経営トップの記者会見を見ていて時々思うこと
企業の不祥事などが起きたときの上層部の記者会見を見ていると、時々つくづく思うことがあります。
社長や取締役をサラリーマンの出世のゴールにしてはいけないんじゃないかな、と。
今の日本の社会システムだと、多くの従業員が皆ひとつずつ役職の階段を上がって、最後は取締役や社長を目指すわけじゃないですか。ま、全員とは言いませんけどね(僕自身にもそんな志向性はありませんでしたし)。
でも、いくらそれまでにいろんな分野で活躍したり成果を上げてきたりした人であったからと言って、ちゃんと経営の仕事ができるとは限らないのです。
よく頑張った最後のご褒美を社長就任にしてしまうのは間違っていると思うのです。
経営って特殊技能なんですよね。例えて言うなら経理部長みたいなもの。
経理の知識が全くない人には経理部長は務まらないでしょう?
あるいは、僕が働いていた放送局なんかで例えるなら、制作技術部長みたいなもんです。
カメラや音声や照明などのことが全く分かっていなかったら、とてもじゃないけど制作技術部長なんかできるはずがありません。
そう、経営陣って「経営部長」みたいなもんじゃないかと、僕は思うのです。
だから、経営ができる人しか経営者になってはいけないと思うのです。
と言うか、経営ができる人が社長や役員をやって、他のことができる人が他の仕事をすれば良いだけだと思うのです。
それから、これは僕が昔から結構真剣に言っているのに誰もまともに聞いてくれないことなんですが、そのためには職位と給料は連動せず切り離すべきなんじゃないかなと思うのです。
高い給料がほしいから上を目指す。そして最後に常務や専務や社長にたどりつく。── そんなシステムだからちゃんと取り締まれない人が取締役をやることになってしまうのだと思います。
現場の仕事でしっかり成果を上げている人には役職に関係なく給料を上げてやれば良いじゃないですか。それが別に取締役の給料を上回っても何の問題もない、と僕なんかは思ってしまうのですが、違いますかね。
管理職と現場なんて単なる役割分担だと思うのです。経営者だって単なる役割だと思うのです。
昔は資本家であり一から起業したオーナー社長が普通だったからそうでもなかったのかもしれませんが、大企業なんかだと今では(数の上では)ほとんどが雇われ社長じゃないですか。だったら、平社員も社長も同じようにただ会社に雇われているだけです。
社長の給料の額がどの社員よりも高い必要なんてないと思いますし、そもそも社長というのは経営が得意な人の職種にすぎないと思うのです。
高い給料がほしいからと言って、何も社長を目指さなくてはいけないなんてことはない ── それこそが理想の人事政策じゃないかな、と僕は思うのです。
もちろん現状からその制度変更に持って行くには、いろんな壁にぶつかるだろうし、うまいこと調整していかないとまた別の問題が出てくるだろうということは僕も分かっています。
でもね、あまりにひどい受け答えを聞いていると、ああ、こんな人たちが経営者だったのか、なんて思ってしまうわけです。
(まあ、"追及する"記者の側にも相当ひどい人がいるのも確かですし、あと、司会進行が非常にまずくてどんどん会見がもつれて行くこともありますけどね)
いずれにしても、100% 僕の言うとおりでなくても良いですから、なんとか今の窮状を変えて行く方策はないもんですかね?