オリンピックの終わりとコロナ禍と私の違和感
オリンピックが終わった。
毎日のように日本人によるメダル獲得に湧き、毎日のように英雄、ヒーロー、ヒロインが誕生した。
また世界から集まってくれたアスリートの素晴らしい競い合いは本当に素晴らしく感動した。
コロナにより盛り上がることを禁じられていた日本に、おいて、人々と盛り上がり楽しむことの楽しさという当たり前のことを思い出させてくれた本当に有意義で大切な時間だった。
オリンピック期間中にコロナ感染は拡大し一部の方々が中止を騒いでいるものの大多数の人々の耳に届かなくなっている。
高齢者へのワクチン接種が進み感染者が増えても死亡者があまり増えていない。
本来なら日常に戻れるのだ。
アメリカやヨーロッパではワクチン接種が進むにつれて日常に戻している。
日本ではそうなりそうになかった。
アメリカ、ヨーロッパに比べて死者などが桁違いに少ないのにだ。
しかしオリンピックを契機に人々の気分が変わり、外に人々が出始めている。
私はコロナ禍が始まってから休日は散歩しているのだが、明らかに人が増え、談笑しながら歩くカップル、夫婦や子連れや学生が楽しそうに過ごす姿を見るようになった。マスクを下にズラしたり外した姿もある。
それが嬉しくて仕方ない。
コロナを過剰に恐れて自由を阻害していたことがおかしかったのだ。
自由が大切と宣っていた連中が自由を譲り渡し、コロナの恐ろしさを過剰に訴えて、人々を煽りに煽った。
コロナをある国としたら絶対に自由を奪うなと騒いでいただろう連中がコロナだとここまで自由を売るのは頭が悪いのだろうし、実際に戦争が起きて自由を奪われる時が来ても、君達はコロナ禍で自由を売り渡したよねと言われたら何ら反論も出来ないし説得力を持たないだろう。
私はコロナを恐れていて引き篭もる方々とは全く合わない。インドアな人間だしそこまで他人と飯に行くような人間ではなかった。
しかし以前のnoteを含めて自粛に対してここまで反対をして来たのは、自粛に正当性や一貫性、納得感がなかったからだ。
正当性は自粛とはあくまでも要請でしかないし、それを事実上の命令として使いながら責任を取らない逃げ道を作った政府や官僚に卑怯さを見たからだし、一貫性は飲食業には営業停止や時短要請をしておきながら飲食業にはそのようなことをしなかったことに業種毎の政治力の差による差別を垣間見たからだし、納得感は政府が何が何でも自粛させるために金をばら撒くなどの必死さが見えず納得させる努力ないように感じだからだ。
以前にも書いたが私は社会保守主義者なので秩序の大切さは十分に理解しており、政府の自粛要請を無視して多くの方々が外に出る今の状況は本来悲しむべきことなのだろう。
しかし伝統的な祭りや催しや里帰りなどまでコロナ禍を理由に破壊するのであれば、自粛破りによる秩序の乱れは是認するしかない。
私は日本でのオリンピックの盛り上がりや日本人オリンピックアスリートの若い子達を見ていると秩序の乱れは大したことにならないと思っている。
皆んな単に日常が欲しいだけなのだ。
難しいことは何らない。
単に国や他人が信じれなくなっているだけだ。
だから叩かれることを恐れてしまう。
またオリンピック期間が終わりまたメディアを中心にコロナ過剰に煽るキャンペーンが来て相互不信を高めて日常を破壊することにならないか心配はしている。
散々オリンピック期間中にオリンピックキャンペーンをしたメディアが今更何をと思うが奴らはそんな奴らだ。
まあ私は月曜火曜と休日出勤をしたら休みになるので、近場にはなるが日帰り旅行に行き楽しむことを計画している。1人でだけど 笑
皆さんもコロナキャンペーンによる相互不信の時代が来る前に楽しんでおこう。
そしてコロナキャンペーンに小さい抵抗もしていこう。
オリンピックありがとう!
次はパラリンピックだ。
パラリンピックは障がいのある方々の大会だ。
障がいのある方々も素晴らしい競技大会をする資格がある。反対する方々は障がい者差別をするのだろうか?
とにかく早く日常が戻ってほしいものだ。