「ペアレントクラシー」を、「世襲階級社会化」の問題と言った方が良いのでは、との指摘に賛同します。
2月15日の朝日新聞デジタルに、「親の格差が子に受け継がれる「ペアレントクラシー」 克服の道は」という記事が出ていますが、この記事によろず物書き業・翻訳家のマライ・メントライン氏が「もう率直に「世襲階級社会化」の問題、と書いてしまった方がよいのではないだろうか。「ペアレントクラシー」確かに間違いではないのだろうが、なぜカタカナ横文字?」と コメントしていて、この意見、もっともだと思います。
2月12日から「「早期教育」へのギモン」が連載されていますが、このギモンの根本には、「ペアレントクラシー」=「世襲階級社会化」の問題があるわけです。
2月15日には、「衰退した努力神話と自己責任論 ハックとチートの時代、救いと危うさ」というタイトルで、文筆家の綿野恵太氏の文章や、「今の入試改革で学生の多様化は進むのか 大学が問われているものは」というタイトルで、学生の多様化への期待した大学入試改革の話が出ていますが、どちらもその背後には「世襲階級社会化」の問題があるわけです。
近年、この手の話題が多いように思いますが、「コスパ」「ハック」「チート」といったものが最近はやっているのも、自己責任論が衰退してくるなかで、新たな方法に救いを求めているわけです。「ハックやチートは法の穴を突いたり抜け駆けで利益を得たりするような利己主義の面があり、行きすぎると社会の良識が壊れる」という綿野恵太氏の指摘はもっともですが、「出自や縁故にとらわれずに能力で評価する、成果に応じた報酬はしっかり還元する、これは否定されるところがない理想的な価値観の一つ」が、まさに理想であるからこそ、「親の「富」と「願望」で子供の将来が決まってしまう社会」の中で、低い位置にいる人が「努力神話や自己責任論に抗っているような生き方」をして、「形を変えた競争」に勝つために抵抗しているわけで、この抵抗をある程度認めないと、厭世的な風潮が強まる可能性があって、それはそれで問題なわけです。
ただ、うやむやの中であがくよりは、現実を直視した上で、それを改善していくような、より積極的な姿勢の方が良いと思いますので、社会を分析することは必要なことだと思います。