人の気持ちはわからない、何なら自分の気持ちも。だから知りたいんだ!
産んだこともないくせに何がわかるか!
看護師になって最初に配属されたのは産婦人科だった
陣痛のきている妊婦さんのおなかをさすりながら
「大丈夫ですよ」
というと
「大丈夫じゃないよ! 産んだこともないくせに!」
と蹴られました( ´∀` )
いまだから笑ってますが、当時は驚きと恐怖でした
陣痛というのは、耐えられる人には耐えられますが
死ぬほど、いえ死ぬよりつらい? すさまじい痛みです
痛いのに、よくそんな大声を出せるなと感心するほど
大騒ぎして暴れまわる人もいれば
じっと我慢する人
いろいろです
その大騒ぎ大暴れパターンの人に
私は蹴り飛ばされました
陣痛への怒りをすべて私にこめたと思われる蹴りは
20代前半の足腰鍛えている私をすっとばしました
「産んだことないくせに」と言われればそれまで
ごもっとも
私は出産経験はありません
とはいえ、仕事なので
と思いました
新人ですが私は言いました
「出産経験はありませんけどね、お助けする経験は豊富ですからね
大丈夫ですよ、呼吸を整えましょう、どこをさすると楽ですか~」
と本当はお助け経験もないけれど(新人なので)
嘘も方便でのたまい、習った知識をフル稼働したのです
その人の立場になって考えるとは
新人の時には、いろいろな体験をさせてもらいました
おむつをしておむつ内に排尿をする(結局できなかった)
ベッドに拘束される(5時間放置されるおむつしてる)
病院食を食べる(普通食、軟菜食、減塩食、ミキサー食など)
患者さんの立場を知るためです
※ちなみに母乳もいただきました
(これはなんのため? ですが、人によって、召し上がったものによって
色も味も舌触りも変わったのがとても興味深かったです
やはり野菜をたくさん召し上がっている人の母乳が一番飲みやすくおいしかったです)
私は健康優良少女だったので
ケガは良くしていましたが、内科的な病気はほとんどしたことがなく
経験がないと、その人の気持ちになれないのか、と思い
看護師として大丈夫だろうかと不安になったものです
やがて、気づくのです
同じ経験をしたところで、同じ気持ちになるわけではないと
もちろん同じ経験をしているのと していないのとでは
だいぶ違うかもしれないけれど
でも人に寄り添うというのはそういうことではない
その人の気持ちを知る
その人の経験、その人の想いは
その人にしかわからない
だから、私は患者さんの言葉に耳を傾けました
その人の気持ちに寄り添い
一緒に何が大事か、何をしたいのかを考える
でも、そうして寄り添った結果
その人の言葉が
その人の気持ちと同じではない
もしくは表現できないこともあると知りました
よく考えれば
自分自身も自分の気持ちをそのまま言葉にするかと言われれば
そんなことはありません
立場が違えば、守るものがあれば、嫌いな人の前では
私は気持ちを隠し、その場に合わせ、言葉にします
また、大きな決断をしなければいけない時
自分が本当はどうしたいかなんて
わからない時もあります
言葉に頼っていはいけない
言葉はわかりやすいけれど
必ずしもその人の気持ちを反映しているわけではない
恋愛もしかり
「嫌よ嫌よも好きのうち」
なのか
「ほんとに嫌」
なのか
影響力は大きいのに
その信頼性は…
なかなか深いな、と思いましたね
その人のその時に全力を注ぐ
言葉をもらったとき
本当はどう思っているのかな とは思う
でも
いま、言った言葉がある、その事実にはかわりはない
言葉を受け止め 心を知りたいと思う
その時その時、そうやっていくしかないと思いました
その投げられた言葉と、こころ深くにある気持ち
言葉を受け止めないのも良くないし
言葉だけを受け止め、その言葉を証拠として未来に使うのも良くない
言葉は音と同じように、その瞬間に効果は失う
大事なのは知ろうとする気持ちなのではないかと思いました
自己受容修行中の私だからこそ
自分の気持ちを受け止めることもできていなかった
気持ちを言葉にしていいんだよ と何度も言われ
最近ようやく向き合えるようになりました
知ろうとしてくれる気持ちは
必ず伝わる
理解はできないかもしれない
同じ気持ちになれるかはわからない
でも、そうなんだね、て認めることはできる
だから、知りたいんだ!
そうやって人と丁寧に向き合えば
平和だなとおもった今日です