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月の輪祭り〜アフターコロナ その2

前回、折口信夫(民俗学者:1887~1953)の「大嘗祭の本義」を参照して「まつり」を"奉る(祀る)"、"政(まつりごと)"、”祭り”の3つに分類し説明をして見ました。
神の声を聞き、伝える「奉り(祀り)」
それを実際に行う「政」
行われた政の結果を神に報告する「祭り」

しかし、月の輪神事の始まりは鎮魂祭です。
鎮魂祭と大嘗祭を同列に考えて良いのかと言った疑問をお持ちの方もおられるかも知れません。
「大嘗祭の本義」には、鎮魂祭も同様に行われていたとの記載も見ることができますが、それ以前に異なる理由も在る可能性が在ります。

私が考えたのは、天災などの災厄に対してそれを収めるという役割を鎮魂祭に与えたのではないかという事なのです。

人の脳というのは、あらゆる事象に一定の繋がり(関連性)を紡ぎ出すことで環境を理解し、適応してきたものという事が出来ます。
そういった関連性は将来の予測につながるので、脳の働きとしては大切な側面ではありますが、一方、まったく無関係なものに対しても関連性を見いだしてしまうという特性も持ち合わせているのです。
何か不都合なことが起きた際に、悪いことをしたから神様が罰を与えたと考えたりする事が在るのはこういった無関係な事象にも繋がりを見いだす脳の情報処理によるものと言えます。
語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)の娘が海岸でワニ(鮫)に襲われ亡くなった時に、なにかしらの天災が起きていた場合、天災が亡くなる前であれ亡くなった後であれ、人の脳はその一連の事柄に対してなにかしら関連性を作り出します。
そして、天災が起きない、或いは被害を減らすために亡くなった人の魂をおさめる為の「まつり」を行う事は当然の成り行きとなりますので、この月の輪神事、月の輪まつりと言われる行事も鎮魂祭ではありますが、「奉り(祀り)」「政(まつりごと)」「祭り」の3つの側面を持つことになると考えても良いという事になります。

そこで、少し資料を調べてみました。
島根大学が、「山陰地域における自然災害データベースの構築および防災研究拠成」という研究を発表されておられます。

https://ndrre.shimane-u.ac.jp/_themes/original/pdf/researches8.pdf

これに寄れば、やはり語臣猪麻呂の娘が亡くなったとされる天武3年(674年)には鳥取に強風害が起きていたようです。

1618年 日本地図

さすがに674年の地図はちょっと見つかりませんでしたが、安来市というのは島根県でも最も東の市です。鳥取で強風害があったという事は安来にも影響があったと考えるのが自然でしょう。
このことから、私は、月の輪神事,月の輪まつりが自然災害をおさめるための「政」としての意味合いを持っていたと言っても良いのではないかと考えています。
しかし、その作法として、鎮魂祭の形を持っていたという事になります。
具体的な作法として、「えんやえんやでこでっとーや」とのかけ声が、「みんなみんな出てきて手伝えや」という言葉が変化したものであるのであれば、街中で人集めを行い、海岸で終わると言った作法ではなかったと推測します。
現在も、月の輪神事は海で終わりますので、その作法を守っていると考えて良いでしょう。

神事としての奉り(祀り)はその作法を伝承していると言っても良いでしょう。
現在、欠落してしまっているのは、政と祭りの部分であるという事になります。

その1でも引用しましたが、折口信夫は“私は、祭政一致といふ事は、まつりごとが先で、其まつりごとの結果の報告祭が、まつりであると考へて居る。”と書いています。
つまり、本来、政が先であるべきなのです。

現状では、この月の輪神事、月の輪まつりの文化は失われつつあると言っても良い状況であると云えるでしょう。
たぶん、本来、新型コロナという天災に出会った時こそ、文化的には必用なまつりである筈なのです。

さて、本題の方に戻ります。
国が政策としてこういった集まりを中止すべきとした時期に、こういった文化的な行事が中止せざるを得なかった事は理解します。
しかし、現在、国はこういった行事を中止しているわけではありません。
にもかかわらず縮小していくという事にはそれなりの理屈が必用なのだと思います。
現在、安来市からこういった説明は無い様に思います。
一度安来市に問い合わせたところ、安来市観光振興課より、近年、踊りの参加者が減少し、そこにコロナ禍が起きたことで、中止に至ったという経過の説明とともに、花火大会を8月11日(日)、イベントを8月14日(水)とこれまでと日程等を変更し、現在、開催に向けて準備を進めているとのご連絡を頂きました。
そして、今後も、持続可能なイベント運営となるよう関係各所と連携し、安来を盛り上げていきたいと結んでありました。

