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2025.1.18
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1月17日夜の読書はタンザニアの路上古着商マチンガを描写する小川さやか『都市を生きぬくための狡知』から。下記は、警察の取り締まりの対象になったマチンガたちを、消費者たちが擁護する理由のひとつについて述べられた箇所。
⋯⋯大半の消費者は、「マチンガは貧者であり、市場での露店経営ができないために街中の路上で活動している」ことを前提に、ムガンボや警官によるマチンガの検挙に対して、「弱い者いじめだ」「マチンガは商品を奪われたら、泥棒になるしかない。かえって治安が悪化するだけだ」と批判した
タンザニアの人たちのこの視野の広さは何だろう。思うに日本でこれを妨げている要因のひとつが個人主義で、考えてみれば個人主義と視野の広さが両立し難いのは当たり前だ。それによって本当のところ誰が得をしているのか、僕らはちゃんと考えなければいけない。
⋯⋯警察やムガンボによる取り締まりが成功しない理由のひとつは、市内商業地区で活動する人びとがマチンガを匿ったり、彼らの取り締まりの情報を提供したり、ムガンボや警官を追い払ったりするためである。これは先行研究で指摘されてきたように、政府・市当局に対して人びとが何らかの不公正を感じており、同じ貧者であるマチンガに対して共感を抱いているためである
またそれ以外の要因として、著者は聞き取り調査によって得られた回答も紹介している。以下はそこからの抜粋。
わたしはすっかり彼らを当てにしている。彼らだってわたしをずいぶん頼りにしているわ。だってわたしは「このあいだのあれみたいに」と言われただけで、注文内容をわかってあげられるから。だからわたしは彼らに「移動しないよね?」と毎日、確認している
マチンガが街中にいたほうがいいか、いないほうがいいかだって? サヤカ、何をばかなことを言っているんだ。市は、事故を引き起こすからマチンガを取り締まるのだと言うが、事故を起こすのが嫌なら自家用車に乗るのをやめてバスに乗ればいい。バスの運転手は、事故が怖くてマチンガを追い出せなんて文句を言わないさ。マチンガがバス停にいたほうが乗客は集まるから、いたほうがいいに決まっている。市のやることはおかしなことばかりだ
マチンガが街を離れたら、街のさまざまなビジネスが停滞するか、数が減ってしまうだろう。たとえば、小さな商店主、仕立て業者、路上惣菜売り、荷車引き、タクシー運転手、荷卸し人、靴磨き、物乞いまで、零細商売の従事者はみんな依存しあいながら生き延びている
タンザニアの人たちは持ちつ持たれつの関係性を蔑ろにしない。それは当のマチンガたちの意識としてもそうで、だから逆説的に、彼らは自分たちが他者にどのような利益を提供できているのかをぬかりなく把握している。たとえば、
マチンガは商店主の経営を助けるために、「ぼったくり」や「粗悪品・不良品・偽物」の販売をおこなうことがあるが、このような行為はマチンガ自身の常連客の喪失につながる可能性がある。そのため、彼らはこのような行為を商店主への支援として語るのである
として、著者はあるマチンガのこんな武勇伝を紹介する。
⋯⋯この新品のジーンズは商店主が見るのも飽き飽きしていた在庫だ。だけどオレはこのジーンズを[他のジーンズと同じ]七八〇〇シリングで引き取ってあげた。オレは古着のジーンズの腰についていた商標の札をカミソリできれいに切り取り、この新品のジーンズに付け替えた。古着のジーンズには、新品のジーンズについていた商標の札を縫いつけた。オレはこの[流行遅れの]新品のジーンズを一万二〇〇〇シリングの商品に変えたんだ。これは商店主にはできない芸当だ。だって、これこそマチンガのエクストラな頭脳だから
こういう人間のたくましさを、日本人は道徳や倫理への、それどころかときにはそのもっと手前の法律への信頼感から、疑いもなく排除してしまっているのではないか──と、粗悪品や偽物を実際に売りつけられたことがない僕は安直に考える。だけどものごとは安直に考えた方が、うまくいくことだって少なくなくて、神経質な態度とともに僕らが失ったものは大きいのではないか。
*
昨夜から青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』を読みはじめた。単行本で30ページのところまで読んだが、とにかく面白い。いわゆる"一般的"な小説像ではないが、こっちの方がむしろ本当の小説なのではないかと思わせるくらい、読んでいる時間が喜びになる。
たとえば冒頭から、もうわくわくするようなイメージが立ち上がっている。
