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KZロングインタビューpart4 〜ソロ作の振り返り・KZの未来像〜

何も無くても笑っとったらいいやろって思うし、

その笑うってことが闘うってことやと思うから。


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・ここからはソロのアルバムの振り返りをしていきましょう。まずは1枚目「PULP」ですね。これは当時のKZさんの集大成でORIGIN的作品やと思うんですけど、リリースの背景や環境はどのようなものでしたか?

「横浜から帰ってきて、もう自分の中でバトルに自分は向いてない、勝てるラッパーじゃないって思ってて。ただ、ラップは辞めたくない。でも梅田サイファー自体は少しずつ死んでいくというか。サイファー自体が無かった状況で、どうすればいいんやろうって。
今でも考えあぐねてるんやけど、今俺33でここから歳をとっていく中で今聴いてくれてるリスナーのみんなって俺の曲聴き続けてくれんのかなって。それはリスナーのみんなに後ろ指さしたいわけじゃなくて、純粋に自分が10年前買ってたり聴いてた曲を今でも聴いてたかなって思ったから。だから今でも40代までにまた大きな壁が来ると思ってて。
PULP』を出した時も同じこと思ってたね。バトルを辞めて、もう一回KZっていうアーティストを作らなあかんっていう。その為にせなあかんことは力ずくで全部やらなあかんと思ってるし、今もそれは思ってる。」

・当時の梅田サイファーは一回無くなりかけた状況だったんですね。

「『PULP』を出す前後は、ほんまに死んでた。土曜日に歩道橋に行っても誰も来やんかったり、華金も不定期で半年に一回あるかないかやったり。そもそも梅田サイファーで何かをするってことがあの頃全く無かった。
記憶にあるのはpekoやんが12月ぐらいに開いたアマチュアで、ゲストもなかなか捕まらんから『自分久々に梅田でライブしやん?』って感じに話振ってくれて。その時はpekoやん梅田でも何でも無かったんやけど。それこそ『Never Get Old』を作るきっかけにもなった、スパイケーくんが伊丹のサーキットのフェス呼んでくれたり。年一回あるかどうかやったな。」

・その状況下での「PULP」の制作やったんですね。

「活動的には横浜帰る直前からライブしたり華金出たりはしてたんやけど、本格的に作り始めたのは横浜から帰ってきてからやね。」

・「PULP」の反響はいかがでした?

「全然。全くやったな。今、4th『GA-EN』の初動で200枚ぐらいやけど、『PULP』は20〜30枚ぐらいやったと思う。結構落ちた。落ちたというか、現実見たというか。誰にも必要とされてないっていうのを感じた。そこを隠してるバトルMCって多いねん。ただその時は目を初めて開いてみて、落ちたよな。初めてアルバム出して、どうやったらライブの出番貰ったらいいかわからんし。敗北感まみれやった。」

・そこからの2ndの「CASK」ですね。この当時のリリースの背景はどんな感じでしたか?

「現実受け止めてから、俺が思ったのは『すぐに次を作る』っていう。ちょっと前にTwitterにも書いたんやけど、売れへんから作らない、じゃなくて売れへんから作らないとあかん気がしてん。今はそれが確信になってる。ここで作らんかったらもう二度と作らんくなるって思ったし、ライブもできひんし。とりあえず俺は作ることで活路を見出そうと思った。
ただ当時dio jさんが『もう音楽止めようか』みたいな話になって、そしたらRECする場所が無いし、知らん商業スタジオ行って作るのも自分的には合わんってなって。
その時にパっと出てきたんが、Cosaquさんやった。クラブで会ってもペコって挨拶するぐらいの関係やったけど、『Cosaquさん相談あるんですけど、飯行かないですか』って焼肉屋に誘って、『1st出して売れへんかったけど今すぐ2nd作らなあかんと思ってるので協力してくれませんか』って言ったら承諾してくれて制作が始まるって感じかな。」

・「CASK」は「PULP」より外に向けられて作られた作品のように感じます。

「1stは寄せ集めって言ったらおかしいかもしれへんけどそこまでの集大成で、『CASK』で自分がどういうラッパーなのかアティチュードが身に付いたというか。『Hook up』っていうしゅがやんがやってるイベントとかにお願いして出させて貰ったり、RENくんとか角栄とかちょこちょこブッキング貰えるようになって。
ライブでライブを繋いでいくような動きをするようになって、その中で自分が磨かれた感覚があって、そこで『CASK』の中で歌いたいことが出来ていった感じかな。」

・「CASK」の印象的な収録曲が2つあって、1つは”Bad day"なんですが、KZさんの音楽の中で最もネガティブを吐き出してると感じました。この曲の制作の背景は?

