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小説:侵略から15年後…2章『五つ守の物語』
2章 自由のまち、中央自治区
鳥のさえずり。草を踏みしめる音。
聞こえるのはそれくらい。
朝靄の中、僕は毎日一時間ほどかけて歩く。「二つ丘」に着く頃には、僕の膝から下は朝露で濡れている。
道の途中、靄のせいでぼんやりとしか見えないがれきが、罠みたいに突然あらわれるけど、そのがれきのそばに、かわいらしい花のつぼみが寄り添っている。五つ守の大陸にも、小さな春がやってきた。
はるか昔、それも守護龍たちがやってくる前、このあたりは人間と〝土の人〟が手を取り合って、豊かなまちをつくっていた――らしい。今ではその遺跡みたいなものががれきになって、ところどころに残っているだけ。がれきは苔や蔦で覆われて、昔の記憶として僕たちに伝えている。
年々、中央自治区への移住者は増える一方だ。自治区で一番賑やかなまち「二つ丘」には住む場所が足りなくなって、周辺に家を建てる人も多くなってきた――つまり、僕たちバティ一家もそうだった。でも、郊外に住む理由はそれだけじゃない。
父さんは玄の国から、母さんは青の国からやってきて、この中央自治区で出会ったわけなんだけど、僕たちバティ家はひもじくて、二つ丘に住むことはかなわない。
だから、僕は早朝からくさむらをかき分けて、二つ丘を目指して歩く。目抜き通りにある「ズンのなんでも金物店」に働きに行くんだ。
母さんはときどき悲しげに言う。
「ユージン、ごめんね。十五歳の子どものあなたを、毎日働かせて」
「ううん、なんだかんだ、ズンおじさんのところで金物を扱うのが好きなんだ」
と言うのは僕の本心だ。
僕は小さなあくびをして、ほのかに煙が立ち上る二つ丘を眺めた。
なぜだろう、毎朝見る光景なのに、少し変な気がした。
「モンテ・ベーチェが死んだ」。
僕が悲報を耳にしたのは、目抜き通りに到着したときだった。
「二つ丘」はその名の通り、二つの丘を利用したまちで、その丘の間をはしるのが、店が立ち並ぶ目抜き通り。我こそ目立たんと、それぞれの店が勝手に布張りの簡易的な庇を立てて、軒先を前に広げていくから、人が通れる幅はどんどん狭くなってしまった。
昼頃になれば、豪快に並べられた商品と、多様な肌の色や服装の人たちで埋め尽くされる。僕はこの景色を、砂埃が舞う中に浮かぶ虹みたいだと思う。
そんな目抜き通りで、いつもは朝の開店準備でけだるく働く人たちが、手を止めて話に夢中になっている。
みんな、どうしたんだろう。不思議に思いながら歩いていると、この町で一番有名な老人、モンテのことを話していることに気がついた。
好奇心たっぷりで、噂好きの中央自治区の人たちだけど、「モンテの死」の噂が駆け巡り、それが事実だとわかると、みんな悲しみに暮れていた。
「ユージン・バティ! モンテが死んだってよ!」
「みんなが話してるから、もちろん知ってるよ」
ズンの金物店の隣にある小麦屋のおじさんが、僕の目の前に飛び込んできた。
「モンテって、いくつだったの?」
「九十歳といってたな」
「大往生だね」
「波乱万丈の人生だ。だが、悔いはないだろう……愛する妻と一男三女に恵まれた男だからな」
十五歳の僕なんかは、まちの顔役の人生について聞きかじった程度しか知らないし、まちなかで見かけても挨拶するような仲じゃない(お世辞にも愛想のよくない老人だった)。でも、みんなが悲しむくらいに尊敬された人物だってことは確かだ。
反骨精神と心の底に情のある人。まちのおじさん、おばさんたちから聞かされてきて、そういう印象がある。
昔はただ治安の悪かったこの地を――今でも、喧嘩や強盗は日常茶飯事だけど――「自由」で懐の深い場所に変えて守り続けてきた。
五つ守の大陸の中心にあるこの中央自治区には、四つの国から交易のためにたくさんの人がやってくる。それだけじゃなく、いろいろな事情によって自分の国で生活できない人たちが移り住む場所でもある。はぐれ者の〝受け皿〟になっている。
ここでは「いろいろあったのさ」と言うのが常套句。それ以上、相手の過去を詮索しないのが暗黙の了解なんだ。