あのいかがわしいチラシがポストにたまっている。枚数は把握していない。たいていは名刺大のぴらぴらした紙にカラープリントが施されたしろもので、それを集めるのはどこか蝶の採集に似ているところがある、なんて思った日から集めはじめた。小型であり、種類が豊富であり、派手派手しいところが似ているのだ。その小さな色紙はポストの底につもりつづけ、半年もすると鮮やかな断層となった
ポストの鮮やかな断層というのは、なんだかポップアートみたいなイメージで、その視覚のよさに、つまらない注釈や解釈はいっさい付記されていない。
そういう日常のなかに散らばっているマテリアルを、そっくりそのまま水槽から取り出してみせるような手つきがすごく面白い。それもそのはずで、読み進めていくとどうやらこの小説が「日記」と深いつながりを持っているらしいことがわかってくる。
日記をつけているので正確な日付までわかっているが、最初にメーキューを訪れたのは七月四日金曜日のことだった。──パスタソースをふたつ組み合わせて買うと580円だというのである。そこでわたしが「ルフレ」をふたつカゴに収めたところ、一缶の定価300円を示す値札が目に留まった。その一缶につき10円の値引きという事実に戸惑っているうちに、奥にあった「ルフレ」が傾斜した棚の手前にスライドしていた
⋯⋯貼り紙の内容も、特別記憶に残っていたわけではなく、日記に書いてあったのだ。
その日の日記によれば、わたしは「一番大きくて色の黒ずんだ梨」をかごに入れたらしい。それは手にしただけで皮が剥げてしまいそうなほど熟れきっていた。裏返してみると知りの一部が琥珀のように茶色く透けてジクジクしていた
さらに読み進めると、その日記というのも何か異質なものらしいことがわかってきて、またわくわくしてくる。わくわくしてくると言っても、それはエンタメ小説とかにありがちな「続きが気になる」という意味のわくわくだけではなくて、もうすでに描かれたその事象が事象としてとにかく面白くてわくわくする。
⋯⋯しかし小説はまだ書けていなく、最近はなぜか日記をつけることしかできないでいる。
そしてその日記さえ、まともに書けてはいないのだった。当初は何となく七月四日から日記をつけはじめ、たったの四日間で力尽きた。しばらくしてからふたたび七月四日と日付を記す。五日を書き、六日を書く。が、七日まで進むと後がつづかない。そこでわたしは四日に舞い戻る。五日を書き、六日を書き、七日を書く。するとペンの運びがしだいに鈍くなっていく、というわけ。逆にペンが走り過ぎ、話が取り散らかってしまうなんてこともあった
僕自身こうして毎日日課として日記を書いているわけだけれど、上記の文章で共感できるのはいちばん最初と一番最後だけだ。いったい、同じ日の日記を何度も何度も繰り返し書くというのはどういうことなのだろう──と思っていると、そのあとにその四日間の日記のいくつかの異なるバージョンが紹介されたりする。そのバージョン違いを読み比べるのがまた面白い。何だろうこの即物的な仕掛けが詰まった小説は。
またそれとはべつに、話の重心がどんどん移ろっていくのも好みで、しかもその移行がわりとせわしない。せわしないけど整然としているというか静かというか。この感触は、たとえば似たように重心が移ろっていくクンデラの『不滅』とか、保坂和志の『未明の闘争』ともまたちがう読み味だ(ひょっとして、ちょっと僕の書き方に近いのではないか、というのはさすがに不遜だから声を大にしては言えない)。
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7時30分に起床。妻は土曜日だからがっつり寝たいというので、ボブ・ディランのアルバム「Bringing It All Back Home」を聞きながらひとりで朝食をとった。
食休みしながらWikipediaでボブ・ディランについて調べてみる。以下は気になった箇所の抜粋。
ディランは、よくメッセージソングやプロテストソングの旗手と評される
自身の関心事は「平凡な家庭を築く」「自分の子供の少年野球と誕生日パーティー」と述べている
歌詞や自伝における引用・盗用(盗作)が数多く指摘されている。佐賀純一やジャック・ロンドン、アーネスト・ヘミングウェイ、ヘンリー・ティムロッドや、旅行ガイドからの引用も突き止められてきた
ジョニ・ミッチェルは、LAタイムズ紙の取材の中で、「ディランは盗作野郎で、名前も声もインチキ、まがいもの。彼と私は昼と夜みたいなもの。彼は彼。私は私」と厳しく批判している
”メッセージソングの旗手”と言われている一方で、盗用・引用という見方によってはメッセージの冒涜ともいえるようなことをさらっとやってのけているのが面白い。僕はメッセージなんてどうでもいい派で、どうでもいいから自分の書くものはあえてわかりやすくて人の心に響くメッセージを建前にしようと考えているのだけれど、ディランはどうだったのだろう?
