「すべきこと」が明確な人生は、生きやすい。けれど⋯⋯
ひさしぶりに、留学中の娘とオンラインで話しました。学年末のレポートや口頭試問を終え、奨学金の財団にも報告書を提出し、数ヶ月ぶりに時間が取れたから「やっと、ゆっくり話せるから」と、連絡があったのです。
指導教官たちからの評価やコメントなど、学業や研究についての話のあと、留学先のコロナの状況、ウクライナ侵攻の影響で、ガス代が前の月に比べて3倍以上値上がりしたこと、ルームメイトたちと今後の光熱費の高騰をどのように対策するかを話し合ったこと、日本とちがって景気がかなり上昇しているのは感じるけれど、食材の価格はそこまで日本と大きな差はない(自給率の高い国は強いですね)ことなど近況を、話してくれました。
そのあと、これからの計画を生き生きと話す娘を見て、PCの画面越しとはいえ、暫くぶりの再会に安堵し、留学生活の充実ぶりを嬉しくながめつつ、ほんの少しの寂しさも感じました。これからはもう、私が手助けすることはほとんどないだろうな、と。自分の知恵の全てを出し切って送り出したのを、自覚しているからなのかもしれません。
幼い頃、すぐにべそをかきながら抱きついてくる娘をぎゅっと抱きしめ、「神様、この子がまる1日、泣かずに暮らせる日はほんとうに来るのでしょうか?」と自責していたのを思い出しました。あれから20年余り、予期せぬ事態に混乱したこともあるし、母として正しく対処できなかったこともあったはず。それらを経験したからこその今なのだと、感慨深いものがありました。
そして、「一つの人格を育てる」という大きな仕事をやり遂げてほっとひと息ついたのと同時に、これからの自分自身の人生を見据え、ここまでやり切ったという満足感や達成感を得られるほどの対象がこの先見つかるのだろうかと不安が胸をよぎります。
けれど何よりの懸念は、それまでの「母として子供を教え導く上下関係」から「人として、互いに対等」になった変化に、どのように対応すべきかということ。もちろん、これからもずっと親子であることに変わりはないのですけれど、「保護するものと保護されるもの」という関係から卒業しつつあるここからが、娘と「人と人としての絆」を築く正念場だと思うから。
セミリタイアしてからというもの、「長年にわたって、充分に家族や周囲をケアして休みなく働いてきた(夫の秘書役+母親業+一族のケア)のだから、もう他の人のことは置いておいて、これからは自分の好きなことをしたらいいじゃあないの。」と、よく言われます。
けれど、これと見込んで心を傾け、知恵と力の限りを尽くしてきた今までの仕事から得た幸福感と、いくら好きであったとしても、趣味や旅行や観劇などの娯楽がもたらす受動的な喜びや幸福感との間には、大きな隔たりがあるに相違ないと、どうしても、そう感じてしまうのです。
それはもしかしたら、他界した母や義母たちがリタイアした後の、買い物や旅行など娯楽三昧の日々を過ごす姿を横目で見つつ、けれど決して、心底満たされてはいなかった彼女たちを、知ってしまったからなのかも知れません。亡くなった後、クローゼットにあった夥しい量の、値札のついたままの洋服たちを見つけた時の衝撃と、彼女達の満たされない気持ちをわかってあげられなかった不甲斐なさが、胸に刺さったままだから。そして母達は終生、母のままであったから。でも、それならば、いったいどうしたらよかったのでしょう?そしてわたしは、どうしたらよいのでしょうか?
「すべきこと」がわかっている人生は、生きやすい。情報を集めて計画を立て、道筋に従って、あとはそれを粛々と実行すれば良いだけだから。けれど、目的を探しながら生きるのはなかなか難しいことだろうと、抱える課題の重さに考え込んだ夜でした。