モンテ・ベーチェも若い頃、玄の国から職を探しにやってきた。この地の荒くれ者たちに揉まれながらあくせく働き、中央自治区一の大工になった。
彼のおかげで、中央自治区はれっきとした一つのまちになった――それまでは「自由」とはよくいったもので、実際のところは無法地帯だったんだから。
「これから出棺するらしい。モンテがいなくなったら、誰がこのまちをまとめるっていうんだ? モンテはこのまちの首長みたいなもんだったからな……最後まで一市民であり続けたが。偉大な男をなくしたよ。もう俺の小麦を買いに来ることもないんだな……」
額をさすりながら言うおじさんは、モンテとの思い出が蘇ってきたのか、唇をかみしめていた。僕は背中をさすってあげたけど、別のことを考えていた――ズンおじさんのことだ。
「ズンのなんでも金物店」は、目抜き通りにあるたくさんの店の中でも目立つ存在だった。あえて店先を小さくしているんだ。両隣の店に比べると奥まっている。つまり、これがねらいなんだと、ズンおじさんは言う。
日中には歩くのもままならないくらい、大変な人混みになる目抜き通り。この奥まった空間に、行き来する客は休憩がてら入り込む。そうすると、自然と金物店の商品に目がつく、というわけ。
僕が心配していたのは、ズンおじさんの長話が最長記録を更新するんじゃないかということ。ズンおじさんも悲しんでいるに違いない――小麦屋のおじさんに比べて、かわいげのひとかけらもないけど。
僕は小麦屋のおじさんに別れを告げて、金物店の店棚をくぐると、ずんぐり太った背の低い、白髪頭の薄くなった老人に声を掛けた。
「おはよう! 朝から驚い――」
「もうこのまちはおしめえだな!」
「モンテのこと――」
「不勉強のお前は知らねえかもしれんが、モンテは中央自治区をずっと守り続けてきたんだ。自由に商売させてくれるし、揉め事があったときには仲裁も引き受けてくれる。十五年前の『炎の侵略』戦争の後、白の国のもんが大勢逃れてきただろ?」
「僕がまだ赤ちゃんの頃の話でしょ? おじさん連中がよく語る話だね。モンテは――」
「モンテは白の国のもんを受け入れた。そんで、探りにこようとする朱の国のもんを問答無用で追い払った」
「かっこいいよね。僕も好きなセリフ――」
「『ここはお前たちのまちじゃねえ。手荒い真似をするなら受けて立つ。だがな、かつて朱の国の王女ベレーナやイグアが命がけで守ったまちだということを忘れるなよ』ってな。朱の国の兵士たちはそれでそそくさと帰っていったよ」
このおじさんは人と会話することができないらしい。ということを、僕はこの店で働き始めた一日目から悟ったことを覚えている。
僕はズンおじさんの声を背に――そっぽを向いても気にせず話し続けていた――斜め掛けのカバンを作業台に置いて、あたりを見回した。
小さな店先にしては、中は案外広いんだ。中央の大きな机の上には、鍋や包丁などの調理器具、食器、貴金属やらが散乱している。机の上にのりきらず、机の足元にも無造作に並ぶ。
「なんでも金物店」の名に恥じない豊富な品揃えだ。まあ、ある意味、無節操とも言える。
いったいどうやってズンおじさんはここまで商品を集めることができるんだろう。それを聞いても、おじさんが答えることはない。決まって「そんなこと聞く暇があったら手を動かせ」と言って、箸にも棒にも掛からない。
仕入れてきた商品はだいたいが汚れていたり、壊れていたりするから、僕が直してから棚に陳列する(手先の器用さはちょっと自慢だ)。たぶん、どこかで怪しい繋がりがあって、二束三文で買いたたき、その何倍もの値段をつけて売っているんだろう、と僕は睨んでいる。そんなことを言ったら、げんこつが飛んでくるのが目に見えているから、絶対に口には出さないけど。
ここでは、僕の仕事は二つある。ガラクタをきれいな商品にすること、そして、このまちで日常茶飯事である盗みがおきないか、注意深く監視することだ。
いつものように、僕は店の隅に置かれた山のように積んであるガラクタを確認し始めた。その間もズンおじさんは話し続けていたが――もう僕は相槌を打つことをあきらめた――彼にとっては相手が聞いているのか聞いていないのかは全く重要じゃない。
