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こっちの土俵

寝込むだろうと分かっていて
久々に40時間近く眠り込んだ。
旅暮らしになって3ヶ月
気付くと旅と暮らしの境界があいまいになって
沖縄での展示準備から在廊、撤収までの約1ヶ月
休みなしで走り続けた。
できる、とどこかで思っていたから走り続けたのだが
できない、からやっぱり無理が来る。

撤収がいよいよ終わって
展示に関わってくれた人も多かったし
たくさんの人と触れ合ったから
一人の時間を過ごそうと、
車中泊もそろそろ暑さが限界なので
キャンプ生活を始める。

湧水を汲んで(キンキンに冷えた湧水での水浴びも最高)
沖縄本島の北端のビーチにテントを張る。
目の前でシュノーケルも波乗りもできるし、
銛で魚をついて、バナナの葉で包んで焚き火で蒸し焼きにして…
なんて思っていた。
沖縄の流木は硬い木が少ないからか
流れ着いたカゴ一杯に拾い集めた流木も
早くに燃え尽きてしまい、
熾火の宇宙を眺めながら流れ星の降る空の下
早々と波の音と眠りについた。

翌朝灼熱の太陽で目が覚める。
ここは東海岸。
海から日が昇った瞬間、全速力の太陽パワー。
梅雨明けの沖縄すさまじい。
「ウチナンチュか?」と良く聞かれるけれども
年々暑さに弱くなっている。
あまり長居はできないな、木陰のある場所に移動しよう
と思いつつも、ひとまず銛を片手に海に潜る。
200mほども沖に向かって泳ぐと棚に当たって割れる白波のあと
一気に深くなり、サンゴ礁と色とりどりの魚たち。
初めての海に入るときはいつも緊張して
潮の変化や地形に少しの注意もそらしてはいけないと
全身が粟立ち、まさに全身で波の感覚を探っている。

銛を持っていると魚を見る目が明らかに変わる。
美味しそうかどうか、命をいただくという交流をできるかどうか
なかなか銛を放つ、までいかない。
じっと対峙する時間が流れていく。
いよいよ狙いを定め、あとは潜って近づくだけ…
と思ったがいつも通り潜れない。
疲れがたまると鼻づまりのひどいここ1年ほど。
耳抜きがうまくできず少し潜るだけで頭が痛い。
無理はせず、でも夢中になっていたところも少々あり
海から上がるとすっかり頭が痛かった。
結局魚も獲れずだった。

少し休もうと木陰で昼寝をして起きた頃には
これは熱中症かな?というくらいの頭痛と
暑いけど少しの寒気もあって
迷った末、宿をやっている友人に電話をして
急遽泊めてもらうことにした。
それからこんこんと40時間眠りつづけた。
ちなみにその間、車内に放置していたバナナは
ドロドロの液状になっていた…

期待の裏返しのプレッシャーや孤独と
旅暮らしの落ち着かなさと
受け入れてしまった依存
のトリプルパンチ

できること・できないこと
したいこと・したくないこと
の軸があるとしたら
「できる・したい」はどんどんやって自身と他者に貢献していけば良いし
「できない・したい」は挑戦する価値がある。
それが少しずつできるになっていく過程は何より楽しい

「できるけどしたくない」ことも
「自分にできるのならば…」と「したい」片鱗が少しでもあるうちはやりたいし
でも本当の意味でそれは「できる」ではないことももう知っている。

「したくないし・できない」ことをやっている時間はもうない。

「できる・したい」ことをどんな状況に置かれてもとことんやり続ける勇気と
「できない・したくない」ことを明言化して共有するスキル。

いずれは「できる・したい」しか残っていかないと思うし
私たちに残されている時間は実はそんなにない。
バランスだけれども。
「できる・したくない」をやりつづけて他人に不寛容になっている人の多さよ。

ちなみに私は同時に一つのことしかできません。
そしてスピードが人よりとても遅いみたい。
何か取り組んでいる最中にあれやってこれやって、となると
全部進まなくなってしまう。
だから「ちょっと待ってね」を良く使うし、
その間に忘れてしまうこともあって、
もう一度言ってくれたりするとすごく助かる。
今回もそういう癖をさっと汲み取ってくれる方がいてとても助かった。
けれど自分からそれを発信するタイミングと言語化できる瞬発力が足りなくて
他の方には伝えられなかった。

一対一だとセッションしながらお互いの土俵が次第に見えてくるけど
一対多の場合はこっちの土俵を明確に提示しないとセッションが始まらないんだね。
どうやって提示するか。
有名人でもないからやはり言葉がツールになってくるのでしょうか。
反省多き展示でした。

40時間寝つづけて回復して
展示の打ち上げに寿司を握りました。
喜んでもらえて良かった。
寿司を握るのは旅の間に教えてもらって3回目。
「できない・したい」が「できる・したい」になっていってるところ。

しばらく療養したい。

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