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彼はタンゴのステップを踏んでいるのさ。

グレイッシュ・ホームでのこと。
周囲からミスター・ダンディと呼ばれているお爺さんがいた。
お爺さんは、大都会の出身で、生涯にわたってソーシャルダンスに関わってきたという。月に一度のお誕生会には必ず蝶ネクタイを締めて現れるなかなかの洒落者だ。

そんなミスター・ダンディ(以下ダンディと表記)が、ある日、私にこう言った。
「ホームのオーナーに言われたんだよ。みんなにソーシャルダンスを教えてもらえないかって。だから、コンチネンタル・タンゴのレコードが欲しいんだよね?」と。

私は言った。
「今は、スマホがあれば、どんな音楽でも聴き放題なんですよ?ダンディさん、スマホはお持ちですか?」
が、ダンディがポケットから取り出したのはガラケーだった。

うーん・・・。

そこで、チーフに
スマホ貸してあげてもいいですか?と聞いた。
するとチーフは「駄目だよね?」ともう一人のスタッフに確認し、「規則だからスマホは貸せないの。」とあっさり却下。
「じゃあ、仕方がないねぇ。」と答えるダンディ。なんと言っても紳士だから、そこは礼儀正しいのである。

ところで、メインルームにはCDプレイヤーがある。


そうだ!あれを使えばいいんじゃん👌と閃いた。
「CD探しましょうか?」と私。
「うん、そうだね。そうしてくれる?」

翌日、チーフに「ダンディがCDを探してほしいとおっしゃっているので、探してもいいですか?」と一応確認を取る。すると、チーフ曰く
「あの人は認知症だよ?確かにトップに頼まれたかもしれないけど、それはもう何年も前の話でさ。だから、マトモに話を聞かず受け流しておいた方がいいよ?だいたい、もう踊れないじゃん。」

たしかに・・・。

ダンディは杖をついて歩いているのだ。

だが、それからというもの、ダンディは私を目で追う。
その目がこう語っていた。
「CD探してくれた?」と。

私は?というと、やや気が重かった。チーフは認知症を理由に「聞き流せ」と言うが、ダンディの気持ちはよくわかる。彼の人生の中でダンスの占める割合はどのくらいだっただろう?どう低く見積もっても50%くらいはあるのではないだろうか?

となると音楽の占める割合は半分の25%?これは結構大きい。認知症の場合、古い記憶は残っている事が多いので、音楽をきっかけに何かが蘇ったりする可能性だってあるのではないか?と思い始めた。ダンディの視線も刺さるように痛いし。

介護初任者研修の教科書に「センター・オブ・パーソン」という言葉があり、「今の状態」だけを見るのではなく、その人のコアな部分を見るべきだとちょうど習ったばかりでもあった。

タンゴかぁ〜、どっかにありそうだな?と思い、実家のCDを漁ってみたところ、コンチネンタル・タンゴの巨匠アルフレッド・ハウゼを発見!
発見したのはいいのだけれど、問題はどうやってダンディに渡すか?だ。人目のあるところでは渡せないしね。えこひいきみたいになっちゃうじゃん?

結局、ダンディの部屋でこっそり渡し「誰にも言わないでね!」とクギをさしておいたがムダだったw。
ダンディったら、私が近くを通る度に「ありがとうね〜!」と大きな声を張りあげるんだから😅



言わないでって言ったじゃん!」💦💦💦


うーん、認知症は短期記憶から忘れていくというが、こういう事かしらね?
あ、でも忘れてないから言っちゃうのかも?
ま、いっか。

とにかく、それ以来、ダンディは時々CDプレーヤーでタンゴを聴くようになった。プレイヤーに耳をつけ、えも言われぬ表情で聴いている。
プログレッシブ・リンク→クローズドプロムナード→ロック・ターン
オープンリバース・ターンでレディ・アウトサイド。
と、ステップを踏み踊っている。

パートナーと反対の方を向き、また視線を合わせる。離れては近づく。
今、彼が聴いているのは蒼空だろうか?


ダンディはもうフィジカルな意味では踊れない。
でも、心の中でなら、彼はいつだってタンゴを踊れるのだ。


「ダンディは毎日何を聴いているんだろうね?」と誰かが言う。


ダンディは聴いているのではない。


彼はタンゴのステップを踏んでいるのさ。

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