「経済成長」はノスタルジー。
1月22日の朝日新聞デジタルのRe:Ronに、「経済成長が終わった「高原社会」 山口周さんが考える幸福な生き方」という記事が出ています。
「モノへの限りない需要に基づき、高い経済成長を維持できた社会を、山の頂点を目指して上昇を続ける登山にたとえ、「登山の社会」とし」、「いまは登るべき山はなく、なだらかな高原をゆっくり安定的に歩くべき「高原社会」」という例えは、非常にわかりやすいですね。
かつての日本の製造業が市場を制していたのは、日本の研究、開発の強みを生かして良い製品を送り出す力がうまく機能していたからで、現代のような飽和状態の市場で、「製品のコモディティー化(汎用化)」が進み、世界中どこでも同じ製品が安く早く作れ、手に入る状況では、「差異化」も消耗戦となってしまえば、「再成長」は幻であり、「経済成長」はノスタルジーに過ぎません。
「経済が復活すれば、幸せになれる」という考えは、もはや宗教です。日本企業を復活させ、経済大国に戻したいと願っているのは、高度成長を経験した人たちだけでしょう。ただし、その年代の人たちが、まだ政治や経済の分野でトップにいるので、まだなんとなく「成長神話」が信じられているような気配があるのでしょう。しかし、少なくともかつての高度成長のようなことは、おそらく二度と起こりません。むしろ、あの時代が特殊なのです。
そのような点から言えば、この記事で山口周さんが述べている「高原社会」という概念は、かなり的を得ていると思います。
おそらく、もう十年ほど経てば、高度成長が歴史の話である人達だけになるでしょうから、高原社会に軟着陸し、安定的に歩むための新しい生き方が当たり前になってくることでしょう。
そう考えると、そろそろ経済成長へのノスタルジーを捨て、人々が幸福感に満ちて生きられる社会を構想し始める必要があるように思います。