【story】1-1
気分は最悪だった。
いっそ最悪も通り越して、地底のさらに奥底で地面に縫い留められているかような気分だった。
すべての感覚が鈍化して、心が重苦しいタールで満杯になっているようだ。
こぼれそうになるそれを食い止めながら、足を動かす。
帰宅の道が息苦しいのは、最近ではいつものことだった。
しかし、これほど重苦しいのはいつぶりだろう。
見上げた空はどんよりと曇り、それでも雨は降らせそうにない。
ただひたすらに重いだけだ。
急に、遠くに差す西日が、鏡のようなビルに反射して目を焼いた。
振り返ると、西の果ての空には、裂けるような雲の切れ目に、光があった。
「死人みたいな顔してやがるな」
目が、合ったのだろうと思う。
独り言のように呼吸に乗せられたその言葉は、明らかに自分に向けられたものだと感じ取った。
日差しが背景になっているせいで、その表情もまるで見えない。
街路樹を囲うブロックに腰掛けたその男は、存在が異質であるはずなのに、風景に溶け込んでいた。
麻痺していたはずの本能が告げる。
これは、危険なモノだ。
それなのになぜ、惹きつけられてしまうのだろう。
陽が翳り始めた。
真っ黒に見えていた男の姿は、ほぼ、真っ黒なままだった。
黒い衣装に身を包むその目だけが、鋭く輝いて見えた。
こちらが見ている間、向こうもずっとこちらを眺めていたらしい。
改めて、目が合う。
それが意外だったのか、まじまじとこちらを見つめる瞳が、やや興味深そうに笑った、ように見えた。
「どうした」
急に、自分に宛てられた言葉が飛んできた。
一瞬意味を把握しかねて戸惑う。
「どう、って…」
ごぼりと、胸の内のタールが波打つ。
死にそうで悪かったですね、仕事を辞めてきただけですよ。
重苦しさを吐き出すように出した言葉は、男の口をにやりと歪ませるだけだった。
「そりゃおめでとう」
若干トーンが上がったその意味を理解するには、この頭は疲労しすぎていた。
あろうことかこの男は、心からそう思っているようなのだ。
これ以上、この変人に関わってもろくなことにならない。
場に縫い止めるような視線を振り切り、僕は逃げるように家路に戻った。
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