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長い4月が終わります、自分よ励め

なんとかかんとか
なんだかんだ
4月が終わろうとしています

潜水したまま過ぎたような
それともプカプカ浮いて流されていたのか

死んでいたような
もがいていたような

そんな1か月が終わろうとしています

やっていたことは多々あるのですが
自分の気持ちはどこかうつろでした

3月末に
とうとう愛猫が虹の橋をわたりました

昨年の1月に1か月の闘病の末、愛猫が虹の橋を渡り
残された私たち家族(夫と私と娘ともう1匹の愛猫)はワンワン泣いてどん底の悲しみをみんなで乗り越えました。
居なくなった猫の姿を探すように、もう1匹の猫が家じゅうを鳴きながらぐるぐる回っていました。
そのまま体調を崩し、ゆるやかに弱っていきました。

そんな中、娘も一人暮らしを始め
さらに家の中の人が減り
残された愛猫がもっとも信頼を置いていたのは娘だけに
なおいっそう心配でした・・・

それでも約1年、一緒に過ごした時間はありがたい時間でした
3月に虹の橋を渡った時には
私も連れて行ってほしいと心底思いましたね

亡くなった当初は
葬式というのは、残された人間のためにあるんだと感じ入るほど
駆けつけてくれた娘の存在に本当に救われました

でもその後は
残された、という言葉がぴったり
もちろん夫はそばにいてくれますが

悲しくて悲しくて

なにをしていても心から笑うことはできず
心からなにかを感じることができず
どこか囚われているような
影がべっとりと刻印されているような気持でした

仕方がないと思う反面
いいかげんにしないと、と考えたり

同じような人が
この世界にたくさんいるんだろうと思ったり
そんな大したことないのに、他の大変な人と
一くくりに考えるのはおこがましい、と思ったり

ぐるぐるぐるぐる
ぐるぐるの世界に居ました

でも、こうして区切りと思える時期がきて
私もこうしてこのことを文章として書ける気持ちになり

なにかは進んでいるんだと
そう思えます

こうして
もがいて進みながら
愛猫の生死が私に教えてくれたものに
気づき、拾い、片を付けていくことが
まだ続くんだなと思います

まずはこの一つの記録

進みましょう

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