喜び経由幸せ いき
こんにちは。yamaです。
気温差が激しくて、服装に困ってしまいます。
昨日、何を思ったのか登山してきました。
日没近くに登り始めたので、下る時には道が見えにくくなっていたし熊が出てもおかしくない程の自然で怖かったです。
その後、展望台まで行って夜景を見ながら黄昏ていました。周りは観光客とカップルだけで一人で来ていたのは、恐らく私だけでした。でも、夜景を見て心が動くのを感じました。夜景が綺麗で感動したのもあるけど、なんか今、この夜景を見れた事に喜びを感じた。生きてて良かったと感じた。
そのおかげか、今日は珍しく寝起きがすっきりしてたし、いつもより少し早いバスに乗って、大学に早く着いて教室でnoteを書いている。
ものすごく充実した一日の始まりに、私は喜びを感じている。
私は、大学に入り喜びを感じる事が圧倒的に増えたと思う。そして、幸せを感じる時間が伸びた気がする。大学での講義に面白みを見つけたり、バイトに楽しさを見つけたり、大切な友達や仲間の笑顔を沢山見れている。
周りの人に褒められる事も増えたし、自分で感情と会話できるようになってきたし自分自身を褒めれるようになった。
私は喜びを溜めて幸せに変換していたのかもしれない。
喜びは日常の至る所にある。友達との何気ない会話、晴れた青空を染めていくミカン色の光とか、日常の何気ない瞬間が喜びを生み出してくれる。私はそれを大事そうに抱えている。傷を付けないように抱え、時々磨いている。まるで赤子を抱えた母親のようだ。
何か悲しい事があった時、絶望を感じた時、暗闇に包まれた時に私は、その抱えている喜びを手放し辺りに散らばす。その時の光景が「幸せ」なのだ。
傷一つない磨かれた喜びの数々は散らばったその場所で輝きだす。その明かりは温かい安心感のある明かりや太陽のように強く光る明かり、月のように寄り添う明かりまで様々だ。でも、その明かりの1つ1つが私を照らし、私の周りを照らし出す。その空間が私にとって幸せなのだ。
喜びを感じる時間は短い。でも、幸せを感じる時間は長い。
それは、どれだけ自分の喜びを大切に出来るかで変わってくれると思う。喜びを大切に出来る人は、幸せを長く感じれると思う。
世界は今でも変化している。
もっと便利な世の中に向かっている。今よりもっと高度な事が出来る世界に向かっている。
目まぐるしく過ぎている時間の中で、葛藤や嫉妬、愛情、虚しさとか感情渦巻く世の中で小さな「喜び」を大事にしていきたい。
不幸があるから幸福があるのでは無く、喜びがあるから幸福がある。
そう胸を張って満面の笑みで大声で言いたい。
自分の直感を信じてみる。昨日、登山したおかげで私は今、少しだけ長く幸せだから。