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すぎやまこういちの訃報に触れて
すぎやまこういちが亡くなった。しかし、どの訃報を見てもほとんど『ドラゴンクエスト』のことしか書いていない。Wikipedia でさえ、ドラゴンクエスト関係にかなりのスペースを割いている割には、まともな楽曲作品リストさせ載せていない。
これは僕にとってはとても残念なことだ。
僕にとってのすぎやまこういちは、さすがにザ・ピーナッツの『恋のフーガ』のときには認知していなかったけれど、ザ・タイガースの初期の作品を書いた人というイメージがとても強い。
『僕のマリー』
『シーサイド・バウンド』
『モナリザの微笑』
『君だけに愛を』
『花の首飾り』
『銀河のロマンス』
僕はザ・タイガースのこれらの曲を通じて作曲家・すぎやまこういちと作詞家・橋本淳の名前を憶えた。同じグループサウンズではヴィレッジ・シンガーズの『亜麻色の髪の乙女』もこのコンビだ。
それからガロだ。『学生街の喫茶店』は自作のフォークで全然売れなかった彼らが歌謡曲の大御所の作品を押し付けられたという風に語られているが、結果的には彼らの初めてのヒット、しかもとてつもない大ヒットになった。
その次の『君の誕生日』もすぎやまこういちだ。大体大ヒットのあとは前作の曲調をまるっきり踏襲したりするものだが、そういう露骨な二番煎じをせずにちゃんとヒットさせたすぎやまこういちは偉いなと当時思った記憶がある。
よく聴けば華麗なメロディなのだけれど、身体にスーッと入ってきて、仕掛けめいたものを感じさせない、非常に自然な音符運びで、天性のメロディ・メーカーだと思う。
そういうあたりの、歌謡曲の大御所としての記事をまず読みたかったのである。
僕がゲーム機とはほとんど無縁な人生を歩んできたこともあって、「ドラゴンクエストで有名な」という紹介の仕方がピンと来ないということもあるが、『ドラゴンクエスト』がどれだけ素晴らしく、どれだけ偉大であっても、一方で彼が歌謡界に残した功績を語らない手はないだろうと思うのである。
僕がすぎやまこういちのことをより詳しく知ったのは、2006年5月26日と27日に CX が放送した『ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜』を通じてであった(この番組は Wikipedia にも項目が立っている。DVD も発売されていたようだ)。
主人公は渡辺プロの渡辺晋社長(柳葉敏郎)だった。このドラマの舞台そのものがまるで梁山泊みたいな環境で、この時代のテレビ界や歌謡界の基礎を築いた人物がぞろぞろと渡辺の周囲に集まっていた。この時すぎやまこういちを演じていたのは原田泰造だ。
驚いたのはすぎやまこういちは最初は文化放送の、続いてフジテレビの社員だったということだ。
「音大に行く金がないから東大に行った」ぐらいなら驚かないが、CX に入ってディレクターとして音楽番組を立ち上げただけではなく、自分で作曲して番組で使っていたとはびっくり仰天した。
そう、『ザ・ヒットパレード』の主題歌もすぎやまこういちなのである。
記憶で書いているのでひょっとしたら他のドラマだったかもしれないし、人物が間違っているかもしれないが、確かあの番組で、まだ若かった筒美京平がすぎやまこういちのところに、「オーボエの音域はどこからどこまでですか」などと教えを乞いに来た場面があった。
いや、オーボエではなく他の楽器だったかもしれないが…。
僕はなるほどなあと思った。
それぞれの楽器が下はどこから上はどこまでの音を出せるかを全部分かっていないと、オーケストラのアレンジをしたときに、オーボエ奏者から「バカ野郎、オーボエでそんな高い音は出ないんだよ!」などと罵られたりすることになるわけだ。
そんな風にして、才能から才能へノウハウが伝授されて行くのか!と大いに感心した。
できたらあのドラマをもう一度観たいものだ。すぎやまこういちは戦後歌謡曲の、そんな飛び抜けた才能のひとりであった。そのことをまず書いてほしかったと残念に思った次第である。
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