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漢字のこじつけ──「勉強」は「勉めるを強いる」のではない

知人が facebook に 「勉強って『勉めるを強いる』って書く」って書いているのを読んで、カチーン!と来ちゃったんですよね。

いや、その人が書いている本筋の部分はおっしゃる通りだったんですが、導入部分にその文言が出てきたので、カチーン!と来ちゃいました。

それでコメント欄にこんなことを書いてしまいました。

○○さんがおっしゃっていることには何の異存もない、と言うか、深く共感しますが、誰が言い出したのか「勉強って『勉めるを強いる』って書く」とか「音楽って『音を楽しむ』って書く」などというインチキな言説を見ると無性に腹が立ちます。

「勉めるを強いる」であれば「強勉」です。「音を楽しむ」であれば「楽音」です。漢文の授業で習ったと思いますが、漢語は動詞+目的語の順です。

「勉強」の「強」の意味はここでは「はげむ」です。「勉強」とは勉め励むことです。ちなみに「音楽」の「楽」は「楽しい」という意味ではなく「音楽」という意味です。「楽しい」という意味の場合は通常ラクと読み、「音楽」の意味の場合は通常ガクと読みます。

○○さんの Facebook のウォール(削除済み) 

最初は腹立ち紛れにもう少し激烈な書き方をしていました。「漢文の授業中、寝てたんか、ボケッ!」とかね。さすがにちょっと行き過ぎたかと思って何度か編集した結果が上の文章です。

そしたら、いつも僕が書いたコメントに何等かの反応を示してくれる彼から何の反応もありません。

僕はてっきり、誰かがどこかに書いていた「勉強って『勉めるを強いる』って書く」という表現を彼が借りてきたものだと思っていたのですが、ひょっとしたら彼自身が考案したのかもしれません(だとしたら、彼は自分がインチキ呼ばわりされたと思って気を悪くしたでしょうね)。

あるいは僕が最初に書いた「ボケッ!」を読んだのかもしれません。それで決定的に機嫌を損ねて、無視することにしたのかもしれません。

いや、単なる僕の思い過ごしで、彼はまだコメントを読んでいなかっただけなのかもしれませんが…。

いずれにしてもカチーン!と来た勢いでそのまま書いちゃったのですが、他人様のウォールに書くには不適切でした。でも、何か反応してくれないと謝ることさえできません。それで、僕はそのコメントを削除しました(それで何かが伝わっていれば良いのですが)。

でも、まあ、今回は書き方を失敗してしまいましたが、僕はやっぱりそういうのが気に入らないのです。情緒に流れて非論理的になっている、と言うか、根拠のないインチキな論法になっているのが耐えられないのです。たとえ友だちを失うことになったとしても、何かを書かずにいられません。

小学生のときに先生が「『人』という字は右と左から寄り添ってお互いを支え合うことを表している」みたいなことを言うのを聞いて、「嘘つけ。それはどう見ても人の胴体と足を象った象形文字だろうが」と思った記憶があります。

昔流行った「『明日』という字は明るい日と書くのね」という歌詞を聞いて、「違うよ。それは明くる日でしょ」と思った記憶があります。

「『愛』という字は心を受けると書きます」などと言うのを聞いて、「なんじゃそりゃ」と馬鹿らしくなったことがあります。「受」の冠の下は「又」だから「愛」の下の部分とは違うではないですか。完全なこじつけです。

漢字には独自の成り立ちがあります。1つの漢字には複数の意味があります。漢語にはそれなりのルールがあります。

「いやいや、単なる遊びじゃないですか」と言われるのかもしれません。はい、それは分かっています。でも、僕は大嫌いだな、そういう歪んだ遊び。

言葉遊び自体は大好きなのですが、それが誰かを説得しようとしたり、なんか説教臭い目的で使われたりするのが嫌なのです。

昔、「タエコってどう書くの?」という問いに「女っ気が少ない子」(つまり「妙子」)と答えた女性がいて、自分でそういう風に答えるのはとてもウィットに富んでいて面白いなと思うのですが、例えばそれが「『妙』という字は『女が少ない』と書く。従って妙境に達するには女を遠ざける必要がある」みたいな文章に使われるとカチーン!と来ちゃうわけです。

こじつけを説教や訓話に使おうとするのはやっぱり逆効果じゃないかなと、僕はどうしてもそんな風に感じてしまうのですが、皆さんはそんなことありませんか?

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山本英治 AKA ほなね爺
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