても)なんらかの形で生き残っているもの(現生)を並べることで、興味をもってもらいやすくする、そんな意図があるのだと思う。これは制作にも、どこか繋がる話かもしれない。作家はさまざまなリサーチをし、多かれ少なかれ身体化を通して「今」ということを練り込み形にする。ちがうのは、まず誰かに興味をもってもらいたいと思う前に、なぜ自分がこれに興味をもったのか(自分にとって大事に感じられたのか)ということに、なにかしら行動を起こしながら、深く分け入っていくところではないか。
前にも少し書いたが、館には3000万年前のバクの上あご化石の展示がある。日本で見つかった数少ないバクの化石である。資料を読むと、こうした化石は、それじたいを分析するだけでなく他との比較を重ねることが大事なのだという。種の分布を調べれば動物の移動がわかり、その時の気候や陸と海の形などを知る手がかりとなる。そう考えると、今の社会では動植物も人間も、移動の要因がもっと複雑で入り組んだものになっていると感じる。このバクの化石については、まだわかっていないことが多いようだった。
バクについて調べながら、自分も移動を重ねていく日々に入る。
大和
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