喫茶店に置く新聞の話
栞日が「書店あるいは喫茶店」といって「カフェ」ではなく「喫茶店」を名乗っているのには、それ相応の理由、というか信念のような考えがある。学生時代にスターバックスでアルバイトをしていたとき(ちなみにスターバックスは「スペシャルティコーヒーストア」を標榜している)、珈琲にまつわる一般知識をひととおり(風味やその表現、産地や品種、栽培・精製方法の違い、焙煎や抽出のこと、歴史や文化などなど)は勉強したつもりでいるが、そのなかで17世紀イギリスの「コーヒーハウス」の存在を知った。そこには新聞や雑誌が置かれ、当時最新の情報であふれ、集った人々による政治や文化芸術の多彩な議論が飛び交っていた、と、ものの本には書かれていて、当時の僕はその社交場の風景を想像して憧れを抱いた(そしてその憧れは、いまも変わらず抱いている)。
ここで話が急に僕個人のことになるけれど、僕が茨城県つくば市のスターバックスでアルバイトをしていたのは、2006年秋から2010年冬までの4年と少しの期間で、90年代半ばから都内で始まった「カフェブーム」が(都内では当然いち段落して)地方に伝播して、それもいち段落した頃だったから、つくばにも周囲の街にもいわゆる「カフェ」がたくさんあった。本屋に行けば「わたしのカフェのはじめかた」といった類いの本や、「カフェ案内」の雑誌や単行本がたくさんあって、街はカフェとカフェ情報であふれていた(自分の意識がその方面に向いていたから、なおのことそう感じたのだと思う)。
もちろん僕もたくさんの「カフェ案内」や開業指南書を読みあさって、そのガイド通りにたくさんの「カフェ」を巡ったし、その中で尊敬する「カフェ」を標榜する店に幾つも出会ったから(云うに及ばず、その筆頭が黒磯〈CAFE SHOZO〉である)、いまこの場で決して「カフェ」より「喫茶店」が優れているとか、そんなことを云いたいわけではない。現代の日本において、このふたつの言葉の境界は限りなく曖昧で、個人個人が経験した「カフェ」と「喫茶店」の心象風景が、その人の中でそれぞれの単語の解釈に微妙な差異をもたらす程度の、もはや「ことば遊び」なので、これはあくまでも「僕のカフェ観・喫茶店観」でしかないのだけれど、当時「カフェ巡り」に満足したあとの僕が、結果的に心惹かれて繰り返し通った店々は、新聞と週刊誌と灰皿が置いてあって、壁一面にコーヒーチケットが貼られていて、カウンターの指定席にいつもいる常連さんと店主の会話(天気の話と景気の話と、ときどき政治の話)が漏れ聞こえてくるような(これもあくまでも僕にとっての)いわゆる「喫茶店」ばかりだった。
当時から「どうしてだろう」と考えていたが、あるとき、これはつまり17世紀イギリスのコーヒーハウスに対する憧れと同じ構図なのだ、と気づいた。珈琲、新聞、常連客、世間話あるいは議論。それらの要素から漂ってくる文化的な香り(もしくは、その香りが漂う「大人の社交場」に背伸びして足を踏み入れていると云う自己満足)に、僕は浸りたかったのだ(そしてその願望は、実際いまも変わらない)。
と、さすがに話が遠回りをしすぎたけれど、以上が栞日が「喫茶店」を看板に掲げたい(至極個人的な)理由であり、毎朝の新聞を置いて、コーヒーチケットを壁に貼っている所以である。
2010年の冬、大学卒業後もフリーターとして働き続けていたスターバックスを辞して、松本市内の旅館に就職するために信州に引っ越してきたとき、嬉しかったことのひとつが、健全な地方紙が地域に根付いていることだった。今回のコロナ禍にあって、そのことを改めて噛みしめている。写真に挙げた「信毎」こと信濃毎日新聞の一面(きのう・きょう)。この記事を一面に出せる気概と、メディアとしての覚悟に、心から拍手を贈りたい。
栞日では、この信毎と日経を取っているのだが、偶然にも同じタイミングで(きのう)、日経にも「ナイス!」と唸った記事が載っていたので、写真に添えた。「良識ある資本主義」。先日の投稿で「ポスト・コロナの経済の話」と云って僕が綴り、水曜の朝のラジオ「コトトバ」でも改めて話したアレコレを、ひとことで括れば、そういうことだ。この(反転攻勢&V字回復ではない)「もうひとつの道」を探っていきたい。