中学時代、僕のあだ名は「ちんこ」でした。
小学校でのあだ名禁止という報道を見て、書いてみたくなりました。
最初に言っておきますが、「俺の若い頃はもっとひどい目に遭ってきたけど、それは全部克服してきた。それに比べてほんとにお前らは情けない」みたいなことを言おうとしているのではありません。若い頃にそんな先輩たちの話を嫌になるほど聞かされて、心の底から辟易していますから。
ただ、事実として、中学時代の僕のあだ名はチンコだったわけで、そのことを事実のまま書いてみたくなったのです。
そのあだ名の成立の過程はこうです:
たとえば杉本さんならそれが親しみを込めて「杉本ちゃん」になり、それが訛って「すぎもっちゃん」に、そしていつの間にか「すぎもっちん」になるというようなことは、当時関西ではよくありました。ご多分に漏れず僕の呼び名も、山本ちゃん → やまもっちゃん → やまもっちんという変化を辿ったのです。
それが、何かで遊んでいるときに、意識を集中して大真面目に何かをしていた僕を笑かそうとして、誰かが「やまもっ、…ちんこ」と言ったのでした。そして、それが周りに大受けに受けて、以来僕はやまもっちんこ、それがいつの間にか略されてチンコになってしまいました。
ほぼ時を同じくして、僕の幼稚園時代からの親友の金ヶ江くんのあだ名はチンゲになりました。それは、金ヶ江 → 金ケエ → キンゲ → チンゲという変化でしたが、こちらのほうはあまり長く続きませんでした。
それに引き換え僕のほうは、一体いつまでだったか定かな記憶はありませんが、結構長きにわたってチンコと呼ばれていました。
他のクラスメイトで言えば、蓄膿症を患っていて、ともすればいじめの対象になっていた(と言っても、当時のいじめは今ほど陰湿なものではありませんでしたが)片田くん(仮名)という少年がいました。
ある時クラスメイトの誰かがその苗字をもじって「カタワ」と呼び始めたことがあって、これは日本共産党員だと言われていた(本当にそうだったのかどうかは定かではありませんがw)当時の担任にこっぴどく叱られました。
先生が怒りに怒って、「なんすか、その呼び方は! そんな呼び方するのはやめなさい!」と大声を上げたので、そのあだ名は結局定着することなく、1日か2日で消えてしまいました。
一方、僕のほうはチンコと呼ばれるのが嫌だったかと言えば、別にそれほどでもありませんでした(親が知ったら嫌がるかなと、少しは考えましたが)。
コではなくポであったなら、語感として少し嫌だったかもしれませんが、チンコはむしろ可愛い呼び名であり、別に僕自身のチンコを見られてそれを嗤いものにされたわけでもないので、最初は少し抵抗があったものの、嫌悪感はなかったのです。
いや、むしろ、僕はそれを歓迎していたような向きもありました。
そこには自分がネタになって笑いが取れるのであれば、それを「おいしい」と感じてしまう関西人気質もあったのかもしれません。
僕は小学生の時から周囲に「孤独を愛する少年」と言われ、中学時代には塾の保護者面談に行った母が、先生にいきなり「ニヒルなお子さんをお持ちですね」と言われてショックを受けて帰ってきたような、そんな少年でした。
当時の僕は確かにそんな風に見えたのでしょう。でも、それは半分は真実の姿で、半分は単なる外皮でした。
なまじお勉強ができて、基本的に独りでいるのも好きで、でも、実のところは必ずしもいつもいつも独りでいたかったわけではなく、引っ込み思案もあってみんなにあまり溶け込めずにいた、というのが事実の、ちょっとだけねじくれた少年でした。
そんな存在であっただけに、みんなからチンコと親しく呼ばれて対等に遊びに入れてもらえることを、ある意味感謝を以て捉えていたような気もします。
だから何だ、というようなことではないのです。ただ、僕のあだ名はチンコで、僕はそれをある意味感謝を以て受け入れていた。それだけです。
そんなあだ名もあったということです。もちろんカタワみたいなひどいあだ名もあり、それを教師が禁じたのは正しかったと思います。
一方で僕のあだ名はチンコで、友人たちは電車の中とかでも気軽に「おい、チンコ」と呼んできて、それを大人たちに睨まれて大笑いしたこともあります。
もののありようはいろいろで、表面的なことだけでは判断できません。もちろん悪い影響を最低限防ぐために、やむなくあだ名そのものを禁止してしまうという方便も解らないではありません。
でも、あだ名は「悪」で、人にあだ名をつけるのは差別的行為だという風に一般化されてしまうと、それもまた違うと思います。
自分の場合はこうだったな、と急に思い出して、書いてみたくなりました。
僕のあだ名はチンコでした。今振り返ると、無邪気な心が付けたひどいあだ名だったかもしれません(笑)
でも、それでも僕は良い少年時代を過ごせたと思っています。