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社会に出たら正解はないからどんな発言も間違えていない
日本の学校教育では、幼稚園から大学まで、基本的には正解があり、その正解を答えることこそが正しいとされ、評価されています。
小学校~高校までは特に厳しく正解が決まっているように感じています。
テストで×が付けられているけど何が間違えているのかわからない
以下、Twitterより、小学生のテストで正しいと思われるのに先生の求めている回答じゃなかったからか×を付けられている事例を載せます。
次男の漢字テスト。これ見て何が間違ってるの??○じゃん、と思った貴方はコロナ禍に侵されている。時事問題か⁉︎と思った私はさらに重症。
— Shinnosuke (@Shinnos49649417) June 23, 2021
友達はさー、みんなこれはマルだよって言ってくれたんだけどね、先生はだめだって!と次男。 pic.twitter.com/PXQeo4lJbh
7歳の娘が、金曜日に行われた努力賞テストが月曜日に返されることを受け、休みの間ずっと「やだな…お腹痛い…やだな…」「どうせ合格できない…全部直されちゃう」って…
— なっちゃん@ (@nuts_game) November 8, 2020
これは何が間違ってるかわかる?って聞いたら、「上の棒と長さを揃えないとダメだから…」って。
は???でしょ。 pic.twitter.com/oBLb3wctLl
正直、私には何が間違えているのかわかりません。
Twitterに上がっているのは氷山の一角でしょう。
しかし、日本の学校教育ではこういったことは日常的に行われているのです。
一見正しそうではありますが、先生の求めている回答、1つしかない答えに反しているからこそ「間違えている」という結果を下す。
線の長さを揃えて書かないといけないという先生の価値観を子どもに押し付け「間違えている」という結果を下す。
日本の教育現場では、先生の求めている結果になるように回答をしないと、いくら正しそうでも「間違えている」という結果を下す教育が行われているのです。
1つの正解を追い求める日本の教育の末路
日本人は、1つしかない結果を求める教育を早い人は幼稚園から大学まで、短い人でも小学校から高校までは受けてきています。
でも、それって先生が決めた正しいという結果を答えることです。
最近の授業で学んだことから答えなければ行けないということが前提にあるでしょう。
きょうぎじょうでかんせんする
(漢字に直す)→競技場で感染する
このどこが間違えているのか、私にはわかりません。
これを「間違えている」と回答する先生の頭は腐り切り、日本の教育を受けて育った結果だと言えるでしょう。
下
※上の横線と、下に伸びる縦線は同じ長さでないといけない
こんな基準でマルバツをつける。
本当に意味がわかりません。間違えた字ではなく読めれば正解でしょう。
正解とした上で、もっと良くするためのアドバイスとして出すべきであると私は考えます。
しかし、日本の教育現場では違います。先の長さが揃っていないだけで×になります。
これが、日本の教育を受けた人が教える立場である先生になった結果です。
日本の教育現場では、先生の求める正解、最近の授業で学んだことから回答をしなければ行けない、そういった謎ルールがあり、日本人は「誰かの決めた正解を答えなければいけない」という思考が身についていっていると思います。
空気を読むのだけは得意になる
「誰かの決めた正解を答えなければいけない」そういった教育を受けてきた日本人は、空気を読むことだけは非常に得意なように思います。
それは、こういう答えをしないといけない、こういったことを言うとだめ、そういった教育をずっと受けてきているからこそ、日本人は空気を読むことは得意と言われています。
これは、集団で暮らしていく上で、チームで何かを成し遂げる上でとても大切なことではあります。
しかし、過剰に空気を読みすぎるあまり、目立つことは良くない、正しい回答がわからないから発言できない、支持されるまで動かない指示待ち人間のような人が多くなってしまっていると感じています。
しかし、大学や高校を卒業し社会に出たら、もう正解なんてありません。
社会に出たら正解はない
社会に出たら、誰かが決めた正解は存在しません。
それぞれ業種によって求めていることは違えど、多くの会社は売上を上げるために奮起しています。
しかし、その方法に答えはないんですよ。
身近なスーパーを1つ例に出してみます。
スーパーも営利組織であるため、売上を上げる必要があります。
しかし、売上を上げる手段はなんだっていいんです。
店舗を増やす、店舗を拡大する、駐車場を増やす、デリバリーを導入する、チラシを配る、イベントをやる。
どんな方法だって売上が上がれば正しい手段だったと言えます。
しかし、それはやる前から正しい手段かどうかなんて誰一人わかりませんし、1つの手段だけでなく複数の手段を組み合わせて実施することで、より売上貢献ができるかもしれません。
社会に出たら、「これが正しい」なんていう正解は誰一人持っていないことばかりです。
大学までは「誰かの決めた正解を答えなければ行けない」という教育を受けてきたかもしれませんが、就職したら急に「正解はない」という方針に変わります。
そのような社会になっているのが日本です。
正解がないからこそ意見が大事
社会に出たら正解はありません。
正解がない中で「売上を上げる手段」を考えるために必要なことは "意見" です。
1人で意見を出し切り考えていては、意見に偏りが出てしまい、決断も1人でしていたら、それはもうその人の独裁状態です。
そのような状態で付いていくだけの人が評価される訳ありません。
なぜなら、考えて推進したのは1人。他の人は1人の決定者の意見に従い手を動かしただけなのです。
特殊なスキルが必要な職出ない限り、最低賃金レベルでしょう。
正解がないのだから、どんな意見を言っても良いのです。
より多くの意見、考え方があれば、それを複合して考えることだってできますし、より良くしていくための意見が出る可能性もあります。
社会に出たら、自分の意見を発言すること、これは非常に重要な事になっていきます。
そして、会社への貢献度が高く、会社の売上が上がったとき、意見を積極的に述べられる人が評価され、給与も上がっていくでしょう。
正解がないなら動いて確かめたら良い
社会に出たら、正解はないんです。
正解がない中で意見を言ったところで、それが正しいかどうかは誰一人わかりません。
正解がなかったら、自分の発言が正解になるかどうかを確かめたら良いのです。
実際に動いて確かめて見たら良いんです。
最後に
大学生までの教育では「誰かの決めた正解を答えなければいけない」というルールがあります。
しかし、就職をして社会に出ると「正解はありません」というルールに変わります。
多少の戸惑いはあるかもしれませんが、対応しなければいけません。
そして、社会に出たら正解はないためどんなことを言ったとしても間違えている事はありません。その中で自分の考え、意見を伝え、その意見が正しいかどうかを確かめるためには動くしかないのです。
まずは、自分の意見を伝えること、これが社会では最も重要であると、私は思います。
以上です。
読んでいただきありがとうございました。