ドッジボール事件の思い出
小学生の時、皆さんは休み時間に外で遊んでいたタイプでしょうか?それとも教室でお絵描きをしていたタイプでしょうか?
僕は……なんかどっちもでした。
小学1年〜2年あたりは思いっきり外に繰り出すタイプでした。
3年生になった時のクラス替えで知り合った友人たちはどっちかと言えばお絵描きタイプだったので、そのあたりから外に繰り出す割合は減っていきました。
かと言って、全く外に出ない訳でもありませんでした。
校庭の隅にある、ちょっと気軽に登れそうな木に友人たちと登りながら、「モッタイナイ……モッタイナイ……」とうわ言の様に繰り返すという遊びをしていました。
後にその木は「ワンガリ・マータイ」と名付けられました。
このエピソードを大学の後輩に話したところ、
「そんな小学生はいない」「小学生のボキャブラリーじゃない」
と言われました。
まずドッジボールの第1の事件が起こったのは、3年生の時。
僕の小学校では秋くらいになると、1週間のあいだ、2時間目後の休みを使ってクラス対抗のドッジボール大会が行われていました。(以下:「クラスマッチ」と表記)
このクラスマッチに異を唱えたのが、僕と数人の友人。
「休み時間の過ごし方くらいこちらに決めさせろ」と主張しながら、クラスマッチの妨害工作を行いました。
もちろん怒られました。
怒られたので、あからさまな妨害はやめて
「暴走トラック!!!!!無免許運転!!!!!」
というヤジを試合中に飛ばし続けるという手法に変えました。
これはこれで怒られました。
この「ヤジ」の元ネタは「タンタンの冒険旅行」シリーズです。
ありがとう、福音館書店…………
以上が第1の事件。
まあ、第2の事件のフリでしかありません。
1年後のクラスマッチ。第2の事件が勃発します。
僕や友人たちも大人になったので、クラスマッチに反対するような事はしませんでした。
そして参加するからには優勝を目指そう、と闘志に燃えていました。
ところが、スクールカースト上位陣が押し通した「ある方針」により、状況は一変します。
クラスマッチのドッジボールでは1クラスをA, Bに分けてチームを編成するのですが、暗黙の了解で「A, B両チームの実力は拮抗するように」編成されていたんです。
これをカースト上位陣が「優勝を目指すなら、Aチームを最強の布陣にすべきだ」と言い始め、我々「お絵描き&ワンガリ・マータイ軍団」はBチームに入れられたのです。
もちろん、Bチームに入れられたクラスメイトたちは憤慨しました。
「ふざけるな!!」
「やってられっか!!!!」
落ちこぼれの烙印を押されたBチーム。Aチーム優勝の為の捨て駒。カースト上位陣の引き立て役をここまで強く意識させられるとは。
Bチームはまたボイコットを計画しましたが、これもまた無意味に終わってしまうんじゃないか。
ここで、僕の友人S氏がこう発言しました。
「同じクラスのA, Bチームは、決勝に行かないと対戦することはないようにトーナメントが組まれる」
「決勝でAチームをぶっ倒して、下剋上を果たそうではないか」
「ウオオオオオオオオオォォォオオオオオォォオオオ!!!!!」
この発言を機に、BチームはAチームへの復讐心で一致団結。
ワンガリ・マータイ軍団イチの強肩持ちだったS氏を中心に、Bチームは他クラスを圧倒して勝ち続けました。
そしてついに迎えた決勝戦。
下剋上を果たすべく、Bチームの闘志は最高潮に達していました。
ところがどっこい。
担任の先生達によりまさかの決定が下されます。
「A, Bで決勝をやっても意味がないので、1クラスとして優勝という扱いとする。」
こうしてBチームは、事実上の不戦敗に終わったのでした。
復讐の機会を奪われたワンガリ・マータイ軍団は、怒り狂う事もなく、ただただ無力感に打ちひしがれるしかありませんでした。
自由に過ごしたいと言えば怒られる。
真面目に取り組めば目標を奪われる。
最大の敵は教員だった。
小学生の僕たちにはどうしようもない…………
今も僕の中にある「ちょっとした反社会的精神」は、この頃に醸成されていったと言っても過言ではないでしょう。
だから僕は、今も若者たちに「自由になれ」と繰り返し説いているのです。
という、小学生の頃の思い出話でした。
ろくなもんじゃねぇ〜〜〜〜〜!!!!!!!
タバコ吸ってきます。
大久保
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?