それにしてもディランへの非難はどうにもお門違いな気がしてならない。ダンサーが他人の曲で踊っているのを咎める人がいるだろうか?
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皿洗いをして、起きてきた妻の分もふくめてコーヒーを入れて書斎で作業。日記を書いて、1時間15分ほどで完成させる。
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15分ほどエアロバイクを漕ぎながら『小説の自由』を読んだ。いま終盤にさしかかっていて、そこがめっぽう面白いと同時に、ちょっと内容としては難しいから一昨日と昨日はその前に読んだ12章の後半から13章の序盤を再読をした。
今日はその続きで、アウグスティヌス『告白』の〈異様にも思える書き方〉について、著者が考察を深めていくところ。
アウグスティヌスの書き方は整ったものを良しとする文章観から見ると歪で異様で、それをふつうに想定するジャンルに収まるように近代の発想で書き方を整えていったとしたら、哲学書ではもちろんなく、宗教書でもなく、自叙伝でもなく、小説になるのではないかと思うのだが、アウグスティヌスの書き方から歪さや異様さをとってしまったらアウグスティヌスではなくなってしまうわけだから、小説という形態・概念が生まれる以前の散文という場所にあくまでもとどまりつづけ、それゆえ『告白』は散文の理想形のひとつではないかと私は思うのだ
ちなみにそのアウグスティヌスの書き方というのは、たとえばこういうもの。
わたしたちは、あなたが造られたそれらのものを、それらが存在するから見るのであるが、しかしそれらのものは、あなたがそれらを見られるから存在するのである
保坂和志『小説の自由』からの引用
思うに、わたしが語ろうと欲するのは、主よ、わたしは、どこからここに──この死んでいる生と言うべきか、それとも生きている死と言うべきか──来たかをしらない。わたしは、それをしらないのである。しかし、わたしの肉の父と母から聞くところによると、あなたのあわれみにみちたなぐさめがわたしを支えられた。あなたはわたしを、父から、母のうちに、時間において造られたのである。わたしがそれをわたし自身父と母から聞いたというのは、わたし自身は記憶していないからである
保坂和志『小説の自由』からの引用
著者いわく、アウグスティヌスの特徴のひとつはいちいち書く必要もないほどあたり前に思えることを、必ず確認していく「思わず笑ってしまうくらいの実直さ」で、でもそれは、
⋯⋯もちろん笑ってすませられるような話では全然なくて、人間が世界を人間に映るようにしか見ていないことをいちいち思い出し、確認して、それだけでなく世界は人間にとって未知である、つまり世界は世界としてあるというようなことまで込められた話法なのではないかと私には思える
という。僕がいま気になっているのは、著者はいったいどういう経緯でこのアウグスティヌス論にたどりついたのだろう? ということで、アウグスティヌスのように仮説(アウグスティヌスにとっては真理)が先にあったのか、それともアウグスティヌスを読むなかで啓示のようにひらめいたのか⋯⋯。そもそもどうしてアウグスティヌス『告白』を、上記のような「目」で読むに至ったのだろうということも含めて、僕にはまったく見当もつかない(著者はほかのところに書いているのだろうか?)。
ボルヘスを最近再読したときに、その異様な情報密度にやはり驚かされたのだけれど、いま本書を再読してみて、やはり驚くのは広義のリサーチ能力についてだ。もちろんそこには情報を処理したり編集したりする作業もふくまれているわけで、それをこの力の抜けたテキストとして形にしていることもすごすぎる。
下記は(そんな著者ではなく)アウグスティヌスの「思考のありよう」についての考察。