「1st出した直後とKZ and doikenの在庫は、自分の中で悔しさがあって。どのラッパーもそうやと思うねんけど、アルバム出した時に『これで俺は変わる!』って思うねん。
ただ現実はそうじゃないし、仲間達も離れていく中で、歌詞にも書いたけどDFBR行った帰り道の電車で色々考えたら泣けてきて。次の日の仕事休んで、ほんまに久々に『死のうかな』って思って、当時の好きやった子とも別れて上手くいかんことが立て続けに起こった。
ただ歌詞書き出した時は戻ってたというか。書いた以上は、最後は希望に着地せなあかんと思ってたし。一番落ちた日にも最終的に『なんか書きたいな』って思った。
さっき言ったリアルの話でもあるけど、嘘はつきたくないしついたらあかんし、生まれてきたものに対してはちゃんと向き合って書かなあかんって思ったから書いたかな。」


・2つ目は世界にも視点を上げた”Seize the day"なんですが、この曲の制作の背景は?

「今も思うねんけど、ラッパーって自分の事を歌うせいで凄いミニマムなことしか歌えなくなってるなって思ってて。USのラップの和訳を見た時に、こんなにコンシャスなことを歌ってんねや、とかこんなにこの人達はPeopleの代表者なんやって事を思うと、自分が矮小なものに感じる時が今もある。
Seize the day”を作った時は、自分は勿論世界に組みする人間であって、自分が楽しくパーティーしてる時も空腹な子や寝床が無い子もいる事実はあって。そこと自分が分断されてる事実が今も恥ずかしくて、自分だけの世界じゃないと思うから世界のことを歌いたいし、自分が好きなラッパーはそういうこと歌ってたし、歌うためには勉強せなあかんし目を瞑ってたらあかんからっていうのがあって。書きたい、書かなあかんなって思って書いたかな。」

・そして「CASK」の反響はいかがでしたか?

「1stよりは全然良くて、力ずくで売っていったよな。これは俺の肌感やねんけど、良いライブしたらお客さんの10%ぐらいは売れんねん。2018,19年はそこを目標に頑張っていったし、バトルに出る時もバトルに勝つというよりはリスナーを作りにきてるっていう意識が強かったから、それがライブで磨かれたアティチュードとか立ち振る舞いとかが良い方向に転んでUMBの大阪代表取らせてもらったし、本戦でもかませた。
19年のUMBでも120枚ぐらい売るんやけど、それは自分の中で成功体験にもなった。そういう意味で、『PULP』と『CASK』はライブ力、ラップ力で売る事を学ばしてもらった2枚やったかな。」

・今はどちらも完売ですよね。

「そうやね。ただ、Amazonで凄い高い値段で出されてて。『PULP』が2万弱ぐらい、『CASK』が3万弱ぐらいやったかな(笑)。辞めろよ、とは思うけどな。」

・そこから3rd「norito」のリリースですね。1stのリリースから1年ちょっとで3枚は凄いですね。制作をずっと辞めない理由は何ですか?

「例えば、ご飯食べへん日ある?っていうか。”that's it"の歌詞にもあるけど、俺は息するように歌詞書くよって思う。今はお金の為とかアルバムを売る為に、とかは全く無くて。自分がやっぱり書いてて楽しいから書いてるかな。」

・「norito」はKZさんの一つの完成版ですよね。”KZ THE LIVE"というか。頭からケツまで曲順の通りセットリストを組んでも一つのワンマンが出来るぐらいの完成度だと感じました。このアルバムはどういう思いを込めて作られましたか?

「前作2枚が混沌でトンネルの中におって、やっと光が見えてきて。それは自分のソロとしてもそうやし、あんだけ死んでた梅田が生き返ったし、その希望に満ち溢れた部分と自分の音楽と出会った人達に対して強い肯定をもたらしたいなって思って。今の活動の根底にもある部分やねんけど。そういうアルバムを作りたいなと思って制作を始めたかな。
あと極力、誰かを下げて自分を上げるような手法を廃止したかったというか。アルバム通して、AとBを比較してAの勝ちみたいな単純な力のゲームは辞めようと思ったのは大きかったかな。」

・タイトル曲でもある”norito"は、応援ソングによくある感情のファシズム的な要素が少なくて、リスナーに寄り添ってポジティブなイメージを提案してくれる様に感じました。

「”norito"は自分の中でもキャリアハイな曲で、4th『GA-EN』を作る前にあれを書いてしまって苦しむ部分も多かった。あそこまで良い歌詞、バランスの整った歌詞を超えれんのかなって。正直、(”norito”の)影はすごくあった。
14の時の話に戻るんやけど、1回死のうとしたって部分が凄く大きくて。結局この世の中って全部無意味やと思うねん。怒られるかもしれんけど、音楽も資本主義も全部勝手に人が価値をつけて生み出したもので、ほんまに価値のあるものってほぼほぼ無いと思うねん。無価値やからこそ等しく全てに価値があるとも思うし。だからネガティブなものに囚われてもしょうがないと思うというか。これが無くなったらどうしよう、生きていかれへん、みたいなものなんか無いよって。だからこそ、自分の中で開き直ったポジティブっていうのはあるかな。
何も無くても笑っとったらいいやろって思うし、その笑うってことが闘うってことやと思うから。」


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リアルに人生に起こる経過の中で、

金じゃないって言うのはかなり厳しくて難しい。

そこをどう乗り越えていくか、やんな。

・そのマインドはとてもリスナーの人の支えになってると思います。4th「GA-EN」についてはまた次回聞かせてもらおうと思うのですが、19年の梅田のブレイクはソロのMCとしてどういう経験になりましたか?

