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棄てるって楽しい!!

僕には断捨離というのがよく分かりません。

なんでそんなことをするのか、いや、別に選別して棄てることは不思議でもなんでもないですが、なんでそんなにいっぺんにやらなきゃならんのか、なんでそのために一大決心みたいなものが必要なのか?

僕は日常的にいろんなものを棄てています。と言うか、棄てないと次に行けないみたいな、言わば強迫観念を抱いています。

だから、棄てるのをめられるとものすごいフラストレーションを感じます。

例えば長年着ていた洋服が傷んでいるのに気づいた僕が「新しいのを買おうかな」などと言うと、妻は割合気軽に「うん、買えば?」と言います。でも、僕が「じゃあ、新しいのを買って、これは棄てる」と言うと今度は急に、「別に棄てることはないんじゃない? まだ着られそうだし」などと言い出したりするのですが、そう言われると僕は新しいのを買う気力が完全に失せてしまうのです。

棄てさせてほしいのです。そうでないと新しいのを買えないのです。
新しいのを買うためには古いのを棄てるという行為が、僕にとってはほぼ必須なのです。

自分で言うのも何ですが、僕は几帳面な性格で普段から整理が良いので、どこに何があるのかを大体把握しています。逆にどこにあるのか分からないようなものはないのも同然だと思っていて、それは棄てるものの候補だと思っています。

僕は普段から日常的に自分の持ち物をチェックしています。ものを整理するのは大好きで、僕の趣味であるとも言えます。

形のある「物」だけではありません。例えば PC に保存してあるファイルとか写真とかメールとかでも、棄てるものがないか日々、暇ができるたびに、繰り返し繰り返しチェックしていて、これは要らないなと思ったらすぐに棄てます。

棄ててしまって痛い目に遭ったことはないかと言えば、もちろんあります。
会社員時代には大事な(というのは結果論に過ぎませんが)メールを棄ててしまって、後から内容を確認する必要が出てきて困ったりもしました。

でも、仕事のメールなんてものは大概複数名に送っているものですから、僕の予想通り、僕の部下の、普段から何でもかんでも溜め込んでいる奴が持っていて、そいつに転送してもらって事なきを得ました。

まあ、でも、なきゃないで済んだんじゃないでしょうか。そんなもんじゃないかなと思うのです。

で、上に書いたように僕は普段からチェックして断続的にいろんなものを棄てているので、なんかある日突然思い立って集中的に断捨離をするという発想がありません。そういう発想をする人がよく分からないのです。

もちろん僕は何でもかんでも棄てているわけではないし、一切何も溜め込まないわけでもありません。でも、「どうしても棄てられなくて溜まってしまう」という感覚は僕には全くないんですよね。

なんでそんなことで悩まなきゃならないんだろう?と不思議に思います。置いておくものは何があっても置いておくし、棄てるものはあっさり棄てるというだけで良いんじゃないでしょうか。

10年も大事に取っていたのにある日突然気が変わって棄ててしまうということもあります。それは、「いくら大事に取っておいてもこの10年間これが必要になったことはないな。それは持っている意味がないということだ。だったら棄てようか」という判断であり、そう思ったら棄てるというだけのことです。

逆に「いや、これは10年間使っていないけれど置いておく意味があるんだ」という判断をすることもあります。

何年間使ったかなんてことは棄てるか棄てないかの判断と無関係です。ただ単に、その時その時の判断で「棄てるものは棄てるし、棄てないものは棄てない」という、ただそれだけです。

でも、一般的に言って、何であれ、ものを棄てると気分がすっきりします。そんなことありませんか?

だから、僕はむしろどんどん棄てたいほうなのです。上にも書いた通り、棄てるのを禁じられるとストレスが溜まるのです。何であれ、ものを棄てると次に進めそうな勇気や希望が湧いて来るんです。

断捨離などと言って、何年かに一回しか棄てないのより、しょっちゅう棄てているほうがしょっちゅうすっきりして、僕はそのほうが良いなあと思うのですが、皆さんはそんなことないのでしょうか?

僕にとって棄てることは完全に日々の営みであり、日々の愉しみです。

断捨離などという、なんか妙にイベントめいたやつが、僕は不思議で不思議で仕方がありません。

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山本英治 AKA ほなね爺
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