【story】1-4
「なんだお前、また来たのか」
顔を上げると、昨日と同じ姿をした男が、呆れたような顔で立っていた。
自分でもよくわからず返事をしないまま固まっていると、男は何の断りもなく隣に座ってきた。
そのまま、ふぅ、と煙を吐く。
「好きにするといい」
それだけ言うと、男は組んだ足に頬杖をつき、昨日と同じ姿勢で通行人を眺めて静止した。
その目だけが、歩く人々を追いかける。
不思議な雰囲気の人だった。
パンク系、と言うんだっただろうか。
必要のない場所にチャックやチェーンの装飾がついた、黒服。
同じく真っ黒のつばの広い帽子には、金属の装飾。
咥えた白い棒には火がついていないようで、これは電子煙草だろうか。
そういえば、煙草のにおいがしない。
これだけオフィスがある区画で、こんな姿の人間は浮きそうなものだが、なぜかそこまで目立っている気がしないのは、改めて見ると不思議だった。
パンク系でもうるさすぎない装飾だからだろうか、それともこの人の影が薄いのだろうか。
気怠げな横顔は、時折わずかな煙を吐く以外、ほとんど動かない。
売れないロックバンドでもしてそうな人だな、というのが、僕の感想だった。
一通り彼の観察を終えて思考が暇になると、目線は自然と下へ落ちた。
しばらく、この体勢でぼーっとしていたのだ。
当然のように、目的地もなくふらりと外へ出た足は自動で会社へ向かっていた。
そのことに気がついて止まった場所が、ここだったのだ。
彼のいた場所で、ただ何かをするわけでもなく、座って。
思考が停止して。
これを、途方に暮れていた、と言うのかもしれない。
そこへ、彼が来た。
「仕事辞めた人間に、いきなりおめでとうって、なくないですか。寿退社じゃあるまいし」
暇になりすぎた体が、勝手に口を動かしていた。
なぜこんなことを口走ったのか、自分でもよくわからない。
彼がほんの少し、体を動かした気配がした。
「辞めたかったんだろ?」
淡々とした声に、感情の色が入った気もした。
でも、それが何かはわからない。
それどころじゃない、自分の中の何かが、ざわりと動いた。
「辞めたいわけじゃなかった」
蠢く何か気持ち悪いものを吐き出してしまうように乗せた言葉には、怒りが滲み始めていた。
口を開く気配のない男に、余計に神経が刺激される。
「辞めたいわけないだろう、給料もよかったし、話せる同僚もいた。
確かに思うところはあったけど、悪くはなかったんだ。
そのくらい、どこに行っても多少あるだろ。
次の仕事がすぐ見つかるかどうかも分からないし、また辞めなきゃいけなくなったら嫌だし、辞めずに済むならそのほうがいいだろ」
そう、決して、辞めたいわけじゃなかったんだ。
「なのに何がめでたいんだ、ほんとに辞めたかったら、こんな」
こんなに、つらくないのに。
いっそ全部吐き出したいのに、苦しすぎて言葉が出なくなった。
胸が痛い。
ごめん、みんな、ごめん。
引き継ぎ、ちゃんと全部できただろうか。
仕事量、増えてないだろうか。
いや、増えないはずがない、か。
どうしよう、上手く仕事は回せているんだろうか。
同僚に余計な負担をかけていないだろうか。
心配はされているだろう。
でも、迷惑ばかりかけてしまった気がする。
申し訳ない。
ほんと、もう、僕は…
「飲むか?」
俯いた僕に差し出されたのは、ほんの少しだけぬるくなった、ホットココアだった。
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