KZ 2時間ロングインタビューpart1 〜KZの初期衝動〜
「14歳の時の自分を救いたい」。
大阪・梅田の歩道橋から画面越しに投げかけられたその言葉や、過去の自分に対して言及した最新作4th「GA−EN」のリリックに対して私の好奇心が働いた。
梅田サイファー。クラブクアトロにてワンマン公演を見事に成功させた2020年。その翌月から流行した疫病にも負けず、場所をネットでの配信に切り替えて現在も邁進中である。
その原動力であるKZが、自身の生い立ちやキャリア、ソロMCとしての変遷を語る。その歩道橋に辿り着くまで、その歩道橋での出来事、その歩道橋から離れた過去や、帰還して現在に至るまで。
場所はKZがオーガナイザーを務めるイベント”華金”が行われている、心斎橋にあるclub STOMP。
聴き手は、その華金やSOLOISTなど梅田サイファー周りのイベントレポを書き、何より梅田サイファーの1ファンでもあるyamakawa kyotaro。
2時間、1万5千字ロングインタビュー。
・まずは4thアルバム「GA-EN」リリースおめでとうございます。
「ありがとうございます。」
・4th「GA-EN」で触れてる10代の頃から2019年まで辿って質問していこうと思うんですが、子供の頃から今まで続けてるもの、好きなことはありますか?
「漫画読む、映画見る、旅する、は今も好きで昔から続けてるかな。」
・映画とかはアルバムのサンプリングでもよく見られますよね。
「1st『PULP』に関しては、結構映画タイトルの曲名が多くて。テークとやってる"T W of W S"とかは『ザ・ウルフオブウォールストリート』っていうスコセッシとディカプリオの映画から頭文字取ってるかな。」
・10代の頃のKZさんは今とどれくらい近い存在ですか?
「幼少期と今の自分は結構近いかな。ただそれこそ『GA-EN』で歌った、一回沈んだ14歳の頃の自分も根底の部分は一緒やねんけど、ポジティブに包まれてるか、ネガティブに包まれてるかの差はあった。」
・どこで音楽、HIPHOPと出会うんですか?
「出会ったのは13歳ぐらい。これはどこでも語ったことないんやけど、家が母子家庭で、腹違いの会ったことない兄貴と妹がいて。親父は結構酒癖も悪いし女遊びもギャンブルもする人で。それで母親が母子家庭になったことで逆に馬力を出してしまって教育ママになって、中学受験とかさせられるんやん。そういうので結構嫌な思いさせられんねやん。例えば、ミニバスしたかったけどできひんとか。受験も反発して答え書かずして出したりして。失敗を自分で選んでん。
それで中学に進学してばぁちゃんの家から母親と2人暮らしになったんやけど、そこで俺の自由な時間が結構増えた。母親が仕事終わって10時ごろに帰ってくるし門限が無いからずっとブックオフおって漫画読んでたんやん。
その時にUSENでケツメイシが流れてきて、そこがラップとの初めての出会いやった。」
・初めてラップを聴いた時どう思いました?
「音楽と出会うのが結構遅くて、それまでずっと文章か好きやったから最初に衝撃を受けたのは、音楽的な部分というよりはライムとかリリックの面白さやったかな。
店員さんに聴いたもんな(笑)。これ何の曲ですか?って。」
・中学受験失敗した後はどの様な環境でしたか?
「失敗してから、たまたま転校みたいな感じで神奈川の学校に行くことになるんやけど、中1で出会った子がイサムっていうやんちゃな子やって、そこから悪い方向に進んでいく感じやね。」
・それが14歳以前のエピローグって感じなんですね。4th『GA-EN」でも語られる自殺未遂にはどう繋がっていくんですか?
