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あらうんど・ないんてぃー2 卒寿祝いの日に母は泣いた。

あらうんど・ないんてぃー1からの続き

母は言う。

がなかったらどっこも行かれへんやん。
そこはみんなでサポートしますやん。

母が住んでいるのはいわゆる別荘地なので、どこへ行くにもが必要なのよね。実際、入れ替わり立ち替わり、子供や嫁や孫、ついでにひ孫まで動員して、母のQOLをキープすべくサポートが始まった。
兄弟LINEは、誰がいつ何をしに行くか?という予定の確認でみるみる埋まっていく。

が、母は言う。
「車を返してくれんかったら早ようボケるで。」

弟2号は言う。
「車はボケ防止の道具ではありません。」

弟2号
よ!
よくぞ言った!

このようにを巡ってギクシャクした空気が漂う中、卒寿のお祝いをすることになり、一族郎党で高台にある見晴らしのいいレストランに集まった。90歳は、誰にでも平等に訪れる年齢ではないし、それを健康な状態で迎えられるのは本当におめでたい事だとしみじみ思う。愛知から叔母夫婦、東京からは姪夫婦も駆けつけ総勢12名で和やかにお祝いの食卓を囲んだ。

が、そのお祝いの席で、母は言った。
が無かったら生活の自由度が無くなる。自立した生活ができない。私からを奪うのは生きがいを奪うことや。もう長生きする努力も止める。生きる希望が無い。

そして泣いた。よりによって卒寿祝いの日に・・・。
これにはみんなビックリし、戸惑い、そして困った。
弟1号からは「人格変わった説」まで飛び出し、とにかく認知症の検査のために一度病院へ行ってみようか?ということになった。

幸か不幸か母は耳が遠いのだが、それが更に遠くなった感があり「耳鼻科に行ったついでに色々診てもらいましょうか?」と提案したら、それは素直にOKが出た。

では病院へ行くのは誰か?
もちろん私だ。
そして、私は病院という場所と実に相性が悪い。負のオーラを磁石のように引き寄せて背負って帰るような感じになるからだ。あ、別にスピリチュアリストって訳じゃないんだけどね?

近くの総合病院には「総合診療科」というオブラートに包んだような名称で、実は認知症診断に特化した診療窓口があり、そこで待つこと1時間。
CTだのMRIだのを撮ってもらい更に2時間。

負のオーラが背中に降り積もるのを感じながらジリジリと診察を待つ。
ようやく通された診察室で、医師が言うには「認知症ではありません。脳と頭蓋骨の間にスキマができていますが、まあ年齢相応ですね。」と。

合計3時間+背中に降り積もった負のオーラ=「年齢相応」

ふうん?

どう考えても割りに合わない結果だが、それはいいとして。

そうか、スキマができちゃうのか?まあ、何しろ90年使っているのだものね?隙間くらいできるよね?木工家具だって建具だってガタピシしてくるし・・・。
となると、そのスキマが母をして泣かせているのかもしれないし、に執着させているのかもしれない。

敵はスキマだ!
きっとそうに違いない!

ふと気づけば、世の中には隙間が溢れているではないか!
曰く、スキマ時間、スキマ家具、スキマスイッチ、スキマバイト・・・。
敵だらけじゃん!
って、そういう話じゃなかったっけ?

しかしながら、母の「生きる希望が無い」との言葉には弟2号がかなり参ったようで「シニアカーとかはどう?」と一瞬提案してみたりもしていたが、弟1号によってあっさり却下された。

でもさー、生きる希望が無いって言われちゃうと辛いよねー?
弟2号

いや待て、弟2号よ。
あくまで一般論だけど、生きる希望が無い場合、どちらかといえば投げやりになると思うんだよね?無関心、無表情みたいな?

それに反して、母はこだわりの強い人である。卵はどこそこへ買いにいく。あそこの鶏は平飼いで無農薬の飼料を食べているから。牛乳はどこそこの牛乳が美味しい。低温殺菌で成分無調整だから。野菜は誰それの作る無農薬野菜がいいetc

はたして生きる希望の無い人が、トマトを大量に買って水煮の瓶詰めを作ったりするだろうか?
体にいいからと無農薬のニンニクをごっそり買い占めたりする?
野菜を買い占めて東京のお友達に送ったりとかする?
しないっしょ?

そうは言っても、母の希望を全て叶えるのはなかなか大変な部分もあるわけで、密かにデジタル化を目論んだ弟1号が、生協のパンフを持って来て渡したが、見向きもされず。私も生活クラブの牛乳と卵を持って行ったが、秒速で却下されちゃったし。

母は、昭和ヒトケタの人間だから今や絶滅が危惧されているアナログ人種だ。しかもにスキマまであるスキマアナログ人だ。自分がいいと思う物をちゃんと手に取って確かめて買いたい人種なのだ。我々3人をそうやって育ててくれた訳だし、それが彼女のライフスタイルなのだろう。

こうして、省エネ的デジタル化計画は見事に却下され、子供たち(嫁も孫もだけど)は、母の指定したモノを指定された場所で買うために東奔西走することになった。もしくは、一緒に買いに行く。

でさ、その生活のどこに生きる希望が無いのだろう?
あん?
マジで教えてほしいんだけど?

「もう駄々っ子と一緒だよね」と弟1号
でも、何と言おうとはダメ。人の命を奪う可能性があるので、そこは絶対に容認できない、と。兄弟の意見は不思議なくらい一致している。別々の家庭を持ち異なる仕事をし、長く離れて生活しているにもかかわらず、だ。これってDNAのなせる技なんだろうか?

ともあれ、兄弟が3人いる事は母に感謝だね、と。

そうこうするうちに、母はについてあまり言及しなくなった。兎にも角にも生活のQOLは保たれているからだろうか?

と思っていたら・・・。

(Life goes onなので)続く


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