成人式_at_Ours_Hall_-_panoramio

あの日、成人式に行かなかった私へ。

このタイトルは yuka_rin さんが書かれた note の記事タイトルをそのままもらってきたものです。

リアルの知り合いである彼女には直接メンションしたのですが、私も成人式には行きませんでした。ただ、悩んで行かなかった彼女と違って、私はきっぱりと、自分の意思で行きませんでした。

そもそも小さい頃から儀式や区切りやけじめが大嫌いで、なんでお正月になるとみんなでおめでとうと言わなければならないのかというようなことを小学生の頃から悩んでいたくらいですから。

で、中学の卒業式あたりからもう行きたくなかったのですが、やっぱり保護者に保護(つまりは束縛)されている間は自由を貫くことはできなかったので、結局のところ高校を卒業して大学の入学式が最初のチャンスでした。

私はこれで漸く儀式に出ずに済むと、晴れ晴れとした気持ちで思ったのでした。ところが、同じ大学に受かった親友が「入学式に一緒に行こう」と言います。私がいくら「行かない」と言っても、「そんなこと言わんと、行こうや」と粘ります。結局根負けして、私は彼につきあいました。

だから、成人式はやっと自分の意思で出ずに済ませる最初のチャンスでした。

あらゆる儀式の中で成人式というのはとりわけ馬鹿げたものだと私は思っていました。成人になる日は人それぞれ違うのに、みんなで1月15日(当時)まで待って一緒に新成人を祝いましょうなんて、幼稚園のお誕生会じゃあるまいし、と思っていました。

だから、成人式には行きたくない。行きたくないから行かない。小学生の頃から他人と違うためにはどう行動すれば良いかみたいなことばかり考えてきた私は、その一直線な思考の一直線の延長上で、成人式には出ませんでした。

そして、大学の卒業式にももちろん行きませんでした。入学式に強引に誘ってきた親友にまたしても誘われたのですが、今度は頑として拒否しました(笑) どうせその日に卒業証書をもらいに行くのですが、卒業式が終わった頃合いを見計らって大学に行きました。

そして、次は就職しての入社式。さすがにこれを拒否する勇気は私にはありませんでした。単に資本対労働力という力関係のみならず、当時なんとウチの会社の入社式は「父兄同伴」だったのです。

「親御さんにも子供の会社を見てもらおう」という、会社としては当時随分誇らしい思いで実施していたことのようです(「父兄」という言葉が使われなくなるのと同じように、今ではこの制度は廃止したようです)。で、これを拒否すると会社にどう思われるかだけではなく、すっかり出席する気になっている母がどう思うかまで気にしなければならなくなるのです。

仕方なく諦めて、素直に入社式には出ました。

その次は結婚式だったかな。いや、これはもう完全に割り切っていました──結婚式は新婦のものだ、と。だから、妻がやりたいということは何でもやろうと決めていました。

最初に割り切ってしまうと不思議に抵抗感はありませんでした(笑) ハワイの教会で、妻の妹とその友人だけが立ち会う形で式を挙げ、帰国してホテルでもう一度挙式をしてから披露宴もやりました。ウェディングドレスを2回着られて、妻も喜んでくれたのではないかなと思います。

でも、基本的にその後もずっと儀式や区切りやけじめが大嫌いなのは変わらず、例えば会社の創立記念日の祝典とか、年賀式とか、取引先への年始回りとか、あとは年度初めに書かされる目標とか、ともかくそんなものには全部嫌悪感がありながら、ひたすら給料をもらうために辛抱して辛抱して従ってきました。

で、サラリーマンの最後が退職辞令交付式。一体他の会社でもそんなことやってるんですかね?

定年退職者と現在の上司、そして人事部長や社長としばし雑談したあと辞令を受け取って記念写真。私もまずは見送る上司の立場で何度か出席したのでどんな儀式なのか(もっと正確に言えば、どんなに空疎な儀式なのか)は知っていました。

辞めるときぐらいはこちらの意思を尊重してもらいたい──私はそう主張して、何が何でも式には出ないつもりでした(なにしろ、もう辞めるわけだし、会社は辞める人間を罰しようがないし、怖いものなんて何もなくなったわけですから)。

ところが、私がまだその意志を表明しないうちに、当時の人事局の担当部長(女性)は、私の傾向を読んで先回りしたのか、こんな風に言いました:

「退職辞令交付式は、ま、いろいろありますけど、大人なんだから出ましょうね」

巧い言い方、良い説得の仕方だな、と私は思いました。「みんな出てますから」とか「ルールだから」とか言われたら頑なに拒否したでしょうが、先回りしたタイミングとこの言い方には「やられた!」という感じがして、その担当部長に免じて出席することにしました。

こうやって思い出してみると、私が自分の意思で拒否できたのはわずかに成人式と大学の卒業式だけで、随分と妥協に満ちた人生を送ってきたものだと、逆に改めて感慨深くなります。

人生ってそんなものかもしれませんね。

成人式に出たかったのに出られなかった人もいれば、入学式に行きたくなかったのに行った人もいます。

まあ、どっちでも良かったのかもしれません。そう、そして、そう思える自分がいることを幸せに思います。

とは言え、やっぱり未だに儀式や区切りやけじめは大嫌いですが(笑)

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山本英治 AKA ほなね爺
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