「もう七十年も前になるか……モンテ・ベーチェ、朱の国の王女ベレーナとかくれ族のイグア・ソニア、そしてその仲間たち――このまちを、強大な白の国のオース王から守り抜いた『二つ丘の戦い』の話はお前も好きだろう? あぁ、もちろん当たり前だな。荒くれ者ばかりで団結なんてことを知らねぇやつらが、ベレーナの言葉で一つになった。小せえ頃に、遠くから俺も眺めていたよ。美しかったな、大陸一の美女だった。モンテはただ汚くてまばらに建物が建つこのまちを屈強に建て直し、イグアも白の国の大軍に対抗して戦ってくれた。あいつらはこのまちの英雄だ。ベレーナとイグアにつづいて、惜しい男をなくしたよ……」
と、最後のほうは声も小さくなった。
図太い神経をしたズンおじさんもすっかり肩を落として、空気が抜けるように椅子に座り込んだ。
彼の言う通り、三人はこのまちの立役者だった。彼らの話は、中央自治区で育った子どもたちは耳にタコができるほど聞かされてきた。
朱の国の王女ベレーナは特に強い人気がある。大陸の男、そして大陸の女にとっても憧れの存在。今でも、すっと伸びた鼻の尾根と健康的な小麦色の肌、長くて豊かな黒髪が描かれた肖像画は、大陸のどこでも見かけるほどだ。
「大陸一の美しい横顔」と言われた王女だけど、亡き後も愛されつづける理由はその美貌だけじゃない。
白の国オース王の時代のこと。オース王は勢力を伸ばそうと、中央自治区を取り込もうとした。
大陸の中心がどこかの国の支配下に入れば、大陸の均衡は崩れる――それを案じた若い王女は、朱の国のかくれ密林に住む「かくれ族」のイグアを連れて、自ら中央自治区に乗り込んだ。そして、モンテやその仲間たちを守るためにも、彼らと手を取り合い、オース王の軍を追い払った。
その後、ベレーナは故郷に帰り、幼くして両親を亡くした甥の母親代わりとなって、現王ワナクを育て上げた。後見として政治や外交に携わり、大陸の平和のために力を尽くしたという。
「ようやく、モンテも二人のもとに行けるんだね」
「あぁ、若くして二人とも亡くなったからな。生きていれば、ワナク王が炎の侵略なんて起こさなかったかもしれねぇ……まあ、過去はどうしようもできねえ。今頃、モンテは二人と、そんで嫁さんと仲良くやってるはずさ」
「今日の出棺はいつ始まるの?」
「ぼちぼちじゃねえか」
ある意味、歴史的瞬間だ。ちょっと見てみたい。僕は中央自治区の民らしく、野次馬根性が出てきた。
「ちょっとだけ、見に行ってきてもいい?」
「おい、仕事はどうすんだ、仕事は」
さっきまでの哀愁はどこへやら、おじさんは冷たく言い放った。
「こんな朝早くから客なんか来ないでしょ。特に金物店なんかにはね! きっと、広場にみんな集まってると思うんだ。俺もはなむけしたいしさ」
「お前はたいしてモンテと関わりがあったわけじゃねえだろ」
「中央自治区の子どもはみーんな、モンテの子みたいなもんだよ。俺もズンおじさんからたっくさん話を聞かされてるんだから。最後にお礼を言いたいんだよ」
「もう死んでんだから、礼なんか必要ねえ」
おじさんは鼻水をすすって、赤くなった鼻先をこすりながらすっと立ち上がると、店開きの準備をし始めた。切り替えが早い。この店をなんだかんだうまく経営できている理由が、この現実的な姿勢だと思う。
「それにな、どうせこの目抜き通りを通ってから、集団墓地に行くはずだ。そんときに一目見ればいいだろ」
「はいはい、わかったよ。今日は遅くまで仕事するよ。だから、いいでしょ?」
「すぐ戻って来いよ」
中央自治区の現実主義のやり手たちに、情で訴えるのは無駄だ。つまり、実務で交渉するのが一番なんだ。
おじさんの一言で僕は走りだした。
目抜き通りを抜けて、北の丘の狭い街路に入った。二つ丘とは、この北の丘と、目抜き通りをはさんで反対側にある南の丘のことをいう。
北の丘の狭くて粗っぽい石畳の街路は、一本の坂道になっている。螺旋状に円を描くようにしてぐるぐると続き、そのまま上へ上へ登っていくと広場にたどり着く。
丘の頂上にある広場は市民の憩いの場だ。そこで、ひときわ目を引くのが、モンテ・ベーチェの大きな工務店と、愛妻アマルが営んだ大きな宿屋。今頃、葬儀の準備で忙しいだろう。
