【story】1-5
暖かい甘い飲み物とは、これほど心に優しいものなのか。
知らなかった感覚に、怒りも嘆きも、どこかに追いやられたようだった。
「ココアは鬱に効く」
急にぼそっと呟かれた言葉に驚き、顔を上げる。
男はまた、通行人を観察するスタイルに戻っていた。
「そうなんですか」
掠れた声の返事は、自分でも間が抜けているように聞こえた。
彼はこちらを見ないまま、独り言のように続ける。
「カルシウムは神経の興奮を抑える。
テオブロミンはセロトニンの働きを助ける。
ポリフェノールはあまり牛乳との摂取は相性が悪いが…」
そこでふと言葉を止め、こちらを見る。
やや申し訳なさそうな顔をして、続けた。
「缶のココアは砂糖が多い。多用はしない方がいい」
思わず、吹き出してしまった。
「大丈夫ですよ、今のところ肥満ではないので」
そんな方向の心配をされるとは、思っていなかった。
そうか、と呟いた彼は、まじまじとこちらを見ている。
そもそも、そんなココアを選んで買ってきた彼自身は、どちらかというと痩身だ。
「風呂にはできれば入るといい、冷えが一番体と心に悪い。
寝不足もよくないから、もし寝れずに…」
そこで固まる。
何やら迷うように目を泳がせている。
「これじゃあ田舎のオカンだな」
その一言に、またも吹き出してしまった。
二度目とはいえほぼ初対面の人間に、つい世話を焼いてしまうなどと、見かけによらず彼はいい人なのかもしれない。
「ココア、ありがとうございます。
そろそろ帰りますね」
結局それ以上話すことのないまま、時間はそれとなく過ぎ去っていた。
人通りが増え、それを目で追い続けていた彼は、おぅ、と短く応えるだけで身動きはしなかった。
たぶん、そういう人なのだろう。
もう少しこの場にいたい気もしたが、そろそろ帰宅ラッシュが始まってしまう。
できれば会社の関係者に会いたくない。
早めにこの付近を去るべきだった。
じんわりとした痛みを胸に、いつもの道を、いつもより早い時間に通る。
ふと思って、スーパーでココアと牛乳を買って帰った。
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