似顔絵というより…
似顔絵をはじめて1年がたった。
引っ越しを機に、みんなの顔を見ておきたい、言葉によらない交流の時間を持っておきたい、と始めた似顔絵だが、氣付けばこの1年間で60人近く描かせてもらった。
『似ているようで少し違う。
少し違うのだけど、確かに「わたし」。
もう一人の「わたし」のような。』
『「今」と「生」を祝福しながら永遠の中の一瞬を共に旅したよう。』
『自分の奥にあるものを見てもらえるというのは何とも言えない安心と喜びがある。』
『似顔絵というより気の交流。鍼灸みたい。』
『見るたびに、絵が、わたしが変化していく。』
そんな言葉をもらう。
人によって選ぶ鉛筆も違うし、セッション時間も1時間弱〜3時間近くと様々だ。
輪郭から描くことになる人もいれば、細部から描くことになる人もいる。
その人の持っている「光の質感」みたいなものがある。
でも最後は必ず、その瞳の奥を描くことになる。
目を真っ直ぐ見合う時間は、お互いを開示する時間だ。
最初は目を合わせることを恥ずかしがっていた人が、最後にはこちらもドキッとするほど真っ直ぐな眼差しでこちらを見据えている。
時空を超えたような、もともとひとつだったことを思い出せるような不思議な感覚になることもある。
笑顔はもちろん素敵だ。
でもその笑顔を支えてきた喜怒哀楽、色んな氣持ちや、奥にある優しい心とか、そういう奥行きまで描きたい。
描いている1時間近くのあいだ。
描かれる人、絵、僕の3者で彫刻し合っているようだ。口元が笑った瞬間、美しいものを目に宿した瞬間、変化していく表情の集積が1枚の肖像になる。
その本当の美しさは
その瞳の奥の精神に反映される。
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こちらは自画像○