僕は知り合いと朝の挨拶をしながら、坂を駆けのぼった。徐々に息が上がり、歩みも遅くなる。
この丘には隙間なく建物が立ち並んでいる。木造や石造、砂を固めてつくった建物、一部に日干しレンガを使った建物……節操のないさまざまな建造物で丘は覆いつくされている。北の丘を遠くから眺めると、まるで一つの巨大な城のようにも見える。
住居と店が混在していて、この坂道を登っていくと、人の生活のにおいが漂いはじめる。目抜き通りは表向きの華やかさで、丘の中が住民にとっての本来の姿だ。民が普段の買い物をするための生活に根差した店と、一方で、宝石店や洗練された服飾店、質の高い武具店がひっそりと構えている。
道端で立ち話をしている人が増えてきた。みんなの話題は、当然、モンテのことだった。
広場にたどり着くと、そこは群衆で埋め尽くされていた。
炎の侵略の後、瑠璃色の外套をまとう人たちが増えた。もう見慣れた風景にはなっていたけど、今日ここには特に外套が多いように見える。それはきっと、モンテが彼らを黙って受け入れてきたからだろう。みんな、偉大な功績を残した大老の手向けに来たんだ。
僕はひしめき合う人の隙間を縫うようにして、前へ前へと進んだ。噂好きの中央自治区の人々は、声を潜めながら話を続けている。
「数年前にアマルを亡くしてから、すっかり元気がなくなっていたみたいよ。二人三脚で、このまちを生きてきたわけじゃない」
「つがいを亡くしちゃあな」
「アマルを本当に愛していたのね」
おじさんとおばさんが話しながら、おばさんのほうは涙ぐんでいる。
「でも、立派な子どもたちがいるじゃねえか」
「モンテはこのまちをまとめ上げるのに、自分の子どもたちを推薦したくはなかったようだぜ」
と、働き盛り風のお兄さんが二人の会話に交ざった。
「ってなると、この中央自治区はどうなるのかねえ……」
「モンテの店の番頭がいるじゃない。彼はしっかりしてるわよ」
「あいつもその責任を負うのは渋ってるらしい。そもそもここは首長が必要なまちじゃないだろ」
「とはいえ、また昔みたいな、無法地帯に戻るわけにもいかねえし……」
モンテの死を悲しむ人たち、この先を不安に思う人たちでざわついていたけど、モンテの工務店の大きな扉が開いた瞬間、しんと静まり返った。
モンテが眠る棺は、息子や孫たちに支えられながら出てきた。娘さんたちは目元をぬぐい、小さなひ孫たちは不思議そうにきょろきょろとあたりを見回している。
工務店の隣にある亡き妻アマルの宿屋の前には、大勢の従業員が並んでいた。
人だかりは自然と、棺が通れるように道をつくり、沿道にぎゅっと集まった。たくさんの人が早春の花々を手に、棺のほうを見つめている。
僕はというと、背が低いから、人混みの中に埋もれていた。必死に首を伸ばしたけど、僕より背の高い人たちがどうにも邪魔だ――ぐっと力を込めて、つま先立ちをした。
ふと、見えない糸で引っ張られるように、とある瑠璃色の外套に目がとまった。
その人は、僕がいる沿道の向かい側にいた。
フードの陰に隠れて、顔は見えない。体格からすれば男だろうけど。
ついさっき、あそこにあの人はいたっけ――僕はぼんやりと、そんなことを考えた。そう思い始めると、この場にたくさんいる外套姿となんら変わらないはずなのに、その人に目が離せなくなる。
あんなに密集した人の間を、どうやって潜り抜けてきたんだろう。
その人は、道の一番前に出るわけでもなく、二、三人分うしろのあたりに静かに立っている。
棺がゆっくりと前に進む。
沿道の人たちは目の前を通る棺の中に、花を入れていく。うしろのほうに立つ人たちは、ふんわりと花を投げ入れた。入らなかったものは道にぽとりぽとりと落ち、石畳の上に花の絨毯ができた。
あの人が右手に持っていた二、三輪の花を棺に投げ入れたのを、僕は見逃さなかった。
そのとき、フードの中から、顔が少し見えた。
きりっとした太い眉に、力強い瞳。精悍な顔つきだけど、どこか影があるというか、疲れが見えるような――いよいよ、目の前に棺が通りかかり、僕の視線はあの人から逸れた。
人混みの隙間から見えたモンテの顔は白い。死んだ人の顔はもっと穏やかなものかと思っていたけど、彼はまだ生きているみたいだ。生前と変わらない厳格な表情そのままだった。口を真一文字にしている。この地に名を刻んだ男にふさわしい死に顔なのかもしれない。
