不完全なけもの
もしかしたらこれはもっと単純な話なのかもしれない。
それぞれの旗を掲げているのがスタンダードになってから、どれくらいが経つだろう。その旗が間違ってない事を証明するために、どうしても振り回してしまう。自分と違う色の旗が目障りだから振るのを辞めてくれという人に対しては勿論、そこにたまたま居た旗すら持ってない人達にも振り回しそれまで見ていた景色を見えなくする。過去に誰かが持っていたかもしれないその旗を振り回しながら’’今、君たちが見ている物は間違いだ!どうか私の意見を聴いてほしい!’’、そう言っている風には聴こえている。
その振り回す珍しい色の旗の意味も、何故その人がそれを持っているかすら理解できない人もいれば、理解しようとしない人も当然いる。自分と違うという理由で旗を折りに来る人もいるし、折りに来ても芯が堅く色の濃いその旗で返り討ちにしてしまう人もいる。返り討ちにしようと力いっぱい振り回して砂埃を巻き上げ、周りにいた関係の無い人にも当たってしまうこともよくあるという。その人が傷ついたとしても、信じている正しい真実を伝えるためなら止むを得ないと旗を振り回し続けている様に見える。
これは都市で密かに噂になっていることだが、今それぞれが持たされている旗には新しいか古いかの尺度があるらしい。都市から離れれば離れるほど、旗を持たされていることに気づいていない人も多く、そもそも都市に行く機会の無い人は旗の流行など勿論知らない。広大な都市の一角に住んでいる私も、都市のどこでその流行の旗が作られているかはよく分からない。ただこの国に住む限りは、都市が古い旗を掲げている人を見るとその人を取り囲み、最悪の場合は家に火をつけられるということもよく新聞に載っている。家に火をつけ、持っているかすら分かっていないその旗を自分たちと同じような新しいものに変えるまで、消えない焼印を加えて監視するという。ただ時間が経てば監視に飽きた人たちから去るらしいが。
都市の外れでみんなが寝静まった夜に開催されるサーカスに、私は良く行く。そのサーカスは一年中開催されており、様々な奇妙な旗を持つ人が催しをする。そこに集まる観客もみな、どことなく歪な旗を抱えてその催しに遊びにくる。ある者は、旗の色を上手に染めれず周りに笑われていた。ある者は、旗を折られて路頭に迷っていた時にたまたまそのサーカスと出会った。旗など関係なくそのサーカスのこと、ピエロやマジシャン達のことが好きで来る観客もいるがみんなどこか歪なのである。私はみんなで歪な旗の色や形を汚いと言いながら笑い合ってるこのサーカスが大好きだ。
ただ聴く所によると、最近このサーカスは都市の中心部でチラシを配り始めて、開催時間に足を運ばずともサーカスにさえ行けば常にその催しが誰でも見れるようになったらしい。その催しを広めるために新聞を作る人も居れば、ピエロの玉乗りや旗の色の歪さを、笑いものにしようと新聞を作る人もいるという。広まることも仕事の休憩中にサーカスが楽しめることも良いことだ、とその時の私は思った。
いつも通り催しが終わって夜が開けたある日。その催しをしていたピエロは都市で流行している旗を掲げた集団に囲まれ、都市ではそのピエロを模した人形が吊るし上げられていた。過去にそのピエロと一緒に催しを行っていた人間が怒鳴る声が聞こえ、結果その日のサーカスの周りには称賛とブーイングが飛び交い大盛況となった。そのピエロは自分が何色の旗の色を持っていたかすら分からず、その旗を振って観客を沸かせていた。その日の催しが何がどうして都市の中心部に伝わっていたという。ピエロの周りを囲んだその集団は、’’その古い色の旗を掲げると傷つく人間がいる!悪い思想が後世に継がれる!’’と声高々に叫んでいたそうだ。ピエロが関わる催しを辞めさせようという活動も始まってるらしい。
サーカスに通っていたものはその集団を見て、’’今が革命の時かもしれない’’と決意する者もいれば、意に介することなく好きなピエロと催しを傷つけられたからと戦いに向かう者もいる。過去に自分が楽しんでいた催しを疑い、悲しみに暮れる者もいる。
私はその集団の自分たちの旗の色を信じて進んでいる姿勢や、とにかく間違っていない意見が書いてある都市の電柱に貼ってある張り紙などを見て余り疑問は持たなかった。流行りの旗とも称したが、その集団が持つ旗は過去から今に至るまで段々と色が濃くなりやっと明るくなった色だとも思う。色自体は間違っていない。その古い旗を無くして傷つく人が居なくなるのは本当に間違いないことではあるので、必ず無くすべきだとは本当に思う。自分の持つ旗が古くならないようにこまめに点検するのも忘れないようにはしたい。
ただ、その集団が埋め立てた地にできるサーカスやショッピングモールはその旗の色を混ぜて作るしか無いのだろうか。サーカスやピエロ自体の詳細や魅力も観客の気持ちも一切理解されていないその活動の後に出来るものは何なんだろう。勿論、その集団は私と同じ様にそれを愛していないので理解も配慮もする必要はないとも思ってはいる。私は特定の旗の色のことより、正直サーカスの方を考えてしまう。
公的に開いているものだから土足も何も無いし、発言の制限も無い。ただ、間違った旗の色を見つけたからといって、わざわざ出向いたことない場所にまで踏み込み、見せしめにして、新しいとされるその旗の色を相手に掲げさせる。これは今の私にはどうしても暴力的に見えて仕方ない。同じ旗の色で均一化する社会。多勢で個人を叩く構図はいじめと何が違うのだろう。過激にしないと旗の色を理解してもらえない、また今回の様なことが繰り返される、と言うならそれも間違っていないのでもうそれ以上何も言えないし思えない。正しいだけの世界なんて絶対に楽しくない。人が最低限傷つかないためのルールを作る際の自由は何をしてもいいのだろうか。
私が今願うのは、好きなピエロ達やサーカスの運営者が旗の色を見直して線引きをすることやその見せしめに合ったピエロがちゃんと反省した後で元気になって観客の前に戻ってくることである。
間違いは正すべきであると理解はしているが、都市や田舎の区別が無い頃からサーカスに通っていたので、顔も見えない都市の中心部にいる人の声に反応するサーカス自体にも未だピンときていない。今回の件の催しがあったサーカスとは別の場所で、2人ともメガネをかけたピエロが観客と交流していつもより楽しく騒いでいたそうな。その催しを見て思う、やっぱりサーカスは最高だ。
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