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こだわりと気づき ── GS から転じた名優たちに

グループサウンズからの「転向」

随分と古い話ですが、1967年から 1968年ごろをピークに、海外でビートルズらのバンドがヒットを飛ばし始めたことに影響を受けて、日本でもグループサウンズ(GS)という名のバンドブームが隆盛を極めました。たくさんのバンドが出て、たくさんの歌手やプレイヤが注目されました。

僕も小学生ながら結構熱中していました。カッコいいと思いました。

しかし、ブームというものはいずれ終わるものであり、あれほどファンを熱狂させた GSブームもほんの 2~3年の短命に終わってしまいました。

ミュージシャンとして独り立ちできたごく小数の人たちは別として、人気絶頂だったメンバーたちも多くは消えてしまいました。でも、中には職種を変えて芸能界に残った人たちもいました。

たとえば、今でも『世界一受けたい授業』に司会者のひとりとして出演するなど、芸能界の第一線で活躍している堺正章(元スパイダース)がそうです。

コメディアンの息子であった彼は、GSブーム終了後は『時間ですよ』や『カックラキン大放送!!』などのドラマやバラエティで才能を発揮しながら、ドラマの挿入歌を中心に何曲か大ヒットも飛ばしました。

しかし、その後は歌手としてではなく、もっぱら『新春かくし芸大会』や『チューボーですよ!』などバラエティを活動の場とするようになりました。

ショーケンこと萩原健一(元テンプターズ、元PYG)も個性的な俳優として数多くのテレビドラマや映画で主演を張り、賞も獲りました。

そして、俳優に転身して最も成功したのは何と言っても元タイガース、元PYG、元井上堯之バンドのベーシスト岸部修三(現・岸部一徳)でしょう。主演こそありませんが、数多くの作品で重要な役を演じ、今では日本の映画やドラマに欠かせない存在です。

同じく元タイガース、元PYG の沢田研二も、ソロ歌手として大ヒットを連発しながら、俳優としても多くのドラマや映画に出て賞賛を浴び、今に至っています。

寺尾聰(元ザ・サベージ)も、後に『ルビーの指環』などソロ歌手としての大ヒットはありますが、GS後は概ね俳優として生きてきた人です。

途中からタイガースに参加した岸部修三の弟、岸部シロー(岸部四郎)もワイドショーの司会などで活躍しました。スパイダースの井上順も長らく『夜のヒットスタジオ』の司会を務めたり、テレビドラマや CM に出演したりしています。

他にも鈴木ヒロミツ(元モップス)や夏夕介(田浦幸、元オックス)、安岡力也(元シャープ・ホークス)など、俳優やタレントに転じた人は数多くいます。

そして、歌手 → 俳優というルートは、GS だけではなく、その後ブームになったフォークやロック、ニューミュージックの世界にもたくさんの例があります。たとえば、武田鉄矢などは、その最たるものでしょう。

「転向」者への憎悪

さて、中学生時代の僕は、作曲家に転じた井上忠夫(現・井上大輔、元ブルーコメッツ)や加瀬邦彦(元ワイルド・ワンズ)、大野克夫(元スパイダース)らは別として、音楽以外の「職場」に転じた人たちが許せなくて、彼らに対し激しい敵意を抱いていました。

少年らしい融通の効かない潔癖さとでも言うのでしょうか。

僕は思っていました。「お前らの音楽に対する情熱は何だったのか」「そんないい加減な気持ちで音楽に取り組んでいたのか」などと。

特に腹が立ったのは(音楽を棄てたわけでも何でもないのですが)野口ヒデトでした。彼は“失神バンド”として有名を馳せたオックスのボーカリストでした。舞台でオックスが演奏を始めると観客席で失神する女の子たちが続出したのです。その野口ヒデトが真木ひでとに改名して、なんと演歌歌手として再デビューしたのでした。

僕は憤りました。ある種、大人たちに眉を顰められる、大人たちと敵対するようなファッションと音楽を代表していた人が、こともあろうにおじさん・おばさんに受ける演歌に転ずるというのは重大な裏切り行為であると感じたのでした。

当時の僕には、「彼らも、しかし、食って行かなければならない」ということがまるで解っていませんでした。彼らがタレントや俳優、あるいは演歌歌手に転じたことを、短絡的に「金のために身売りをした」というイメージで捉えていたのでした。

今では、必ずしもそうではないということが解ります。

音楽では食えなくて役者の仕事しかなかったという人もいたのかもしれませんが、彼らは彼らで演技者となってみて、その面白さに目覚めたというようなところも確かにあったのではないか、と想像できるくらい、僕も大人になりました。

それは音楽に対する裏切りなどではなく、広くエンタテインメント(当時はそんな言葉は日本にはありませんでしたが)に共通する要素としての、演技の面白さと奥深さに自覚的に取り組み始めたということであり、だからこそその道を極められたのだと、今では思っています。

そういうことが解るまでに随分時間がかかってしまいました。

二世タレントへの憎悪

同じような話ですが、あの頃僕は、親の会社を継いだり親と同じ職業に就いたりする人がいることを全く理解できませんでした。それは僕自身が自分の会社を息子に継がせようとする父親に強く反発していたせいもあります。

でも、そもそも何故わざわざ親と同じことをしようと思うのかが分からなかったのです。父親の会社が嫌だったというだけではなく、親に反発してこそ若者の生きる道ではないかと思っていたようなフシもありました(その辺の心理は今の若い人たちには共感してもらえないかもしれませんが)。

だから、二世政治家や二世タレントらを理解不能なファザコンと断罪して、心の底から軽蔑していました。基本的に世襲制である歌舞伎の世界の人たちを哀れに思う一方で、どうして大きな反乱が起きないのか不思議で不思議で仕方がありませんでした。

それも多分、全てを自分個人の、しかも未成熟な価値基準に置き換えて考えていた結果だったのだと思います。

今では、歌手から転じた名優もいれば、親子2代揃って素晴らしい歌手や俳優であったりする人たちもいることをフラットに認識できています。そういうことに、その後何十年かかかってやっと気づいたのでした。

「音楽」を考え直す

僕はなんという馬鹿げた偏見に囚われていたのでしょう。音楽をやめて他の世界で生きることも、親と同じ世界で生きることも別に恥でも裏切りでもないし、そもそも今やっていることが素晴らしければ前歴も親の職業も何の関係もないのです。

でも考えてみれば、長い時間かかってそういうことを理解するスタート地点が音楽であったことはとても幸せだったような気がします。

僕も中学時代はシンガー・ソングライターになりたいと思っていました。でも、希望を抱いていても情熱に燃えていても、なれないものはなれないのです。僕はかつて自分が裏切り者だと思っていた者の道を歩み始めました。

でも、音楽を投げ捨てたわけではありません。その後も多くのミュージシャンの曲に夢中になり、自分でもギターを弾いたり作詞作曲したり、そういう意味で音楽から離れたことはありません。

多分、GS のメンバーから他の職業に転じた多くの人たちも、僕と同じように、決して音楽を棄てたわけではなかったんじゃないかな、と今なら思えます。それはただ音楽が食うための手段ではなくなったということです。

そして言うまでもなく、音楽は食うためだけにやるものではありません。むしろ、それで食えなくなっても、生きるためには依然として必要なものなのだと、最近思うようになりました。

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山本英治 AKA ほなね爺
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