沿道の人々は、涙をのんでいる。鼻をすするような音も聞こえるけど、棺が目の前を通ると、みんな口を閉ざして、それぞれの思い出を振り返っているようだった。
僕はまた、あの人のほうに目を向けた。
しかし、そこに瑠璃色は見当たらない――正しくは、数いる外套の中で、僕が探す人物だけが姿を消していた。あたりを見回しても、いない。僕は首をかしげた。
幻でも見ていたみたいだ。妙に気になる人だったな。
小さなささくれのように、僕の心にひっかかったけど、ただ、それ以上に深くは考えなかった。
棺が通り過ぎて、散り散りになっていく群衆の中の一人として、僕ももときた道を戻っていった。
僕は走って店に帰ってきた。
「ごめんね!」
ズンおじさんの説教を前もって遮るように一言いって、すばやく作業机の椅子に座った。
机の上には、山盛りのガラクタ――と言ってもいいような欠陥品が載っている。
手先が器用な僕は、こいつらを片っ端から直すんだ。折れ曲がったスプーンやフォークを叩き直す、取っ手のとれかかった鍋を直す、つなぎ目が切れた装飾品を継ぎ直す、錆びた武具を磨き直す――溶接が必要なものは、丘にある武具店に火を借りて修理する。
すごく大変そうに思えるけど、実際、僕はこの作業が嫌いではない。むしろ大好きだ。
特に白の国から流れついたと思われる装飾品を修理するのは、僕にとってはご褒美だ。さすがに鉱石の名産地だけあって、白の国の装飾品は精度が高く、洗練されている。炎の侵略の後、人の流れと同じように、貴金属も大陸中に放出されたらしい。
人の騒ぎ声が大きくなってきた。どうやら、モンテの棺が頂上の広場からおりてきたみたいだ。
作業に入ると、頭に響いていた周囲の音が徐々に小さくなる。まるで部屋の隅がうしろへ引っ張られ、店先が遠のいていき、暗闇の中で一人ぽつんと作業台に向かっているように感じる。
モンテの棺が目抜き通りを通り過ぎても、昼間になって客足が増えても、僕は黙々と手を動かしていく――ズンおじさんに声を掛けられて、ようやく僕は現実に引き戻されて、はっと顔を上げた。
日が暮れ始めていた。店番の交代を頼まれて、僕は店主の定位置につく。
ズンおじさんが長年座ってきた椅子は、店棚の内側にあって、二つ重ねられた木箱の上に、不安定な様子で置かれている。体の重みに耐えかねて、四つの脚が少し外側に広がっている。生き物みたいに今にも動き出しそうだ。店番の仕事は、この椅子に座って、商品が高く積み上げられた店棚を監視するんだ。
西日が強まり、二つ丘を赤く染め上げた。目抜き通りを行き来する人たちは、西に落ちていく太陽のまぶしい光に晒されても、安くて質の良い買い物をするために、軒先の商品に目を凝らしている。夕暮れ時は、この日最後の追い込みのようにたくさんの客で溢れかえった。まがい物でないかの確認、値段交渉、ちょっとした言い争いが繰り広げられる。
盗みが日常茶飯事のこのまちでは、店番は大切な仕事だ。特に、ぎゅうぎゅうにひしめき合うこの通りは、悪い手癖が見つかりにくい。不審な動きをする人物には目を離すな――おじさんからの厳命だ。
数えきれないほどの商品があるのに、おじさんは高価な品については目ざとい。僕の監視中にもし高級品がなくなっていたら、僕がそのツケを払わされる。つまり、減給だ。サボっていたわけでもないのにあまりにひどいよ、と一度訴えたことはあるけど、おじさんはそれをこう言って一蹴した。
「世の中な、そんな不条理だらけだ。お前は自分の仕事を全うできなかったんだ。どんなに頑張ったって、報われないことはあるんだぞ」
ズンおじさんはそういう世知辛い人間だけど、だからこそ、商いをする上で必要な勘定や最低限の読み書きを僕に教えてくれた。それについては、感謝している。
この日、僕はモンテの出棺を見に行ったことのツケで、いつも夕方には終わる仕事を、夜まで延長してやり遂げた。
日中はせわしなかったこの通りも、太陽が沈み、夜のとばりが広がれば、貴重な明かりを節約するために、多くが店じまいを始める。
