荒れるソーシャル・メディア、栄枯盛衰と失望
ここのところ全世界的に X(旧twitter)から Bluesky へのユーザ流出が夥しいと聞く。また、国内では先日オープンした mixi2 が滑り出し好調で(登録者数がもう 120万人を超えたと聞く)、僕の周りにも早速登録して却々心地が良いと言っている人が結構いる。
僕自身はあまり手を広げたくないので mixi2 には手を出していないが、Bluesky については「いつかこちらに完全に乗り換える日が来るかもしれない」という明確な思いの下、割合早い段階でアカウントを作って細々と続けている。
X についてはイーロン・マスクという巨悪の要素はあるものの、問題は彼が好き勝手なルールで仕様を変更したりデタラメな運営をしたりしているというだけではない。一般ユーザによる心ないポストによるタイムラインの荒れ方についても目を覆うばかりのものがあるからだ。
twitter の黎明期の、僕らが夢中になって毎日毎晩つぶやき交わしていた(そう、単に好き勝手に「つぶやく」ことではなく、「つぶやき交わして」意を通じ合うところがミソだった)、あの居心地の良さはどこに行ってしまったのだろう?
僕らはお互いのつぶやきを通じて意気投合し、何人もの人たちとリアルに会うことにした(「何人」というレベルではなく、最終的には「何十人」にもなった)。人生であれほど一気に友だちが増えた時期は僕にはなかったと言える。
もう、ああいう世界が戻ってくることはないだろう。
facebook についても、このところの広告の乱れ方は目に余るものがある。
「いいね!」という斬新な仕組みによって僕らがたどり着いた画期的なコミュニケーション・スペースは、今や何度も何度も無粋な、あるいはひたすら不快な邪魔が入る落ち着かない場所になってしまった。
そして、note にも。
昔から「note は荒れない」と言われてきたが、しかし、最近では、とても残念なことだが、note にも時々クソリプが寄せられるようになってきた。X で悪態をつき飽きた人たちがそろそろこちらに移住してきたのだろうか?
彼らは「ざまあ見ろ、言ってやったぜ!」と思っているのかもしれないが、僕らは彼らのそんなコメントにざまあ見たりはしない(笑) 悪いけど品性の卑しさを感じるだけだ。
そういう人たちのために「誹謗中傷・罵詈雑言しか書いてはいけないソーシャル・メディア」を誰かが作ってくれて、みんなそっちに転出してくれないかなと僕は思う。
そこには何を引用しても構わないが、直接引用元のメディアには一切何も書き込まずに済む仕組みだ。逆に言うと、他のメディアで感じた鬱憤や鬱屈を全部、思う存分そこで吐き出してもらう。そして、そこに誹謗中傷・罵詈雑言以外のことを書くとみんなに袋叩きに遭う、そんなメディア(笑)
── そういうところで好き勝手やってくれたら良いのになあと思う(もちろん、そんなものはできないということは分かっているが)。
note は、その初期にはよく「ここには書きたい人ばかりで読みたい人がいない」と言われた。僕も最初に登録してみた時には、「ここではある程度の有名人でないと読んでもらうのは到底無理だ」と悟って、一度退会したぐらいだ。
今では「読みたい人」もちゃんと増えてきたが、「読んで罵倒したい人」も増えたということだろうか?
そして、初期の note は記事に序列をつけないということをはっきり謳っていた。つまり、閲覧数のランキングなどは表示しないということだ。
しかし、今では、繰り返し実施される投稿企画やコンテストによって、(決して全面的にではなく一部のスペースでではあるが)事実上ランキングをつけているのと同じような様相も呈してきた。
「今週のおすすめnote 5選」についても、僕は最初てっきり、全く評判にもならずに埋もれている記事の中から「目利きのスタッフ」が素敵なものを掘り出してくるコーナーだと思っていたのだが、現実には決してそうではなくて、単に既にある程度評判になったものの追認でしかないものが多く、ちょっとげっそりしたりもした。
だが、 X に比べるとここはまだ穏やかで心地よい広場である。何故ならここには読みたくなる書き手がまだまだ大勢いて、いろんなものに邪魔されることなく彼らの記事に容易にたどり着くことができるからだ。
そして、「フォロー」という旧来のブログにはなかった便利な機能がある(単なるブログの時代には、僕らは自分でブックマークしておいてしょっちゅう見に行くか、あるいは RSS に登録しておくかしか、読みたい書き手を追っかける術がなかった)。
だから、僕はまだここにはいるつもりである。自分の書いたものがどれだけ読まれるかよりも、自分が読みたいものをどれだけ落ち着いて読めるかを求めて。
一方で 2005年に始めた個人ブログは当面やめないだろうし、2009年に始めた twitter(X)ももうしばらくは続けていると思う(いつかは Bluesky に乗り換えるかもしれないが)。
完全にリアルの知り合いとしか繋がっていない facebook も(広告運用方針が改善されることを望みながら)そのままの形で多分続けて行くし、全く形式の違う表現媒体である(だからこそクソリプは極めてつきにくい) Instagram も(僕はたまにしか更新していないが)恐らくこのままのペースで続けて行くだろう。
今はただ、note をやめようかと悩まなければならない日が来ないことを切に望むばかりである。