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"悲劇"で最期を迎えないために

以前こちらのnoteの冒頭でも述べているが、"価値観"というものは、
親から受け継いだ先天的な性格に加え、育った環境等の経験から
後天的に形成されるものである。

まぁ、つまり
両親の性格は、子どもの価値観形成において
非常に大きな影響があるということだ。
※大前提として、親に責任があるという主張をしたい訳では全くない。事実としてそうなるよねという話。

誰もが例外なく、遺伝的に両親が存在する。
人によっては"育ての親"が遺伝的な親と異なるケースもある。

纏めると
産み(先天)も、育て(後天)も含めた"親"が、子どもにとって重要だということ。

ということで、今回は
私の価値観形成に大きく影響したであろう
"親"について触れようと思う。
※理由は後述するけど、今回は"親(父)"について、主に

なので、本記事の主目的としては
伝えられていなかった人たちへの情報伝達と
ちょこっと教訓的なものの共有って感じかな
(個人的には、別で色んな意図を込めているけど)

私は、父のことをよく知らない

私の父は、あまり多くを語らない人だった。

過去形の表記から分かるように
父はもう、この世にいない。


きっと私を認知している人の中には
この事実に驚く人もいるかもしれない。

まぁ、わざわざ言うことでもないしね

私が伝えなかった理由は、主に2つある。

一つは、母が"気にしい"であること。
私の母は、周囲からの見られ方を非常に気にする人だ。
私も、親になったら分かるのかもしれないけど
一部のママ友コミュニティにおける"情報伝達"は
私たちの想像以上にキモくて、ヤバいらしい。
(あ、母はもちろんそんな表現してないよ!笑 ただの私の解釈ね)
だから、できるだけ伏せたいということだ。
歪なママ友コミュニティか…
うん、なんとなく想像できる。気がする。

もう一つは、別に周囲が知らなくていい気もするから。
今回は、基本的には限られた人たち向けに
様々な意図の元、共有を試みる。

「父をあまり知らない」と記載した通り
私は父とあまり会話をした記憶がない。
したとしても、基本的に当たり障りのない内容だったと思う。

漫画のワンピースが好きだったから、
新巻が発売される度に父が買ってきてくれて、順番に読んでいたのを覚えている。

そういった微かな共通言語を頼りに、なにとなく情報を補填していくことで
子どもながらに"父"を捉えていった。
それ以外に、方法がなかった。

10年以上の冷戦状態からの、突然の終戦

両親は、私が18歳の頃に離婚している。
が、それ以前の生活も
実態は離婚の"それ"となんら変わりなかった。

私が物心ついたくらいから
気付けば両親は仲良くなく、ほとんど会話なんてしなかった。
口を開けば、基本的には喧嘩だった。

タイミングによっては少し会話が増えたりとかはあったけど
冷戦状態が基本の関係性において、
稀に仲良くしているようにも見える両親は、
子どもの立場の私からすると ちょっと気色悪くもあった。

気色が悪いというのは、当時の私が
うまく情報を消化できなかった、という感じ。

なんで仲悪いはずの2人が、急に一緒にお風呂に入りだすの?
私の認識しているこれまでの関係性の延長線上には決してあり得ない。
なんか情報を適切に処理できない、みたいな

当時は分からなかったけど、
きっと両親にも色々ある中で、互いに歩み寄ろうとか
無数の葛藤の上で、私の経験した"日常"があったんだろうな

子どもは(少なくとも私は)、
親が作りだす"親感"を頼りに
親という存在を定義し、認識し、対峙する。

従来の"親感"を逸脱した瞬間は、子どもがすんなり消化できるはずがないし、鮮明に覚えていたりする。

あ、別にこれは"親感"を逸脱するなって主張したいわけじゃない。
そんなことは人間だからむしろ普通なことだと思う。
ただ、個人的には
そもそも肩肘張って、無理して"あるべき親像"を体現しようとしなくていいんじゃない?
もっと子どもに弱さを見せてもいいんじゃない?

