日常が、愛で溢れまくっている
いやー、私はだいぶ変わったんだな。
先日、そんなことを
ひょんなことから痛感することができた。
それは、ある友人との会話の中で。
最近、私には大切な人がいるんだけど
私:生まれてきてくれてありがとうって思うんだよね。何度か伝えてもいると思う。
友人:えー、キモっ
確か、そんな会話だったかな
別に
友人の反応に嫌気が指したりとか、全くなかった。
心から私を軽蔑する意での「キモっ」でないことは
彼との関係性から明らかだし、
むしろ別の、個人的な意味で、私の中では嬉しさが込み上げていた。
昔は、当然のように
私が、今回の友人のような発言を周囲にしていたから。
当時は本当に
愛とか、そこらへんへの理解や感度が皆無だったから、
私は本気で「キモっ」って思っていた気がする。
いや、感度はあったのかな
ただ、そういったものに素直であることができなかった。
かっこ悪いとさえ思っていた。
自分が言われる側になったんだなーって
すごっ
愛する対象がいるということ、それを、恥じらいなんかを軽く超越して、伝えることができるということ
愛する対象はなんだっていい
それが恋人でも、家族でも、友人でも。
もちろんペットでも。
なんなら生き物じゃなくたっていい。
本当に、なんだっていいんだ。
そして、
愛は自己満足でいいし、一方通行でいい。
というか、むしろ
自己満足じゃなきゃ
一方通行で完結しなきゃ
ダメな気がする
本来、愛ってフェアじゃないと思うんだ。
フェアじゃないから
だからこそ、バランスするんだと思う。
フェアな愛なんて、愛じゃない
最近では、本当に有難いことに
愛する対象を認識することができるようになってきた。
認識し始めると、そこらじゅうに愛が溢れているようにさえ錯覚する。
錯覚できる。
そして、もっと有難いことに
その愛を、
愛する対象に、直接伝えることができるようになってきた。
伝えることができるのは
相手が受け止めてくれる気がするから。
きっと、受け止めてくれる。
その安心感から、私は全力で伝えられるんだと思う。
愛を抱かせてくれて
伝えさせてくれて、ありがとう
そういえば
なんか、偉そうに
愛について語ってたこともあったなあ
https://podcasters.spotify.com/pod/show/tatsu01/episodes/solo-e2hfp8f
(あ、いつもか)