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私の"感動"のど真ん中

感情の正体を、なるだけ解明し、汎用性高いものにしたい

2024年
私はこの世に生を受けてから26年を迎える。

これまで数えきれないほどの感情を経験してきた。
先祖から代々受け継いだ先天的な性格に加え、取り巻く環境から育んだもので後天的に微調整し、時には大きな更新を経て、今に至る。

自我が芽生えるよりも先に、(自然だが)数々の感情の経験を積んでしまっているが故に
多くの人が"感情"というものに対し受動的であり、
気付けば無意識の領域で処理しているものだと思う。

私は、どうにかこの(少なくとも自分自身の)"感情"というものの正体を
可能な限り言語を使って解釈し、ある種、再現性の高いものに昇華させたいという願望がある。
つまるところ、「なんか嬉しい」を"なんか"程度で終わらせたくないということだ。

脳科学や哲学など、様々な学問的視点から
感情というものを解釈することは一定はできるかもしれないが、
やはり、この"生の感情"を主体的に、意識的に処理するには
己の経験する感情とひたすらに向き合い、言語を使って分類する他ないと感じている。

前置きが長くなってしまったが、
ここ数年、私はひたすらこの作業にエネルギーを注いでいる。

8歳にして、漸く気付いた"感動"のトリガー

8歳。
これは所謂8歳ではない。

私は、"考える"という行為を初めて意識的に行ったのが、高校を卒業した18歳の頃だった。
それはもう、鮮明に覚えている。

「いい企業に入り、いい家庭を築くことが私の考えるそこそこの幸せであり、目標です!」

胸を張って話す私の主張に
真正面から「なんで?」と問われ、全く回答ができなかった自分を。
自分自身にびっくりしたし、困り果てた。

それまでは、親をはじめとした、周囲をとり巻く大人たちの言う
"あたりまえ"という概念を、全く疑うことをしてこなかった。
それが"世界"だと解釈していた。

その瞬間、
大量の冷や汗と共に
遅ればせながら、やっと"私"が誕生した。
(お誕生日、おめでとう!)

そう思うくらいに、この瞬間は自分にとって大きな経験だった。
これが、私の"考える"の原点。

つまり、社会的には25歳(2024年5月時点)の今、私は8歳なのである。
小学2年生だ。

やべ、また本筋から外れてしまった。。
私の悪い癖だけど、小学2年生だから許してほしい(〃ω〃)てへぺろ

8歳にして、漸く気付いた"感動"のトリガー Part2(今度こそ!)

"感動"には、言わずもがな色んな種類や段階がある。
最近気付いたのは、その一つの階層に過ぎない。
でも、今回の気付きは、自分の中では大きな前進のきっかけになるものだと感じている。

先日、TVerで『カンブリア宮殿』の島村楽器の回を観ていたときの話だ。

私の頼りない海馬から引き出した記憶なので、情報の正確性は一旦置いておいてほしい。

確か、魚の卸売業を営んでいる80代のおじいちゃんのエピソードだった。
おじいちゃんは最近、島村楽器でサックスを購入した。
これまで楽器経験は一つもないのに、だ。

なぜおじいちゃんは今、サックスを始めるのか?

理由はシンプルだった。
そして、私の感動のど真ん中だった。

「妻にかっこいい姿を見せたいなと思って、、へへ」

控えめに、照れながら語るその姿が、
あまりに美しかった。
美しすぎた。

純粋に"何か"を想う瞬間は、何より美しい

これまで私は
"純粋"な瞬間に、感動すると思っていた。

間違ってはいない。
でも、十分ではなかった。

純粋に"何か"(自分以外のもの)を想う瞬間が、何より美しいんだと
おじいちゃんが気付かせてくれた。

仮におじいちゃんが
「え?理由?なんか時間ができたから、やってみようかなと思って、、へへ」
と回答していたら、チャンネルを変えていたかもしれない。

振り返ると、感動した瞬間は全てこの条件が当てはまっていた。

日常において、感動する瞬間は勿論のこと
一方で、何かにひどく嫌悪する瞬間も、この条件が圧倒的に侵害されていたからだった。

社会の中で日常を過ごしていると、どうしてもマイナスな側面が目立つ。
特に現代の日本社会は、個々人が正直(≒純粋)でいることを拒まれているようにさえ錯覚する。

自分自身に正直で居続けることが比較的に難しいこの社会で
生まれ育ったからこそ、
純粋に"何か"(自分以外のもの)を想う瞬間があまりに尊く、
思わず心が反応するのかもしれない。

さしあたって、どうする?

いくつかアイデアは浮かんでいる。
でも、まだ社会に実装する形にはできそうにない。
引き続き深めていく必要のあるテーマであることは間違いなさそうだ。

ただ、
楽天的な感覚かもしれないが
我ながら、進捗としては悪くないとも思う。(だって、まだ8歳だしね)

最近では、本当に幸運なことに
近しい思想と熱量を持った仲間がいることを認識し始めた。
一人じゃないということが、どれだけ心強いか。

しばらくはまた、
ゆるゆるぬくぬくと考えを整理したり、小さな行動に移していくような
準備期間(シリーズCくらい?←は?)になるかなと思っている。

来たるべきときに
この想いを、ふんだんに爆発させるために。

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