既に政も祭りとしても,必用な作法が消失し、政、祭りではなくイベントとなるようですね。

と云うことで、今までの文化的な行事、作法が残すことが出来なくなったという理屈を知りたいという事は前回の記事で書きました。
何処から手をつけて良いのかは解りませんので、取りあえず人口推移と安来市の収支を見ていきたいと思ったのです。
取りあえず人口から。

安来市 平成22年〜令和5年4月度の人口推移

安来市のホームページから平成22年から令和5年までの4月度の人口を引っ張ってきたものです。
これを折れ線グラフにしたのがこちら。

安来市人口推移

まぁ、少子高齢化と言って良いのでしょうね。
コロナ禍は令和2年からです。コロナ禍で急に人口が減っているわけでは無さそうです。
このグラフを見て気が付いたのが、現在の人口減少は少子高齢化と言われていますが、子供が少ないという事ではなく、生産年齢人口の低下が目立つ様な気がすることなのです。生産年齢人口が減少しているというのは、当然子供を産む年齢層も減少しているので、人口減少が加速することになります。そして、税収は下がるはずなのです。
子供は生まれているのに、成人した際に安来に残る、或いは大学などから安来に戻ってくると言う選択をする人口が減っているのではないかという気がしたのですね。
で、人口ピラミッドを確認してみます。

安来市 令和5年度人口ピラミッド

安来市のホームページに掲載されている図です。平成26年度の人口と令和5年度の比較ですね。
0〜4歳の子供が減っています。これは、子供を産むような年齢層である20〜24歳、25〜29歳、30〜34歳、35〜40歳の人口が減っていることが要因なのでしょう。
反面、学童期にあたる10〜14歳、15〜19歳はある程度の人口を保っているようです。
やはり、高校を卒業して安来市を去って行く子供、或いは大学などで安来市を出て行く子供が多く、その人達が安来市に戻ってこないと云うことなのでは無いかと思います。
この傾向が続けば、現在40歳から65歳までの労働人口が仕事を終える20年後、安来市は深刻な労働者不足となって中小企業は後を継ぐ人がいなくなっちゃって一気に消失していくような気がしますね。税収が極端に減少する可能性が在るような気がします。

話が少し変わりますが、国土交通省が地域の魅力を高めると云うことに関して、以下のようなデータを提示しています。

図表106

このデータを用いて、この様に記載しています。
「(2)地域らしさ
(地域らしさの重要性)
 利便性が重要である一方で、地域らしさに対する関心も高い。図表106でもみたが、自然環境、気候や風土、治安や風紀、住民のつながり、文化・歴史など、人々の関心は様々なものに広がっている。
 地域の暮らしや生活環境に関する諸条件について、重要度と満足度を聞いたところ、三大都市圏と地方圏で差異がみられた。利便性に関する項目など三大都市圏において満足度が高くなっている一方で、重要度が高い項目の中でも、自然環境など地方圏の方が満足度が高い項目もある。単に便利というだけではない別の“満足”があるわけであり、このような要素を守り伸ばしていくことも大切である。」

「もとより日本の地域には、自然的要素のみならず、人々の暮らし文化といった社会的要素についても差異があり、多様な特性をもっている。日々の暮らしにおける地域に根ざした要素は愛着ともなって、その地域に住み続けたいとの魅力にもつながる。
 例えば、まちなみは、その地域の顔として地域の人々の共有の財産であり、景観への取組みは近年高まっている。文化的な景観は、人々の暮らしに潤いをもたらすものであり、保存のみならず再生し、観光やまちおこしにつなげていくことも大切である。」

これらの条件のなにかしらが欠けている事が、学童期の子供達の人口は比較的保たれているにもかかわらず、20〜24歳、25〜29歳、30〜34歳、35〜40歳の人口が減っている〜地域からの人の流出がおきている原因なのかも知れませんね。

いずれにせよ、「じり貧」と言っても良さそうな状況です。
将来的には、安来市の財政破綻というのも見えてきそうな気がしてきました。
(^_^;)

長くなってきました。
次回は、安来市の経済状況に関して、解る範囲で調べていきたいと思います。
<m(__)m>




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