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波照間にて

お世話になっている方の母が亡くなった。
訃報を知らせる電話の、すぐ隣でそれを聞いていた。旧盆、迎えの日に、お墓掃除をした直後のことである。電話が終わり「御愁傷様でした。」と声をかけると、
「いや~もう102歳だからお祝いだよ。」と、しかしその顔はやはり少し寂しそうであった。

さて、ここは波照間島。
日本最南端の有人島であり、明日は島をあげての最大行事「ムシャーマ」である。喪中だとこうした行事には出ることができないので、外は年に一度の大賑わいを見せる中、Sさんは家でひとり静かに過ごさなければならない、というのもより一層寂しいであろう。
ちょうど島にはこれまたお世話になった波羅蜜ファミリー御一行が沖縄本島から大人数で来ていて、ご飯難民になりそうだったので、(ムシャーマは島民総出の行事なので、宿やご飯屋さんを営む島民も例外でなく、基本的に休みとなる。)これはと思い立ち、Sさんのお家でみんなで大パーティーとすることにした。

性来人をもてなすのが好きなSさんなので、食材を持ち寄りみんなで作るよと言っても、「俺が振る舞う」と言って聞かなかった。
前夜一緒に釣り上げた魚の刺身と魚汁、ソーキにご飯、島バナナ、それとみんなで持ち寄ったものと豊かな食卓になった。
Sさんは愛する我が島の話をする時が何より嬉しそうだ。また、波羅蜜のマスターが聞き出すのが上手いのなんの。僕ひとりだと「はいはい、その話は何度も聞きましたよ」となってしまうので、この絶妙なマッチングは横で見ていてとても嬉しい光景となった。
島のことを今とても知りたいであろうIさんも加わって、Sさんは上機嫌、熱弁のオンステージとなった。
好きな人と好きな人が繋がる光景は何より嬉しい。
みんなが帰ったあともSさんはまだまだ飲みたがって二人で遅くまで飲んだ。

さて、ムシャーマ当日は雨の予報が嘘のように晴れ、無事に全て執り行われた。
僕は、みんなが西組の行列に出るというので、今年は参加せずに見る!と強い気持ちで来島したが、お世話になっている方が役員だったこともあり、東組の「豆どうま節」に参加することになった。
一度でいいからじっくり眺めたいと思いつつ、そうできたことがない。
「豆どうま節」は鎌、へら、鍬を持って、農耕の様子を踊るもので、子供たちの「イーヤサッサ、チィチ!」という元気な声が可愛い。前を歩く小さなSくんが振り返るたびにニコリと笑いかけてくれて心がホクホクする。

午前のミチサネ(行列)が終わり、東組の獅子が二頭のうち一頭しか出ていなかった。7年前に獅子に入らせてもらったこともあり、思い入れもあるので、心配になり声をかけた。
どうやら獅子ではなく獅子ぬ前(獅子をあやす鬼)の人手が足りていなかったようで、午後のミチサネでは獅子ぬ前を急遽やることになった。
午後の行列では無事に2対の獅子ぬ前と獅子とが揃って、なんだか他人事のように嬉しかった。

「他人事」と書いたのは、自分も嬉しいのだけれど、それ以上に何か別のところで嬉しいような。私という境界線が曖昧だけど、本来こうであったような。「私が嬉しい、みんなが嬉しい、島が嬉しい。」に近いのだけど、なんだか上手く言葉にすることができない。
島と何かしらの約束をしてしまったのかもしれない。と思うことがある。
来たくて来ているのか、必要があるから来させられているのか、描きたいから描いているのか、島の何かが出たがっていて描かされているのか。いつからかその境界線が分からなくなってしまった。

一時期は取り憑かれたように年に2、3回ほど通い、絵を描いたり島の人と交流したりしていた。7年前にムシャーマの手ぬぐいが完成してからは、役目が終わったかな、と、その駆られるような気持ちも落ち着いていた。
今回も来るかどうか、実は少し迷っていた。
それでも来るとそこに何かしら役割があり、それは自分の意思なのか何か別のものの意思なのか分からないところで立ち回っている。
隙間を縫うような。今回はそんな立ち回り。
波照間との関係はそんな感じでなんだかんだ続いている。
いつか住むことになる日も訪れるのだろうか…

翌日は、朝から昨日の分まで降るかのような恵みの大雨。
もうこれ以上濡れても変わらない限界まで濡れたので、最後は雨を避けることもせず、Iさんと港でみんなを見送った。

P.S.
ムシャーマ手ぬぐいは西組のミチサネ(行列)を描いているので、「東組のはないのか」と、この7年ずっと催促されていた。今年、獅子ぬ前をやったことで、東組の手ぬぐいは「フィーチャリング獅子」にしようとピピピと来ました。
やっと形にできる。もう少し楽しみにお待ちください○
今せっせと版画を彫っています○

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