「まず14の時に、傷害と窃盗で捕まるんやん。そういう不良グループにおったら捕まるか捕まらんって運が良いか悪いかみたいな状態で。次に捕まったらカンベ(鑑別所)やで、みたいな環境を子供ながらに「そこおったらあかんな」みたいに思った。抜け出そうと思って何を思ったか、外に出ないっていう選択肢を取り出して。そこからガチガチの引きこもりになっていくねん。
誘われて行かんかったら先輩にしばかれるっていう風習とかもあって、より安全な家の中におることを選んでいった。母親も教育ママやったことに負い目を感じてたんか、俺のそばにおらなあかんって感じになって地元の職場のすぐ帰れる所で働くようなったりして。
何回か心療内科に行ったりもしたけど、その時の自分は結構尖ってて世の中に不満タラタラやって、友達は本と映画だけ、みたいな感じになった。
人間ってやっぱ環境やなって思う。生まれ持った素質はあれど、不良の所におったら不良なってくし。」
・そこから自殺未遂のエピソードに繋がっていくんですね。ここからキャリアを辿っていこうと思うんですが、KZさんにとってHIPHOPってどんな存在ですか?
「自分にとっては、やっぱ1番おもろいものかな。ドキドキもするし、ワクワクもする。
人生変えられたというより、自分のままやねんけどレールとか道筋が良い方に変わっていったなって思う。」
・HIPHOPのどういう部分で変わっていったと思いますか?
「やっぱ強かったよな。日本のHIPHOPが歌う事もそうやし。色んな所で言うけど俺はHIPHOPってマイノリティがマジョリティを振り向かすものやと思ってて、マイノリティの人がマイノリティである事ですら誇りに思って歌ってる曲が多くて。
それは『自分がマイノリティで良いんや』って肯定にもめっちゃ繋がった。」
・特に変えられた一曲はありますか?
「全部が全部ラップに変えられたわけじゃなくて、映画で言ったら"フォレスト・ガンプ"が感銘受けたし小説やったら"老人と海"やったり、アートとか芸術がポジティブな方に引っ張っていってくれたと思う。」
・理想のラッパー像,表現者像はありますか?それは始めた頃と今は変化しましたか?
「『GA-EN』の"すくわれろ"でも歌ってるけど、今聴いてくれてるリスナーさんと14歳の自分はすごく大きい存在で、その当時の自分を救いたい、上げたいって気持ちはすごくあるけど、始めた頃と今で変化があるかって言われるとそこまで変わってない。輪郭がよりハッキリ見えてきたのはあるけど。」
・理想には段々近づいてきてますか?
「…まだまだやな。売れた売れてないかっていうよりはもっと良い曲作るって所かな。」
・良い曲っていうのはKZさんの中に定義があるんですか?
「ある。ふぁんくと昔、大討論したことがあって、ドイケンとも話したことあんねんけど。良いものっていうのは時間の経過が分からしてくれるというか。今でも自分が聴く曲ってシンプルで力強い。
10代の頃聴いてても、フロアで聴いてて上がる曲もそうやし、今自分が作った曲が将来どれだけ残るかが自分の中で指標なんかなって思うかな。」
・ラッパーを始めたきっかけは何ですか?
「引きこもりが自殺未遂で終わって、そこから少し日常に戻っていくねん。中学も行ってなかったから高校なんて進学できひんくてバイトしだすんやけど、その時に時間が余りまくって、たまたましてたネットサーフィンでネットライムっていう存在と出会って。掲示板で作詞だけするっていう空間やねん。結構、梅田はそこ出身が多くて、ふぁんくとかテークとかRもちょっとやってたりして。
ただ、自分はHIPHOPっていう音楽を好きやったから作詞だけするネットライムとの乖離に悩み出して、ラップしたいなとは思うねんけど周りにはそういう環境が無くて、それぐらいの時ににmixiが流行り出してん。大阪サイファーのコミュニティがあったんやけど、それが全然動いてなくて、残念やな〜って思ってたら新しいスレッドが立って、梅田でサイファーしますってなったんやん。それで梅田サイファーのコミュニティが出来て、来たい人は来てくださいって感じで歩道橋でラップし始めた。それが俗に言う5月27日やね。」
<<< part 2へ続く>>>
こちらのインタビューの映像も是非。
出演 KZ(interviewer yamakawa kyotaro)
企画・構成・文 yamakawa kyotaro
写真・撮影協力 KZ
映像編集 橋本翔乃
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