⋯⋯『告白』も『神の国』も、聖書を精読して、聖書の厳密な解釈のうえに立つという姿勢で書かれているのだから教典ではない。しかしそれらを宗教の理論書と言うには、思考のありようが論理的でないというかいわゆる論理の枠に収まっていないように私には見える。結果として理論書として読まれてきたのだとしても、根拠の置き方や道筋の作り方がおかしいのだ。
アウグスティヌスの思考のありようは、本人の意識としては、聖書を精読して、聖書を厳密に解釈・運用するというものだったのだろうが、むしろ聖書として思考してしまっているようにわたしには見える。
(中略)
つまり、聖書の正しさの根拠を聖書に求めるわけで、そんな方法は無茶苦茶のように思えるけれど、「聖書だけが真実である」「聖書の言葉はすべて真実である」「聖書は神の言葉である」という立場に立ったとき、聖書のほかに聖書を解釈する根拠はない!
アウグスティヌスにとっての聖書ではないにしろ、僕はこの『小説の自由』の根拠を『小説の自由』に求めるような読み方をしているかもしれない。それは「正しい知識を増やす」とか、「頭が良くなる」とか、そういう効用を得るための読書とはまったく一線を画していて、たとえるならキューブリックのSF映画に出てくるモノリスに得体のしれない影響を受けるような体験に近いかもしれない。有無を言わさず頭をがつんと殴られるような、暴力的な幸福がある種の読書体験にはある。
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10時45分から『自由日記』に着手。11時30分に書き終えて、頭をつかわない作業をしながらしばらく休憩する。
12時30分ごろに外出して、午前中にジムの体験入門をしてきた妻と合流してチェーンの定食屋で食事をした。鶏肉のカスタードクリーム煮を食べた。
店を出て、散歩がてらそこから20分くらいのところにあるお気に入りの本屋へ。そこでは著者を招いた講座などもやっていて、ボードにそのラインナップが掲示されている。いつかはいきたいと思っているのだけれど、なかなかその気にならない。
店員さんと、ある講座のことで話していて、それとはまたべつの近日開催の講座を「いかがですか?」とすすめられた。僕と妻は笑って流したけれど、本当はそういう誘いにこそ乗りたい。
興味のあるものを追求したり愛したりすることよりも、興味のあるものをどんどん増やしていくことが僕の理想で、しかしそのためにはいろいろな面での「余裕」が必要だ。その余裕をつくるためには、もはや興味のあることほどやらない・触れないというくらいでないと無理かもしれない。
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そのあとスーパーで買いものなども済ませて、14時45分に帰宅。そこからしばらく停滞していたホウベン800のストックづくりに着手した。途中、久しぶりに30分ほど瞑想もした。それからまたホウベン800に戻り、作業としては1時間半ほどで初稿400字1つと、最終稿400字4つのストックをつくった。
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夕食までまだ少し時間があったので、先日読了した村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の読書日記をまとめてnoteに投稿した。加筆修正はほとんどしていない。それで1万1000字くらいのボリュームになった。
毎日の日記から特定のトピックを編集するというのは、これはなかなか楽ちんだ。読書日記だけでなく、いろいろな切り口でやってみよう。
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エアロバイクを漕ぎながら30分ほど読書をして、それから風呂に入って夕食。今日は牡蠣とほうれん草の炒め物だった。一時期よく食べていたもので、やはり美味い。ごはんがすすんだ。あと卵焼きも久しぶりにつくってくれた。それからレンコンのきんぴらと、お歳暮で送られてきたちょっと高級なお吸いもの。どれも美味かった。