立場関係なく、
正直で、対等で、不完全で、間違って、自然体で
それでいいんだと思う。

まぁ、これは親子とか関係なく、人類みんなに言えることかもしれない。

そんなこんなで(?)18歳の頃、
別れの挨拶をすることなく、父は急に家を出ていった。

父の人生は、結構残念な最期だった思う

20歳だったかな、21歳だったかな。
やっぱ、そこらへんの情報量多すぎて時期感覚が曖昧だ

真夏のある日、自宅のトイレにいたときだったと思う
警察から急に連絡があった。

「あなたのお父さんが亡くなった」と

正確には、母の弟
つまり、私の叔父にあたる人から「警察から連絡があった」と連絡があった。

当時色んなことがあって、もう感覚がバグってたのかな
ほとんど動揺しなかったことを覚えてる。

そこらへんの時期に、
自身が鬱っぽくなったり、知人が自殺したり、助けたかった人を助けられなかったり、理解されたい人から理解されなかったり
色んな渦巻く感情を必死に処理する過程を経て、
もう、あんまり動じなくなっていた。

父の死因は、
当時の警察の方々には色々配慮してもらい、敢えては表現しなかったけど
つまるところ、"餓死"だった。

"この現代の日本社会で??"

警察からの情報と、私の想像による補足も込みで簡単に纏めると、
プライドだけが肥大化してしまった父は
離婚後、実家のある静岡に戻るも
安定した仕事が見つからず、周囲にも頼れず、消費者金融にも見放され
電気、水道も止められ、やがて亡くなった。

身元確認で写真を見せてもらったけど
もう、全くの別人だった。
あのときほど、"言葉を失った"という表現が適切なことは
後にも先にもないだろう。

一般的な親族を失う感覚の"それ"とは
きっと、明らかに違う気がする。
一次的な感情で悲しんだりなんて、全くなかった。
ただただ、残念だった。

こんな終わり方が、あっていい訳がない。

私は消化しきっている

感覚がバグっていたお陰か、
私は驚くほど冷静に一つ一つの情報を整理・処理していった。
ただただ、やるべきことを、淡々と。

当時の一番の気掛かりは、
私の関係者には変に気を使ってもらいたくない
ということだった。

既に消化できてしまっている自分にとって
周囲の人たちに変に想像力を働かせてしまって、誤った共感をされてしまうのは困るし、
周りに優しい人たちが多かったから、
シンプルに、あんまり困らせたくなかった。

敢えて言わなくてもいい人たちには特段背景の説明は避け、
現代社会の常識に則って、数日おやすみさせていただき、それっぽく復帰した。
当時、自分の認識の範囲外で、色々を気を使っていただいたと思う。
有難うございました。


親しい友人たちへの伝達が、正直一番困った。
背景の説明をしないわけにもいかないし。

活字だけだと不快に感じてしまう人が大半だと思うから、ここでは直接的な表現は避けるけど、
簡単に言うと、めっちゃふざけながら、伝えた。
「父の死を伝達する中でも絶対にひと笑い取る!」という覚悟を持って、絶妙なユーモアを交えて。
あの頃、捻り出したユーモアたちは
我ながら傑作だったと思う。
もうほとんど覚えてないけどね。

最初は漏れなく皆がびっくりしていたけど、最終的には父の死の話を笑って聞いてくれた。
きっと自分の意図が少しは伝わったんだと思う。
汲み取ってくれたんだと思う。
有り難かった。

ただ、これにはえげつない副作用もあって、、
私が父の死をユーモアを交えて伝えた幾つかのコミュニティにおいて
それ以来、"身内の不幸"が
当事者の想定を超えて不謹慎ネタになりすぎてしまうという影響が出てきてしまった。笑(マジですまん、みんな)

「あ、笑っていいんだ」を過度に錯覚してしまった者たちの
誤った"一見ユーモアっぽい産物"が、コミュニティに絶妙に違和感を与えることがしばしばあった。

あのね、みんな
ユーモアって本当に技術いるのよ。笑
もう本当に、気を使いに使いまくって、やっとちょっとだけユーモアの芽になるくらい
間違っても他のコミュニティで発揮しないようにね
あれ、汎用性とかゼロだから。

やっぱり最期は笑っていたい

父の死をはじめとする、様々な経験から得た私の想いは
結局は共通する。
特に、"父の死"からは終わり方を非常に意識させられた。

けど、終わり方って、結局は"今"なんだと思う。

至極当然だけど、
終わりって"今"の積み重ねでしかないし、
"今"がいつ終わるかなんて、本当に誰にも分からない。

この後、「note書き終えた〜」って、
近くのコンビニに鼻唄うたいながらスイーツを買いに行く途中で
車に轢かれない保証なんて、どこにもない。

いつ終わるかなんて分かんないんだ

もちろん、"未来"を見据えた上で"今"を生きるという感覚もとっても大切だと思う。
そうでないと、
それぞれの目先の"幸せ"の背後に隠れた、大きな問題を見落とすことになってしまうからね

両軸とも、大事。

でも、やっぱり私は"今"を最高にしたいし、してほしいんだよなあ

明日が今日よりも、
ほんのちょっといい世界になることを願って


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