「どの辺りからかな、SOLOISTもそうやし8耐とかネバゲトラカスのツアーもそうやねんけど、自分でやれることやらなあかんことが増えていって。
大阪のMCは大阪でしかイベントしたらあかんと思ってたというか、東京でオーガナイズできないと思ってたりするんやけど、当然日本中どこでイベント打ってもよくて。みんな勝手にその呪縛に囚われてたりしてて。
あと長期的な活動のスケジューリングができるようにもなったかな。」

・ずっとラップしていくことを公言されているKZさんですが、7年後はなんと梅田サイファーが20周年ですね。その頃は、ご自身や皆さんはどうされてると思いますか?

「20周年って相当なことやな。ただ、たぶん全員はおらん気がする。結構俺はポジティブやけどリアリストで、全員おってほしいっていう理想はあれど、現実なこと言うと全員はおらんと思う。
もし全員がやれるような環境にするんやったら、全員でメジャー行けないとあかんと思うし。でもメジャー行くような博打を打てる環境に全員いてないと思うし。博打を打ちたいと思う人も少ないと思うから。やっぱ40なって、金じゃないって言える環境におるってことは、子供がおらんとか独身とかじゃないと言えへんと思うねやん。
リアルに人生に起こる経過の中で、金じゃないって言うのはかなり厳しくて難しい。本業で金稼いどかないとあかんから。さっきも言ったけど、年齢が上がるにつれて大きな壁がもう一枚あると思うねやん。そこをどう乗り越えていくか、やんな。
40歳になるってことは、子供が20歳とか少なくても10歳とかやったりで、自分の親父が毎週末の土日どっか行って遊び呆けてたら、やっぱ家庭持たれへんよな。家族が納得するような社会的地位とかお金をもたらさないと続けていくのは難しいと正直思ってる。」

・日本でも未だに寿命が尽きるまでラップし続けた人がいませんもんね。ただ僕は(KZさんや梅田の皆さんに)そうなってほしいです。

「俺はそうなるつもりやし、その現実的な壁を乗り越える為の足場作りをしてるし、作らなあかんと思ってるけど、やっぱごく一部やと思うねん。何も考えずにラップだけして勝ち続けれるラッパーなんか。多くの場合は、自分で自分の居場所を作らなあかんねん。
ただ、ラップする才能はあっても自分の居場所を自分で作る才能が無くて辞めないといけなくて。俺が思うのは、俺は辞めへんように頑張る。梅田のみんなも辞めさしたくないから辞めへんように頑張るけど、チョイスするのはその人次第やから。現実考えると、半分残ればいいんちゃうかなって思うかな。
ただ、1年に1回集まってライブするのは出来ると思うけど、今みたいなリリースラッシュは収まっていくんちゃうかなとは思う。自分がワンマンで、頑張れば東京でも300キャパとか大阪でも150キャパぐらいのライブやったらできるやろうから次は、梅田のみんなが望むならみんなのそういう場所を俺が作っていかなあかんかなとは思ってるかな。」

・1ファンとしては、全員揃って残ってほしい…ですね。僕も7年後には30代とかですけど、noonとかstompに遊びに行きたいしpekoさんのDJで踊ってたいです。

「そうよな。残っててほしいよな。頑張ります。」

・最後になるんですが、長い目で見てご自身の活動で成し遂げたいことや伝えたいことはありますか

「一つは、一生ラップするっていうのが大きな目標やね。それはお前がしたかったらできるやん的なことではなく、ずっと必要とされてラップし続けるのは大きな目標。俺の予想やけど、東京で500〜1000人のキャパでライブできるようにならないと難しいんちゃうかなって思う。最近は、自分の向かう場所とか目標がめっちゃ具体的かな。
RHYMESTERもTHA BLUE HERBもこんな言い方したら悪いけど、(世間的な)ヒット曲ってそんなに無いっていうか。ただ、ヒット曲が無くてもあんな風に活動し続けてるのは希望やし自分もそうなりたい…というかそうならんと一生音楽できひんと思う。
売れる売れへんは抜きにして、リスナーさんとちゃんと向き合って制作して良いライブをしてまた次も来てもらうっていう。」

・UC WEEK 20 SUMMERのMCでも言っていた、「14歳の時の自分を見返す」っていう部分もありますよね。

「めちゃくちゃあるな。やっぱあの時の自分を救うために歌うっていう部分は自分が音楽をする上で重要な要素かな。」

・これを聴いたら、より4th「GA−EN」が刺さりますね。
わかりました。これでロングインタビューの方は終了させていただきたいと思います。ありがとうございました。

「ありがとうございました!」

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出演 KZ (interviewer: yamakaya kyotaro)
企画・構成・文 yamakawa kyotaro
撮影協力 KZ club stomp
映像編集 橋本翔乃

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