見出し画像

沖縄 汁物の旅~3 アバサー汁

アバサー汁


アバサーとは沖縄方言でハリセンボンのことです。そう、全身トゲトゲでお気に召さないことがあるとプーッと膨れるあの魚です。

店で売られているアバサー(ハリセンボン)=2023年、那覇市第一牧志公設市場で

そんなもの食べられるのかなあ?初めて見た時はそう思いましたけれど、市場の食堂の壁に「アバサー汁」と品書きが貼ってあるのを見つけ一も二もなく注文しました。市場は那覇市民の台所・那覇市第一牧志公設市場です。棘は取り除かれているようでした。

買った魚が料理になって出て来る市場


ここは1階が市場、2階が食堂となっており、なによりいいのは1階で魚まるまる一匹を買うと希望に応じて2階で調理して食べさせてくれることです(調理代金500円が別途かかりますが3匹までなら追加料金はかかりません)。

改築された現在の那覇市牧志第一公設市場=2023年撮影
市場の1階=同
2階(上方)は食堂になっています=同

想像外だったトゲトゲのお魚さんの味


さて、泡盛をちびちびやりつつわくわくしながら待っていると待望のアバサー汁登場です。
 
中身を箸で持ち上げます。透けるような白い骨と白い身。さっそく口に運ぶと、おお、これはフグやアンコウに似て淡白かつ上品な味。あの姿形からは想像できない美味しさでした。出汁の効いたスープを味わいつつ骨を残してすべて堪能いたしました。

アバサー汁=同

一緒に食べたもの

イラブチャー(アオブダイ)とヤクゲー(夜光貝)

イラブチャーは刺身と唐揚げに、ヤクゲーは刺身とバター炒めにしてもらいました。

イラブチャー(アオブダイ)
ヤクゲー(夜光貝)
イラブチャー(手前)とヤクゲーの刺身
イラブチャーの半身は唐揚げに
ヤクゲーの半分はバター炒めに

戦後の復興と共に歩んだ市場


 悲惨な戦争が終わって間もなく、那覇市の開南バス停(那覇市樋川)付近に自然発生的に「市(いち)」が現れました。各々が品物を持ち寄って売る「まちぐわぁー」の復活です。
 
1950年にそれらを束ねた那覇市営の公設市場が誕生します。1969年には第二公設市場が出来たため第一公設市場と改名されました。その後、第二公設市場はなくなりましたが「第一」の名称は残りました。
 
72年の日本復帰前に新たに建て替えられ、それがさらに老朽化したため改築が行われることとなり2019年に仮店舗に移転、2023春に元あった場所で再び新装開店しました。

改築のため閉鎖されていました=2019年、那覇市で
こちらは仮店舗の外観=同

改築で市場内は見違えるほどきれいになりましたが、周辺の商店街を含めると今でも「まちぐわぁー」の雰囲気が色濃く残っています。実際、路上で野菜などを売る人を今でも見かけます。

通路で野菜を売る人=2015年、那覇市で

変わりゆく国際通り


市場に沿った国際通りは観光客で賑わい、毎年のようにぴかぴかの商店、ホテル、飲食店が誕生する一方で昔の面影が消えつつあるように、2000年に初めて沖縄を訪れた私でさえ感じることがあります。
 
時代が進んでも今の市場と周辺の独特の雰囲気は残って欲しいなと思います。

国際通りのスタバ前(2001年)

国際通りのスタバ前のはんこ屋さん。訪れた2001年にはこんな風景が残っていました。掃除しているのはこの店の女将さんで国際通りが出来て割と早く移ってきたと話しているのを何かの番組で見た記憶があります=2001年、那覇市の国際通りで

同じ場所からの眺め(2018年)

とても同じ場所とは思えないほどの変わりようですね。

上の写真と同じスタバからの眺め=2018年、那覇市の国際通りで

<近くの見どころ>

 

国際通り、市場、商店街

それ自体が観光スポットとなっています。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?