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本公演終わり、しばらくお休み

清水邦夫作品に関わったのは、大学2年生の頃に先輩の演出で「僕らは生まれ変わった木の葉のように」に出演して以来二度目。

その公演は確実に僕の演劇観を変えて、新しいモノ好きだった僕は、当時の最先端に想いを馳せ、60年代から70年代にかけて起きた演劇ブームに憧れを抱いていた。

大学3年生の冬にはつかこうへいの「蒲田行進曲」を九州大学演劇部で演出したのだが、つかこうへいと清水邦夫、両氏は同じ年に岸田國士戯曲賞を受賞されていて、自分が生きることのできなかった時代への憧れはその時にいっそう強くなった。

今回の演出は、「アングラ」をかなり意識していた、が、稽古場では一言も「アングラ」を発しないようにしていた。理由としては、僕を含め座組が「アングラ」を知らない(経験していない)ことが大きい。演出に関する言葉選びは本当に難しい。「野田秀樹ぽく」とか「ケラぽく」あるいは「平田オリザぽく」なんて言葉は絶対に使いたくないので、それと同じようなものだ。

しかし、「狂人なおもて往生をとぐ」には、《トルコ風呂》だとか《ゲバルト》だとか、今は歴史として語られるような言葉がよく出てくる。これらは「知らない」では済まされず、平成生まれの俳優の中でどのようにリアルタイムに生じさせるかというのが難しかった。

が、戯曲を読み進めれば、家族の中で出てくるそれらの言葉を引き出す感情は現代でも普遍的に生じるものだということが分かる。違う(ように見える)のは、アウトプットの部分。

稽古ではひたすらストレートに、一つの部屋で起こる三幕(2晩と15分後そして翌朝)の6人の会話を組み立てていくことに努めた。小屋入りしてから行うのは、ブルーシートを敷いて足元にロープを敷き詰めた舞台に、その芝居を乗せる作業。照明は芝居が進んで夜がふける度に暗くした。

第三幕第一場、出の妹愛子によってポピーの造花が飾り付けられ、狂気が絶頂を迎えカオスが訪れると、花は散らばり、黒衣が飛び出し、ロープが絡みつき、暴力、叫び、そしてピンク色の電球が点滅して、静寂。
ラストシーン、第二場、一家の断絶。子ども達は出掛けて行き、部屋を片付ける母親と新聞を読む父親。残された2人と部屋にあるのは「習慣」と「秩序」。

演出家の脳内。舞台転換を手伝う黒衣は常に部屋を監視し、その実、家族ゲームを助長している。部屋に「秩序」が訪れる時に、子ども達3人の「新しい家族」と出かけていくのはそのためだ。

さて、ここまで伝わった観客はいたのだろうか。「黒衣の立ち位置が分からない」という意見は少なくなかったし、なるほどこういうことなんですね、という感想もほとんど無かったように思う。ちなみに、実際の戯曲では、3人は「光あふるる《窓》へ消えていく」という表現がされている。130分に及ぶ芝居全体に関しても、引き込まれた、短く感じた、という感想もある一方で、長い、やっと終わった、という感想もあった。

やり切った、と、やり逃げ、は違う。やったもん勝ちにならないような舞台を作っていくために、この公演で聞こえた声を注意深く再考していきたい。

清水邦夫作品は言葉が美しくて、比較的小さなスケールでものすごい熱量を発する。演劇、俳優に関する台詞(今回も、人間の生き方に関する台詞でで演技論に通じるものが多かった)も多く、シェイクスピアの引用もあり、人間と演劇、ともすれば人間の中の演劇、あるいは演劇の中の人間について、考えさせられる。
同世代や少し上の演劇人でも、その名前を知らない人が多く、こんなすごい本があるんですよ、と、知って欲しくて、これを本公演の演目に選んだというのもあったりして。

最後に、清水邦夫先生と、上演許可をくださった木冬社様を始め、関わってくださった全ての方に感謝を申し述べます。ありがとうございました。

2016.3.2 追記
自分の戯曲ではできなかったことができた。
今回の成果をこれに留めてはいけないと思うし、いちいち成果にこだわり過ぎてもいけないとも思う。
上演は観客との会話だ。
次に何をするかを考える。

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