せり出していた棚は店内に収納されて、人の波はどこへやら、がらんとした姿に様変わりした。蠟燭の明かりを灯しているのは、惣菜屋や酒屋くらいだ。
「おい、今日のお前の稼ぎだ」
おじさんは、店の中央にある商品が積み重なった机の一角を空けて、今日の売り上げの勘定をしていた。
作業台の上を整理していた僕は、カバンを肩にかけながらおじさんのもとに近づく。
にこにこしていた僕の笑顔は、おじさんが提示した硬貨を見て固まった。
「えっ、これだけ? いつもと変わらなくない?」
「こんなもんだろ」
「この時間まで働いてたのに?」
「そもそも、朝、仕事を抜けてきただろ。結果的に働いた時間はいつもと変わらねえ」
「いや、いつもより少し長いね。しかも、修理した数も多いし」
「だからその分、昨日より駄賃が多いじゃねえか」
「ほんのちょっとね。ほんの!」
「うるせえな。いらねえんだったら、返してもらうぞ」
おじさんはそう言いながら、置いてあるお金に手を伸ばしかけた――僕はそれをかすめ取って、皮の布袋にしまい込んだ。この老人は、見せかけじゃなくて、本気で給金を取り上げる男である。僕は油断しないぞ。
「ちょっと薬草を採りに行かないと。だって、こんな稼ぎじゃ、やってけないからね」
「もう遅せえんだ。今日は早く帰れよ。こんなに暗くちゃあ、どうせ見つかりっこねえ」
「じゃあもう少しお金ちょうだいよ。子どもが夜まで働いてかわいそうだと思わない?」
「口の減らねえやつだ。同情を引こうってんなら、ほかの国に行きな。このまちじゃあ、どんなに貧しくても、どんなに若くても、成り上がれるやつは成り上がれる。お前次第だ。俺がこの店を構えるのに、どれだけ――」
いつもの苦労話が始まりそうな雰囲気を感じたから、僕は「はいはい、じゃあ明日」と言い残して、店を出た。
僕はカバンにしっかりと手をかけながら、警戒するように目抜き通りを歩く。
明かりの少ない中で、人影がゆらりゆらりと動いている。顔の判別がつかないほど、人の姿は夜の闇に溶ける。だから、得体のしれない人たちが活動する時間でもある。ならず者や犯罪者がいてもおかしくはない。特に〝自由に〟生きられる中央自治区においては、めずらしくないことだ。
ぽつぽつと明かりの灯る二つ丘を背に、目抜き通りからつづく街道を、青の国のほうへ進む。川にかかる橋を渡ると、街道は小森の中を突き抜けていく。
ちょうど向かいから、馬車を引く老人がやってきて、僕は夜の挨拶を交わした。馬車が通り過ぎてから、僕はちらりと左手の小森の奥に目を向けた。
胸のあたりを触れて、〝あれ〟の存在を確かめる。僕は〝あれ〟を袋に入れて、ひもを通して首から下げ、服の中にしまい込んでいる。
小森の中は、人を吸い込みそうなくらいに真っ暗だ。ズンおじさんの言う通り、この時間に森に入ったとて、どうせ何も見つからない。
いつもは仕事終わりに、この小森を通って薬草を探してから家に帰る。薬草売りをしている母さんのためだ。その稼ぎの足しになるから。
でも今日は、そのまま街道を歩き、途中で道に逸れて原っぱに出た。
しばらく歩くと、布張りされた三角の家々が見えてくる。一定の間隔を保って、ぽつぽつと同じような形の家が点在する。のどかと言えば聞こえはいいけど、わがバティ家は、要するに辺鄙な場所に住んでいるんだ。父さんは家の近くにある農家の仕事を手伝って、報酬をもらっている――けど、一家の大黒柱の稼ぎとしては、お世辞にも満足のいくものじゃない。
出入口の布の覆いをめくると、ささやかな、けれど僕の心がじんわりと満たされる匂いに包まれた。母さんの手作りの料理だ。真ん中に火元があって、鍋がぐつぐつと煮えている。こんな時間だから、父さんと母さんが心配そうに僕をねぎらう。
はっきり言って、僕は技術や学がない両親のもとで育った。その日暮らしのひもじい生活を強いられている。
でも、僕は二人を愛している。だって、二人からの深い愛を、僕は一身に感じているから。
イラスト=芽茶子 https://x.com/mechacor
次回の投稿時に、イラスト付きのキャラクター紹介もできればいいなあと思っています。
あとは、あらすじも。
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