弱さと強さについて
あなたはテレビでよく、正義の味方が悪い奴をやっつけるものを見ていた。
「やあぁぁぁ」とかいうかけ声や、主人公の青年や少女が(ぼくからみると)格好をつけて斜に構えたような話し方をするのを、真似したりもしていた。
わかるよ。ぼくも好きだった。
そもそもそれらを見るようになったきっかけは、ぼくがそれらをつけ始めたせいだし。
その影響か、あなたは普段から強い言葉を放つことが多い。
ときには感情をコントロールできずに、相手に対して高圧的な物言いになる。まあそれはまだ子どもだからしょうがない。
そうやっていろいろな状況を経験していくなかで成長するしかない。
気になっているのは、ヒーローがはたして強くて憧れの存在として適しているのか、ということ。
だってあいつら、敵と揉めるとすぐに殴ったり蹴ったりするんだよ?
しかもそれがなんとまあかっこいいこと。困ったことにね。
あなたもよく人に手を出してしまうね。
相手が自分の意に沿わないことを言ったりしたりすると、パンチしたり強い口調で脅すようなことを言ったりする。
なんでそうやって言い方が強くなってしまうのかを考えると、さっき言ったみたいに感情をコントロールできないから、ということ以外にも考えつくことがある。
自分の弱さを覆い隠すために強く言っているんじゃないか、ってこと。
人から責められないように、自分を守るために、強い言葉を放ったり手を出したりしているんじゃないかな。
では、そのときにあなたが隠したい「弱さ」とはなんのことだろう?
力がないこと?臆病であること?自分に自信がないこと?
うん、それらを否定して隠したくなる気持ちもよくわかる。ぼくだってそうだ。
小さい頃はとくにそういうことが気になって、自分を強く見せたいものだ。
そしてもちろん、ときには物理的な力が必要だということも否定しない。
非力なぼくではあなたを誰かの暴力から助けることはできないのかもしれないから。
生きていると、誰かの役に立ちたくて「なにかしなきゃ」と思う場面がある。けれど力不足でそれがかなわないこともある。
そうしてそんな状況ですらも、おまえの努力不足だと批判されそうで不安になる。
そんな日々をどうやってやり過ごそう?と鬱々とする。そんなぼくたちはやっぱり努力不足なのだろうか。
弱いのだろうか。
けれどそれでも、強くみせようとすること自体は本当に強さなのだろうか、と思うんだ。
弱さをさらけ出す強さ、というものがある気がしているんだ。
ぼくの弱さ、あなたの弱さは不要なものなのかな?
弱さは人を惹きつけると思う。強さも人を惹きつけるんだけど。
弱さは人のいる場所まで降りていく。強さは人をある場所まで引き上げてくれるんだけど。
なのでぼくは強さを否定しない。だってそれをもっている人たちこそ、きっとなにかしらの弱さを抱えているから。
故に弱さも否定しない。それはだれしもが抱えているものだから。
きっと人にはどちらも必要なのだと、いや、どちらも宿っているのだと思っています。
あなたのその弱さが、きっとだれかの強さになるのだと思いたい。
だから、無理して強くあろうとする必要はないんだよ。
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